5
正式には何の知らせもなかったが、イリアエルがいなくなったことはすぐに本拠地にいる住人たちの知るところとなった。イリアエルが遂行していた日常の具体的な連絡や管理の多くが滞ったが、ナモクはまったくと言っていいほど動かなかった。変わったのは、ただ起きて一服すると会所にある暦を自分で捲るようになったことくらいであった。他にだれかを登用するわけでもなく、自分で何か指示を出すわけでもなかった。住人たちは日常的な不都合があれば適時自分たちで処理していった。
探索中の者たちにも特に何も知らされなかったので、たいていは、余所の隊の様子を知ろうとイリアエルの心を探った時に初めて異変に気が付くことになった。ただ、気が付いたとしても事の経緯を詳しく聞くことができた隊は僅かで、多くは断片的な情報しか得られなかった。
一方で、イリアエル自身は他のだれの心を読むこともせず一人歩き続けていた。もちろん、自分の噂がすぐに広まることは分かっていたが、知ったことではないと思った。こうしてみると、互いに心が読めるこの世界においても一人になることは不可能ではなかったのだ、などと思ったりもした。イリアエルにとって、他人の干渉から解放されたという気分はとても新鮮だった。
「……思えば、俺はいつもナモクを気にして生きていた。それはもちろん敬意と善意からであったが、しかしそうやって依存していたことは事実だ。ナモクだけではない。俺はいつも周囲の他のだれかを必要としていた気がする。
もちろん人はだれでも他人を必要としている。だが、そうではない。そういう意味ではなく、俺はだれかの目、だれかの心を通してしか自分を感じることができなかったのだ。つまり、俺の中には何にもない……
多くの人間が実際そうなのかもしれない。だが、少なくともナモクはどうだ? ナモクは、きっと俺とは真逆の傾向を持っているのだ。だからこそ俺はあいつに魅かれ、あいつを追い続けたのか。
それに、ナモクだけではない。ではタミルノはどうだ? タミルノは一見、いつでも他人の心配をし、周囲への配慮を欠かさず、人のために動くことを厭わない男だ。しかし、それはきっと俺のとは違う。タミルノは、本質的には俺ではなくナモクのほうに似ている。そんな気がしていた。
そう言えば……あの、マセルという男。あいつも」
イリアエルは浮かぶに任せて思いに耽りながら、きっとだれかしら自分の考えていることを読んでいるだろうと思った。しかし、そんなことを気にするのはもうやめようと考えた。そんなことだからだ。そんなことだから俺は空虚なのだ。
赤土色の地面にずっと伸びている溝を頼りに歩き続けた。この、大地に描かれた一本の線のような長い溝は、探索隊がそこを通る時にずっと引いて行ったものだ。こうやって、各隊の最後尾が掘削槌を地面に引きずりながら進む。この方法を発案したのも実はイリアエルであった。
「俺は、俺は会衆のために、統治のために……だれも本当は俺を必要としていなかったのか? ナモクも。俺はずっとあいつの役に立っているつもりだったのに。いやむしろ、俺がいなければナモクは……」
一気に矛盾したような思考が現れてイリアエルは一人昂ぶっていた。それでもとにかく歩いた。
「逃避……俺が今やっていることは逃げだ。しかし逃げでもいい。そうだ。逃げて何が悪い。だれも本気で生きてはいない。俺だけが自分に重荷を課すなんて馬鹿げている」
身体が疲れを感じるまで、とにかくこの道を歩き続けよう。この線を辿って行けば、いずれどれかの拠点に辿りつくはずだから迷う心配はない。それに、イリアエルは各隊から送られてくる情報をもとに自分で作った拠点の配置図も持っている。これを頼りにタミルノのいる新たな天光源を目指すつもりでいた。