第十八話 第三次ソロモン海戦後のガ島攻防戦
第三次ソロモン海戦を終えてトラックに帰ってきた艦隊は傷だらけだった。旗艦播磨は2番主砲の防盾にワシントンの砲弾を受けて、貫通こそ許さなかったものの装甲板の裏が剥離し破片が砲塔内をズタボロに傷付けたことで機能喪失していたことが判明した。第一夜戦で敵重巡の砲弾で後部のカタパルト、クレーンも損壊し、高角砲も半数が機能不全に陥っていた。
2番艦美濃はもっと損傷が激しく、艦橋上部が崩落し艦長以下幹部が全員戦死を遂げた。またサウスダコタの40cm砲弾にバイタルパートを撃ち抜かれて機関も半分機能喪失。後部3番主砲も貫通を許して何とか誘爆は防いだものの、砲塔は全損である。後部艦橋から副長が何とか指揮を執って生還したが、損害甚大であった。
霧島も3番主砲下と航空甲板に大きく破孔ができてしまい、航空ガソリンに引火したことで大火災となっていたが船体は幸い無事で、自力で帰投することが出来た。
一方で大きな戦果を挙げることができた。何よりヘンダーソン飛行場を無力化に成功、陸軍の増援を送り届けることに成功した。そして海軍としては最大の名誉である、戦艦対戦艦の砲撃戦を制してサウスダコタを撃沈したこと、水雷戦隊も自慢の酸素魚雷でワシントンにとどめを刺して撃沈したことで大いに名を挙げた。
播磨、美濃、霧島は揃って呉に帰投し、乗員は国民的祝福を受けながら英雄扱いされることになった。修理のために長期入渠のため、半舷上陸が認められ、死線をくぐった乗員たちに久しぶりの休暇が与えられた。水兵の中では播磨乗員というだけで女にもてたり、飲み代を勉強してもらえたりと大喜びだが、逆に英雄をかたるニセ乗員も出現することになった。
戦局は陸軍の大規模部隊を揚陸成功したことで補給状況が一気に改善したものの、ヘンダーソン飛行場は数日で機能を回復し、再び制空権は米側へ渡ることになった。続かない補給と絶え間ない空襲に晒されるガ島部隊は次第にジリ貧に陥っていく。鼠輸送のみでは必要な補給量を満たせず、次第に追い詰められていく日本軍。ルンガ沖夜戦で日本水雷戦隊ここにありを見せつけたが、ますます増強される航空戦力にもはやなすすべも無く、昭和一八年に入った直後、ついに大本営はソロモン一帯の放棄を決断し、防衛線をラバウルまで下げることとなった。夜間に駆逐艦を使って隠密に撤退作戦を成功させ、無事に引き上げることができたようだ。
昭和十八年一月、横須賀にて改播磨型一番艦近江が竣工した。防御力を対15インチまで引き上げた播磨型の完成形ともいえる戦艦である。
その一方で損傷した播磨、美濃の修理について艦政本部は頭を悩ませていた。特に美濃である。機関半壊、主砲も1基失い艦橋が崩落した艦を完全に修理するには1年半を要すると判断された。しかしガ島、ソロモン撤退を受けて戦局は風雲急を告げており、もはやその時間的余裕は許されない。
出した結論は美濃の修理を放棄する、搭載した主砲は四番艦筑後と播磨の損傷した2番砲を置き換えることに使い、工期短縮を図る、ということであった。美濃は柱島沖で武装をすべて陸に上げられ、ただ浮かぶだけの置物となってしまった。
美濃乗員は地団駄を踏んで悔しがったが、改播磨型の最終艦筑後への配属が決まり、復讐を果たすとさらに燃えがっていくことになる。
完成した近江は新たに第四戦隊の旗艦となって播磨とその任にあたることになった。播磨の修理に2カ月を要したものの昭和十八年一月に近江の竣工とほぼ同時に戦列に復帰した。今回の修理を受けて機銃がさらに増設され、主砲塔上に3連装機銃が2基ずつ4基、艦首艦尾の空きスペースに単装機銃が12基追加された。近江も完成時から同様の改修が施されている。
早速柱島泊地からトラックに進出し、猛訓練の日々を過ごすこととなった。
昭和十八年五月まで大きな出番はなく、訓練とともに内地へ戻るタンカーの護衛と本土からトラックを経由してラバウルへ増援を送る改造空母の護衛の日々を過ごす第四戦隊の2隻。
米側も日本がソロモン全域を放棄したことを信じられないのか無人の島に一つずつ猛砲爆撃を加えながら少しずつ前進しているようだ。ラバウルを巡る航空戦も熾烈をきわめているが、本土やトラックの艦隊や母艦航空隊の再建は全く他人事のように進んでいた。




