婚約破棄され、家族と姉に虐げられ続けた悪役令嬢ですが、家を飛び出した先で隣国の皇太子に一目惚れされ、最初は拒絶したものの彼の甘く苛烈な復讐と溺愛に守られて次期王妃の座を掴み取ります
一 虐げられた侯爵令嬢
侯爵家の次女として生まれたアリシア・フォン・ウェルナーの人生は、誕生と同時に歪み始めていた。
両親は彼女を望まなかった。彼らにとって「娘」とは一人で充分だったからだ。
姉ローゼマリーは幼少期から人並み外れた才を示した。学問も芸術も舞踏も、王族との交際さえも完璧にこなし、「侯爵家の至宝」と呼ばれる存在となった。
一方でアリシアは、同じ血を分けたとは思えぬほど、親から顧みられない存在だった。食事の席で声を上げても無視され、誕生日を祝われた記憶すらない。
それどころか、姉からは常に罵倒と暴力が降りかかる。
「お前は本当に役立たず。私の妹であることが恥ずかしい」
顔に残る痣も、誰からも咎められることはなかった。
唯一の救いは、王太子エドワードとの婚約であった。
幼い頃に結ばれたその婚約は、アリシアにとって唯一「必要とされている」と感じられる証だった。彼は表面上は優しく振る舞い、アリシアはその温もりを必死に信じた。
だが、それは幻でしかなかった。
二 婚約破棄
十八歳を迎えた年の春。社交界の夜会の場で、すべては崩壊する。
煌びやかなシャンデリアの下、王太子エドワードは堂々と声を響かせた。
「アリシア・フォン・ウェルナーとの婚約を、ここに破棄する!」
会場にざわめきが広がる。
彼の腕には、姉ローゼマリーの姿があった。
「真に相応しいのはローゼマリーだ。彼女こそ王妃に相応しい才を持ち、皆に慕われている。アリシア、お前との婚約は父王の意向に従っただけで、もはや必要ない」
冷酷な言葉に、周囲は同情の視線を向ける者すらいなかった。誰もが、完璧な姉こそが王妃に相応しいと心のどこかで思っていたからだ。
アリシアはその場で声を失い、必死に唇を噛みしめた。反論しようとも、震える喉は声を紡げない。
そして視線を落とした瞬間、姉の嘲笑が耳に届く。
「やっぱり、あなたは何もできないのね。惨めな妹」
その夜、アリシアは屋敷に戻ると同時に荷物をまとめた。
もはや侯爵家に居場所はない。いや、元より居場所などなかったのだ。
夜の帳を縫い、彼女は一人馬を駆って国境へと向かった。
三 絶望の逃避行
護衛もなく、所持金もわずか。国を出ることすら無謀な逃避行だった。
それでもアリシアは走り続けた。何かに追われるように──いや、実際追われているのだ。侯爵家の威信を守るため、彼女が勝手に姿を消せば醜聞となる。捕らえられれば、再び監獄のような日々が待っている。
雨に打たれ、泥にまみれ、それでも進む。
やがて夜明け、隣国ガルディア王国の国境近くで、アリシアは力尽きた。
そこで彼女を拾ったのは、偶然通りかかった騎馬隊だった。
四 皇太子との邂逅
金の髪に蒼穹の瞳。鋭さと優美さを兼ね備えた男は、アリシアを見下ろすと、すぐに抱き上げた。
「……これは天の贈り物か。なんと美しい」
低く響く声が耳を打つ。
彼こそ隣国ガルディアの皇太子、レオンハルト・フォン・ガルディア。
彼はアリシアを城へと連れ帰り、侍医に手厚く看護させた。
目を覚ました彼女に、レオンハルトは告げる。
「名を聞かせてくれ、天使のような淑女よ」
「……アリシア、です」
「アリシア。素晴らしい名だ。……私は一目で心奪われた。私の妃になってくれ」
唐突な言葉に、アリシアは目を見開く。
「冗談……でしょう?」
「真実だ」
だがアリシアは首を振った。
「……私は、王妃に相応しい人間ではありません。家族に愛されず、婚約者に捨てられ……何の価値もない女です」
その拒絶に、レオンハルトはかえって瞳を燃やした。
「ならば、その愚か者どもに思い知らせてやろう。お前を蔑ろにした全てを、俺が潰す」
アリシアは慄いた。彼の眼差しは愛を語りながら、同時に深い怒りを湛えていたからだ。
それは、彼女のために振るわれる苛烈な力の予兆だった。
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五 復讐の始まり
レオンハルトの宣言を、アリシアは恐ろしく思った。
だがその恐怖は、彼女がこれまで感じてきたものとは違った。両親や姉、元婚約者から受けてきた蔑みは、アリシアをただ傷つけるだけのものだった。
けれど、レオンハルトの瞳に宿る怒りは、彼女を守ろうとする焔だった。
「……やめてください。復讐なんてしても、私の心は癒えません」
必死にそう言うが、彼は静かに首を振る。
「いいや。お前を苦しめた者どもがのうのうと生きる限り、アリシアの心は解き放たれない。俺はそれを許さない」
その言葉に、アリシアは口を閉ざした。
彼の強すぎる愛情は、恐ろしくも甘美な檻。拒むほどに強く抱き締められてしまうような気がした。
六 凋落する侯爵家
それから間もなく、ガルディア王国からの外交使節団がウェルナー侯爵家を訪れた。
名目は「友好のため」だったが、その実態は苛烈な糾弾だった。
「侯爵家が娘を虐げ、正当な婚約を破棄され、国外に逃げざるを得なかった──これが事実か?」
使節団の問いに、侯爵夫妻は蒼白となった。
「な、なんの証拠が……!」
「証拠ならばいくらでもある。アリシア殿が隣国で衰弱し倒れていたのを救ったのは我が国の兵だ。その身体に残る痣、医師の診断書、それで充分だろう」
侯爵家の罪状は瞬く間に王国中に知れ渡った。
虐待、婚約者の裏切り、姉の横暴──どれも噂として囁かれていたが、真実と証拠を突き付けられれば、世論は一気に侯爵家を断罪した。
彼らは爵位を剥奪され、財産の大半を没収。領地も王家の管理下に置かれ、一族は都から追放された。
その報せを受けたアリシアは、複雑な感情を抱いた。
胸の奥が痛む。だが、それ以上に、ようやく自分を苦しめてきた鎖が断ち切られたという解放感があった。
七 姉の末路
しかし、レオンハルトの復讐はそれだけでは終わらなかった。
彼はアリシアの姉ローゼマリーに目を向ける。
ローゼマリーは王太子エドワードの婚約者として華やかに振る舞っていた。だが、その裏では自らの権力を誇示し、他者を侮蔑してやまなかった。
彼女の高慢な言動は記録され、証拠として集められていた。レオンハルトの情報網は徹底していた。
やがて、エドワード王太子とローゼマリーの婚約披露宴の席上。
突如としてガルディア王国からの使者が現れ、彼女の数々の醜聞を暴露した。召使への暴行、学友への侮辱、他国への密かな侮蔑発言──それらは証人と共に突き付けられた。
「こんな女が王妃に相応しいと? 笑わせるな」
列席者は冷ややかな視線を送り、エドワードの顔は羞恥に紅潮した。
翌日、ローゼマリーは王太子から婚約を破棄され、社交界から追放された。
誇り高い彼女が人々から嘲笑を浴びる姿を、アリシアは遠い報せとして聞いた。
胸に広がるのは、復讐の快楽ではなく、静かな安堵だった。
自分を虐げ続けた姉が失墜したことは、過去が過去として閉じられていく証だった。
八 崩れ落ちた王太子
最後に残るは元婚約者、エドワード王太子。
彼はローゼマリーを失った後、国王からの叱責を受け、政治的な立場を急速に失っていった。
さらにガルディア王国からの圧力により、国王はエドワードの婚約破棄を「国際的な不名誉」として断罪せざるを得なかった。
やがてエドワードは王太子の地位を剥奪され、遠方の辺境へ追放される。
彼がどれほど後悔の言葉を吐こうとも、もう遅かった。
──その全てを、レオンハルトはアリシアに報告した。
「お前を裏切った者はすべて没落した。もう二度と、誰にもお前を傷つけさせはしない」
その瞳には揺るぎない決意と、燃えるような愛情が宿っていた。
九 皇太子の求愛
復讐が終わった後も、レオンハルトはアリシアへの求愛をやめなかった。
「アリシア、俺の隣に立ってほしい。お前は王妃に相応しい」
アリシアは怯えながらも問う。
「どうして……私なんですか? 私は、なにも持っていないのに」
彼は微笑んだ。
「お前が生きていてくれただけで、俺には充分だ。強くあろうとしなくていい。傷ついて、泣いて、頼ってくれればいい。俺はお前の盾になりたい」
その言葉に、アリシアの胸は熱く揺れた。
生まれて初めて、誰かに「必要だ」と言われた。
涙が溢れ、彼の胸に顔を埋める。
「……私で、いいのですか」
「お前以外はいらない」
その夜、アリシアは初めてレオンハルトの腕の中で安らぎを覚えた。
十 次期王妃として
やがて、ガルディア王国全土に「皇太子レオンハルト、アリシア・フォン・ウェルナーとの婚約を発表」という勅命が下る。
多くの貴族が驚いた。虐げられ、婚約破棄され、居場所を失った娘が、今や隣国の次期王妃となるのだ。
だが、レオンハルトの強い意志と、アリシアの清廉な人柄に触れた者たちは、次第に二人を祝福するようになった。
婚約披露の夜。
煌めく宝石を散りばめたドレスを纏い、堂々と歩むアリシアの姿に、人々は目を奪われた。
かつて虐げられた少女の面影はなく、彼女は誇り高き未来の王妃として輝いていた。
壇上でレオンハルトが彼女の手を取り、宣言する。
「この日をもって、アリシアは我が妃となる。彼女を愛し、守り抜くことをここに誓う」
会場に大きな拍手が響き渡る中、アリシアは静かに微笑んだ。
長く続いた苦しみの日々は終わり、これからは愛と誇りに満ちた未来が待っている。
──こうして、虐げられた悪役令嬢アリシアは、隣国の皇太子の深い愛と苛烈な復讐に守られ、次期王妃の座を掴み取ったのだった。