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仕組みの外側  作者: Svolik
第二章
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第三十八章

彼女は逃げようとしなかった。逃げられないからではない。逃げる意味を見出せなかったからだ。目の前の空間は、扉もあり、見張りも常に立っているわけではなく、鎖も完全に身動きを封じるほどではなかった。それでも、そこに出口という概念は存在しなかった。なぜなら、彼女自身の内側から、前へ進もうとする意志そのものが失われていたからだった。


彼女は部屋の隅に座り、膝を抱えたまま、ほとんど姿勢を変えなかった。わずかに動くだけでも、かろうじて保っている自分の均衡が崩れてしまうような感覚があった。鎖は外されていない。それは締め付けるためのものでも、威圧のためのものでもなく、ただそこにあることで、彼女の状態がまだ確定していないことを示していた。動くことはできるが、自由ではない。その曖昧さが、かえって現実を強く意識させる。


リラとカイラは、彼女に対してすぐに手をかけた。問いかけもなく、無理に反応を引き出そうとすることもなく、ただ必要なことを行う。彼女を洗い、血と汚れを落とし、傷を処置し、新しい衣服を与える。その手つきは丁寧で、どこまで触れていいのかを理解しているかのようだった。そこには同情も軽蔑もなく、ただ行為そのものだけがあった。


彼女は抵抗もしなければ、協力もしなかった。ただ、されるがままに任せていた。自分の身体が、自分とは切り離された何かのように感じられていたからだ。


すべてが終わると、彼女は再び隅へ戻る。そして同じ姿勢で座り続ける。時間は流れているはずなのに、区切りを持たずに溶けていくようで、どこからが過去でどこまでが今なのか、境界が曖昧になっていく。


その曖昧さの中で、記憶が戻り始めた。


最初は断片だった。


光の角度。


空気の匂い。


遠くで鳴る音。


それらが少しずつ繋がり、やがて形を持つ。


彼女の名前はアヤノだった。


それは思い出したというより、戻ってきたものだった。最初からそこにあったはずのものが、一時的に遠ざかっていただけだ。


アヤノ。


その名前とともに、過去が広がる。


穏やかな日々。特別ではないが、だからこそ安定していた生活。朝が来ることに意味があり、夜が来ることに安心がある世界。何かを失うことを前提としない日常。


そして、フェンシングの道場。


サーブル。


反復される動作、無駄のない軌道、正確さを積み重ねることで成立する技術。そこではすべてが明確だった。正しい動きがあり、それを繰り返せば結果に繋がる。


彼女は優れていた。


頂点ではないが、確実に上位にいると認識される程度には。


それだけで十分だった。


それが続くはずだった。


だが、それは途切れた。


何の前触れもなく。


別の世界に引きずり込まれたとき、彼女はすぐには状況を理解できなかった。現実が一瞬で変わり、拠り所を失いながらも、崩れないために何かにしがみつく必要があった。


彼女は「勇者」と呼ばれた。


重要だと言われた。


この戦いを変える存在だと告げられた。


だが、その言葉は彼女の実感とは一致しなかった。視線や扱いの中に、どこか違和感があった。特に、彼女が女性であることに関して向けられる態度には、言葉にされない何かが含まれていた。


最初はそれを理解できなかった。


やがて、ぼんやりと気づき始める。


しかし、考えるのをやめた。


考えれば、受け入れがたいものに行き当たると分かっていたからだ。


彼女は戦うことを選んだ。


それができる唯一のことだった。


初めて人を殺したとき、身体は正しく動いていたが、内側はそれを拒絶していた。技術は成立しているのに、自分の中の何かがそれを否定している。その矛盾の中で、それでも彼女は動いた。


やがて、その抵抗は薄れていった。


消えたのではない。


押し込めた。


考えないことで、続けることを選んだ。


そして戦いは日常になった。


その延長に、あの戦いがあった。


彼――自分を倒したあの男との戦い。


彼女はそれをはっきりと覚えている。彼は自分と同じレベルにいた。ただ強いのではない。同じように読み、同じように対応し、互いに崩れない。


それは稀な感覚だった。


対等な相手。


だからこそ、その瞬間は異質だった。


顔への打撃。


それは彼女が知っている競技の中には存在しない形だった。技術の体系から外れた動きであり、だからこそ対応が遅れた。


そして意識が途切れた。


次に目を開けたとき、すべては変わっていた。


彼女は敗北していた。


それだけではない。


この世界における価値の前提そのものを、失っていた。


それは説明されなくても理解できた。これまでの扱い、言葉、そしてその後に起きたことが、すべてを繋げていた。


彼――あの男は、彼女を倒しただけではなかった。


そのまま終わらせることもできたはずだった。


だが、そうしなかった。


彼女を連れてきた。


ここへ。


鎖をつけたまま。


まるで危険のなくなった存在を管理するかのように。


彼女にはそれが理解できなかった。


殺すなら殺せばいい。


放置するなら放置すればいい。


だが、どちらでもない。


それが何を意味するのか、彼女には分からない。


だから彼女は話さない。


言葉を発すれば、それは現実を受け入れることになる。


それを避けるために、彼女は沈黙を選ぶ。


部屋の隅で、ただ時間をやり過ごしながら、周囲の気配だけを感じ取る。リラとカイラの声、足音、時折自分について交わされる短い言葉。


その中で、彼女は少しずつ理解していく。


これは終わりではない。


続きだ。


そして続きがある以上、いずれ何かを選ばなければならない。


だが今はまだ、そのどちらにも手を伸ばすことができなかった。


自分であり続けるのか。


それとも、生き延びるために変わるのか。


その問いに答えるだけの余裕が、まだ彼女の中にはなかった。

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