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「考えてみると、イリアエルは細々とよく働いてくれたものだな」
「そうだな、あいつは本当に機転がきくし、何にでも目が行き届いている。重宝なやつだ、ははは」
イリアエルがいなくなった本拠地ではそれからも些細な不備や支障は出たものの、大きな混乱や論争はなかった。住人たちは各々がイリアエルの役割を埋めるために日常的な用事や連絡を手伝うようになり、会所は却って活気付いたようにも見えた。
「そう言えば、鐘を作るって話、あれもイリアエルがいなくなって手付かずだな」
「ああ、ここに来るようになって思うようになった。もし、この会所から鐘の音がからーん、からーんと辺りに響くと想像したらな、それはとても……なんだかわくわくしないか? 何か、俺たちの町という感じだ」
「しかし……ナモクは相変わらずだしな」
「まあ、それはそれでいいではないか。あいつはあいつなりにやっているのだ。それに……ああ見えて実は結構イリアエルのことは気にかけているようだ」
ここしばらく、ナモクは日に一度はイリアエルの心を探っていた。その心に浮かぶ率直で未整理な思い。もちろん前から漠然とは分かっていたが、直接はっきりと見たのは初めてである。しかし、ナモクは自分がその思いにどう応えるべきであったか……などという殊勝なことは考えなかった。
ナモクは定例の会合で、イリアエルに対して慰留するつもりはないし、何らか処分するというような気持ちもないことを正式に告げた。
「イリアエルは発見された天光源に一人で向かったようだ。まあ、俺は奴の好きなようにさせようと思う。イリアエルはそのうちどこかの拠点に立ち寄るだろう、もし会ったら奴のいいようにしてやってくれ。できたら、みんなから各所に伝えてほしい」
ナモクの意向を受けた本拠地の住人たちは、探索中の人々と心を交わす機会にはそれを伝えるようにした。ただし、もともとすべての情報を集約する立場のイリアエルがいないので、すべての拠点に知らせが届くには相当な時間がかかるだろう。
できれば、ナモクはタミルノとも話しておきたいと考えて何度かタミルノの様子を探っていたが、まだうまくその機会が得られずにいた。何度目か、ナモクはふと思い付いてマセルの心を探ってみた。マセルはたいていタミルノやヌルといっしょにいるだろうと考えたのである。しかし、少し試してすぐにやめた。考えてみると、マセルが自分のことを気にかける機会などタミルノ以上に少ないだろうから。
これも当然期待できないだろう、などと思いながらもナモクは次に一応ヌルの心を読んでみた。すると、なぜかヌルはずっとイリアエルのことを考えている。ナモクはむしろ不思議な気がした。心配しているようだ。イリアエルさん、寂しがっている? 子供らしい素朴な感情に触れてナモクはしばらく一人微笑んでいた。
とその時、ヌルが不意にナモクのほうを読んだ。
「! ヌル! 聞こえるか? タミルノに伝えてくれ」
咄嗟にナモクはそう念じた。まだこちらに意識がある。ヌルは気が付いたようだ。
「ヌル……タミルノと話したい。そばにいるか?」
しかしヌルは少し間を空けてから
「ナモク、どうしてイリアエルさんに優しくしてあげないの?」
と、ナモクを責めるような感情を伴って質した。ナモクは一瞬、どう説明してよいのか戸惑った。
「そこにいるの? イリアエルさんどこにいるの?」
「いや……ここにはいない。ヌル。イリアエルは、今お前たちのほうに向かっているぞ」
「えっ? そうなの?」
「ああ、それで、お父さんにちょっと相談があってな、伝えてくれないか?」
「うん、分かった。……だけど」
「?」
「イリアエルさん、とても寂しそうだよ。困っているんだよ、今。ナモク、何とかしてあげて。イリアエルさんは、弟みたいな人でしょ?」
急に言われてナモクはびっくりした。弟……だが、ヌルの言う通りかもしれない。ナモクにとって、イリアエルは永年の部下であり腹心であった。しかし、互いにそれだけでは括れない感情があることは当然すぎるほどに分かっている。
「そうでしょ? ナモクお兄さんなんだから、しっかりしてね」
ナモクは久しく感じなかった、むしろ努めて避けていたような弱々しく生ぬるい感情をつい浮かべていた。
「ナモク? じゃあお父さん呼びに行くから、待っててよ」
「……ああ」
ナモクはタミルノのほうに意識を移して待った。