第一話 第二次ロンドン海軍軍縮条約
昭和九年十月、ロンドン。
日本は、各国が当然視していた「戦艦・航空母艦の全廃」という強硬な主張を、驚くべきことに自ら引っ込めた。そして代わりに、英国を抱き込む現実的な交渉戦略へと舵を切った。
その骨子はこうである。
現状の保有比率を維持したまま、主力艦の総枠を一律二〇%削減する。その代償として、戦艦の代替建造を認め、さらに軽巡洋艦枠について特例的な拡大を容認するという提案であった。
加えて、日本は英国が好んで用いる「実質的制限」という概念――すなわち数値上の制限は維持しつつ、設計上の余地を残すという曖昧な運用――を巧みに利用し、代替建造される戦艦については形式上の制限を守りながらも、実質的な性能向上を可能とする余地を確保しようとした。
これは理を取り、実も取る、極めて老獪な一手であった。
一方、米国は当初、均等に戦力を二〇%削減するという強硬な姿勢を崩さなかった。
その背景には二つの思惑があった。
第一に、日本に過大な要求を突きつけ、ワシントン体制から自ら踏み外すことを期待する政権の意向である。国際的孤立の中で日本が暴発することを、米国はどこかで望んでいた。
第二に、中国における権益確保のため、日本の行動を可能な限り抑え込みたいという戦略的思惑であった。
しかし情勢は次第に変わる。
軽巡洋艦七〇隻体制を帝国維持のために不可欠と考える英国は、日本の提案に強い関心を示した。さらに対独脅威が現実味を帯びる中、フランスもまた日英の主張に同調する姿勢を見せ始める。
日英が協調して掲げる「現実的な軍縮」という正論、そして欧州情勢を背景とした国際世論の圧力の前に、米国の強硬姿勢は次第に揺らいでいった。
予備交渉の段階では結論に至らなかったものの、本交渉に入ると流れは決定的となる。
最終的に米国も妥協を受け入れ、第二次ロンドン海軍軍縮条約は成立した。
第二次ロンドン海軍軍縮条約の主な内容
主力艦(戦艦・航空母艦)保有比率
米国:8
英国:8
日本:4.8
現有の戦艦・航空母艦を基準として、総数の20%を削減
完成後20年を経過した主力艦は、新造艦による代替建造を認可
戦艦の制限
・標準排水量 35,000トン以下
・主砲口径 14インチ以内
エスカレーター条項
条約違反国が出た場合、
・標準排水量 45,000トン
・主砲口径 16インチ
まで制限を緩和
英国に対し、軽巡洋艦については質的制限を条件に隻数制限を緩和
この条約の結果、日本は扶桑、山城の二隻を廃艦とすることを余儀なくされた。
また老朽化の進んだ金剛型についても、新造戦艦による代替が予定されることとなる。
この決定が、後に播磨型戦艦という存在を生み出すことになるとは、
この時点ではまだ、誰も正確には理解していなかった。




