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仕組みの外側  作者: Svolik
第二章
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第二章

移動したという感覚はなかった。


ただ、連続していたはずの現実が、ある瞬間から別のものに置き換わっていた。


天井は消え、代わりに高い石の天蓋があった。空気は乾いていて、どこか苦味を含んでいる。匂いも、温度も、わずかに違う。


身体が先に動いた。


考えるより先に一歩ずれる。視界の端で何かが動いた気がしたからだ。


そのあとで、ようやく状況が追いつく。


人がいる。


円形の石床。刻まれた紋様。周囲を囲む数人。そして一人、前に出ている男。


視線が合う。


数秒。


それで十分だった。


嘘はない。だが、何も見せていない。


「ここがどこか、理解しているか」


落ち着いた声だった。


「元いた場所ではない、という程度には」


彼はそう答えた。


わずかなざわめきが起きる。想定していた反応ではないのだろう。


男は彼を見たまま、少しだけ表情を変えた。


「召喚されたと考えていい」


「そういう前提で話している、と理解する」


間を置く。


男の視線が、彼の身体に落ちる。


隠そうともしていない。


評価だ。


「……想定していたものとは違うな」


率直だった。


彼は軽く肩をすくめた。


「年齢のことを言っているなら、その通りだ」


そして続ける。


「おそらく、呼ぶ側の条件と、呼ばれる側の状態が一致していない」


男がわずかに目を細める。


「どういう意味だ」


「呼ばれたのは私だが、最適な状態の私ではない」


彼は自分の身体を軽く動かす。


わずかな違和感。鈍さ。


「年齢もそうだが、それ以上に――健康状態だ。今の私は完全ではない」


短い沈黙。


彼は続ける。


「だから確認している。あなたたちが求めているのが『戦える個体』なら、今の私はそれではない」


男は数秒黙っていた。


その沈黙の中で、判断が動いているのが分かる。


「……確かめる必要があるな」


その言葉と同時に、男の身体がわずかに沈む。


攻撃ではない。


準備だ。


彼はそれを読む。


そして同じように重心を外す。


次の瞬間、男が踏み込む。


速い。


だが、予測の範囲内だった。


彼は一歩だけずれる。


触れない。


それだけで十分だった。


反撃はしない。


ただ、距離を保つ。


「これで確認は終わりか」


彼は静かに言う。


男は動きを止める。


数秒、今度は先ほどより深く観察する。


やがて、わずかに頷いた。


「……なるほど。少なくとも無能ではない」


周囲の空気が少しだけ変わる。


彼は肩の力を抜いた。


「無能ではないが、完全でもない」


そのまま続ける。


「だから最初に言っておく。今の状態では、あなたたちの期待には応えられない」


彼ははっきりと言う。


「身体を整える必要がある」


視線が集まる。


「私は若くない。そして、健康でもない」


一瞬だけ間を置く。


「呼ばれたこと自体は否定しない。だが、呼ばれたタイミングは最適ではない」


静かに結論を出す。


「まず治療が必要だ」


それは提案ではなかった。


前提の提示だった。


彼らは短く視線を交わす。


決定は個人ではない。


それも分かる。


「……可能だ」


一人が言う。


彼はすぐに返す。


「代償は?」


わずかな遅れ。


「資源を使う」


曖昧な答えだった。


彼はそれをそのまま受け取らない。


「どの程度だ」


「許容範囲内だ」


具体性はない。


だが、それで十分だった。


「再現可能か」


「条件次第だ」


彼は頷く。


すべては話していない。


だが、拒否する理由もない。


「いい」


短く言う。


「やってくれ」


彼はそれ以上踏み込まない。


今はまだ、その立場ではない。


準備が始まる。


彼は観察する。


それしかできない。


少女に気づいたのは、その途中だった。


若い。


あまりにも若い。


他の者たちとは違う。衣服も簡素で、立ち方にも微妙な迷いがある。


中心ではない。


使われる側だ。


彼女は彼を見ない。


足元の紋様を見ている。


まるで、それを追うことで余計なことを考えないようにしているかのように。


彼はわずかに眉をひそめた。


何かが違う。


彼は、消耗を想定していた。


力の移動。


負担の分散。


だが――


始まった瞬間に、それが誤りだったと分かる。


流れが一方向すぎる。


戻らない。


彼は一歩踏み出す。


止まる。


もう遅い。


少女の身体が揺れる。


支えが抜けたように。


声は上がらない。


それが、かえって現実を強くする。


そして――


崩れる。


完全に。


動かない。


死んだ。


その事実は、あまりにも明確だった。


彼は目を逸らさなかった。


逸らせば、なかったことにしてしまう。


それはできない。


静寂が落ちる。


一人分、空間が減る。


彼はゆっくりと息を吸った。


身体が変わっている。


動きが軽い。痛みがない。思考も澄んでいる。


だが――


若くはない。


戻ったわけではない。


ただ、整えられただけだ。


彼は手を握る。


確かに機能している。


だが、その代償は、はっきりしている。


彼は顔を上げる。


「……あれは、必要だったのか」


問い。


責めではない。


確認だ。


「効率的な方法だ」


答えは短い。


彼は少しだけ視線を落とす。


少女がいた場所を見る。


何もない。


彼は理解する。


これは例外ではない。


仕組みだ。


彼の中に、明確な違和感が残る。


これは正しくない。


少なくとも、自分の基準では。


だが同時に、それも理解している。


今の自分には、それを変える力がない。


彼は静かに息を吐いた。


感情を押し殺すのではなく、位置を決める。


優先順位をつける。


今は――動けない。


だから、覚えておく。


それだけだ。


彼は再び顔を上げる。


「すべては話していないな」


否定はなかった。


それで十分だった。


彼はゆっくり頷く。


「いい」


短く言う。


「なら前提を揃えよう」


視線をまっすぐ向ける。


「あなたたちは、使えるものを使う」


わずかな間。


「私も、同じことをする」


それは宣言でも、脅しでもない。


ただの事実だった。

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