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夜会をたゆたうクラゲ令嬢は、鮫のような公爵令息と出会う

 メリーナ・リージュ、16歳。

 青みを帯びた波打つ黒髪、深海のような碧眼、上下に白いドレスを纏い、いつも笑顔を絶やさない、おっとりとした子爵令嬢である。

 そして彼女の最も特筆すべき点は、その捉えどころのなさであった。


 メリーナも貴族令嬢として、さまざまな夜会に顔を出す。

 しかし――


 ある公子がメリーナに声をかける。


「少しお話よろしいでしょうか?」


「ええ、どうぞ」


 メリーナもニッコリと応じる。


「近年、我がウォスト家はめまぐるしい発展を遂げていましてね。これというのも我が父が……」


 公子はいかに自分の家が優れているか存分にアピールする。

 メリーナはそれをニコニコしながら聞いていた。


「……というわけです」


 アピールを終えた公子が得意げに笑むと、メリーナも微笑む。


「あなたはとてもお父様のことが大好きなんですね」


「……え!? ええ、まあ……」


 てっきり「すごい!」「魅力的です」のような言葉を期待していた公子は呆気に取られる。


「それに、よどみなく自分の家について説明できるのもすごいです。よほど努力なさったんでしょうね」


「そ、そうですね。アハハ……」


 なんとも妙な褒められ方をしてしまい、この公子はたじろぐしかなかった。


 ある時の夜会では、メリーナは一人で黙々とスコーンを食べ続けていると思いきや、いつの間にかある令嬢のグループに混ざっている。


「皆さん、楽しそうですね」


「あらメリーナさん、さっきまでスコーンを食べてませんでした?」


「ええ、とっても美味しかったです」


 ――と思いきや、会場をふらふらと歩き、さまざまな相手にカーテシーを披露する。


「ごきげんよう」


「ど、どうも」


 それが終わると、曲も流れていないのに一人でダンスをする。

 しかも、振り付けとステップはレベルが高い。他の出席者をすり抜けるように優雅に舞う姿はさながら白い妖精。


 このように社交界のセオリーなど無視するかのように、夜会をメリーナ流に楽しむ。

 しかし、本人の持つ雰囲気のおかげなのか、そんな彼女を煙たがる者はいなかった。

 むしろ、名物とでもいうべき存在になっていく。

 誰かが言った。


「メリーナ嬢はまるでクラゲのようだな。クラゲのように夜会をふわふわとたゆたう……」


 これが言い得て妙だと思われたのか、いつしかメリーナは“クラゲ令嬢”と呼ばれるようになっていく。

 これを本人に直接伝えた者もいたが、当のメリーナは、


「クラゲですか。ありがとうございます。私、泳ぎは好きなので嬉しいです!」


 とニッコリ笑った。

 奇妙な異名をつけられても、嫌がるでもなくすんなり受け入れてしまう。


 こうなるとますますメリーナは有名になり、プレイボーイとして有名なある伯爵令息が「彼女を落としてみせる」と名乗りを上げる。


「やぁ、メリーナ嬢」


「あら、ごきげんよう」


 ここでプレイボーイ令息は、自信のある前髪をかき上げる仕草を披露する。これだけで相手の女性が顔を赤らめることすらある必殺技。

 しかし、メリーナは無反応だ。


「君のその青い瞳……まるでサファイアのようだ」


「サファイアって確かものすごく硬いって聞きますね。そんなのが両目にあったら、きっと頑丈で頼もしいでしょうね」


「そ、そうだね」


 他にも――


「君の美しさはまるで女神のようだよ」


「女神といえば……この間、異国のミチャモという女神様の像を見たんですけど……とてもユニークなお顔をしてらっしゃいました!」


「そ、そうなんだ」


 口説き文句の数々にもあくまで自分のペースで応じる。

 ならばあまりスマートな手段ではないがと、アルコール度数の高めの果実酒を勧め、ほろ酔いしたところを口説く作戦に出る。


「美味しいですね~!」


「……!」


 メリーナはまるで酔わず、一緒に飲んだ令息の方が酔ってしまうという有様だった。


「大丈夫ですか? お水をお持ちしましょうか?」


「いや……平気だよ……」


 ふらふらとプレイボーイ令息は退散する。完敗である。

 後日、彼はメリーナへの印象を語りつつ、肩をすくめる。


「何をやっても通じない……。外に干してある布を手で押したり叩いたりする感覚さ」


 メリーナは白いドレス姿で今日も社交界をふわふわとたゆたう。



***



 アレオス・ディブリークス、17歳。

 襟足の長い金髪、真紅の瞳を持ち、長身の美丈夫。群青色のスーツを着こなし、家柄としては公爵家の嫡子にあたる。

 ディブリークス家は騎士の家系であり、アレオスは幼い頃から厳しい訓練を受けてきた。

 おかげで騎士としては申し分ない実力を身につけた。

 14歳で、騎士見習いとして山賊討伐に参戦するが、ここで山賊五人を討つ快挙を成し遂げる。

 もはや実力は大人顔負けといってよく、15歳で正式な騎士として叙任を受ける。

 それからたった二年で自分の部隊を率いることを許され、17歳の若さで指揮官として活躍している。

 だが、いざ貴公子として社交界に出ると――


(どいつもこいつも自分の家や身分を笠に着た軟弱者ばかり……自分の足で立っていない……)


 見栄と虚飾が跋扈する社交界にはまるで馴染めなかった。

 なにしろ己の武や剣をひけらかすのは戦場だけでよい、と教わった彼からすればあまりにも正反対な世界なのだ。

 公爵家の令息ということで、当然さまざまな令嬢からアプローチを受けるが――


「わたくし、お菓子作りと紅茶を淹れるのが趣味なんです。裁縫も得意で、自分の服も作りますの。他には……」


「さっきから自分の話ばかりだ。君はよほど自分が好きなんだな」


「え……」


 こんな具合にバッサリと突き放してしまう。


 また、ディブリークス家と関係を持ちたい令息からも声をかけられることが多い。


「僕の家は近年は農家への支援を盛んに行っており、さらに民の安全を守るため兵士を増強し……」


「その中に一つでも、君自身がやった政策はあるのか?」


「あ、ええと、それは……」


 それこそ鋭利な剣で刺すように、相手を冷たくあしらってしまう。


 もちろん、アレオスにもこのままではまずいという自覚はある。


(これでは人脈を広げることも、結婚相手を見つけることもできん……。自分と家の評判を下げるために夜会に出ているようなものだ)


 頭では分かっていても、愛想よく接する、世辞を言う、などの基本的な処世術が苦手なアレオスは、近づく者全てに噛みつくような社交を続けてしまう。

 やがて、愛用する群青色のスーツも手伝ってこう呼ばれるようになる。


「アレオス様はまるで鮫だな。鮫のような貴公子だ」


 もちろん彼に直接言う者はいなかったが、アレオスの耳にも入る。

 アレオスはこれを聞いてむしろニヤリと笑う。


(鮫か……その通りだ。鋭い牙を持ち、獰猛で、肌さえ人を傷つける……。いっそ鮫のような男として名を馳せるのもいい。ディブリークス家の血を残す役目は弟たちが担えばいい)


 アレオスは群青色のスーツ姿で、今日も賓客たちを恐れさせる。



***



 雲一つない満月の夜だった。ある貴族の屋敷で規模の大きい夜会が開かれる。

 メリーナとアレオスはこの夜会に出席していた。

 メリーナは相変わらずのマイペースで、料理を食べ、誰かと話し、時には休み、と夜会をたゆたう。

 一方、アレオスはいつもと変わらぬギラギラした雰囲気を纏い、誰も近寄れない状態になっていた。

 しばらく穏やかな雰囲気でパーティーは進むが――


「ごきげんよう」


 メリーナがニコニコ笑いながら、アレオスにカーテシーをする。

 アレオスはそんな彼女を険しい目つきで見つめる。


 二人を知っているある公子が思わずつぶやく。


「クラゲと鮫が……出会ってしまった」


 二人とも社交界では名が知られ、しかも奇しくも海洋生物に喩えられる者同士。

 周囲の注目が自然と二人に集まっていく。


「メリーナ・リージュと申します。初めまして」


「……アレオス・ディブリークスだ」


 二人の身長差は大きい。メリーナの頭はアレオスの肩ほどしかない。

 アレオスはそんなメリーナを見下ろす。


「ずいぶんふわふわとした雰囲気の令嬢だ」


「よく言われます」


 メリーナは穏やかな笑顔を見せる。


「よく言われる? つまり、ずっとそんな感じだったということか」


「はい」


「……俺のような貴族の男が家を担う柱なら、貴族の女性は家を飾る看板だ。看板がそんなにふわふわした態度では、かえって家の名を汚すだけじゃないか? しかもそれを直そうともしていない」


 さっそくアレオスの牙が炸裂する。

 同時にまたやってしまったと思う。


(これでこの子も俺から去っていくだろう……)


 ところが――


「はい、おっしゃる通りだと思います」


「え」


「私、どうしたらいいと思いますか?」


「俺に聞かれても……」アレオスは戸惑う。「とりあえずキリッとしてみたらどうだ?」


「そうですね……やってみます!」


 すると、メリーナは打って変わって凛とした顔つきになり、髪をそっとかき上げる。


「わたくし、メリーナと申しますの。ごめんあそばせ」


 その変貌ぶりにアレオスも思わずドキリとする。が――すぐに元通りになってしまう。


「もって数秒というところですねえ」


 おっとり笑うメリーナに、アレオスも苦笑いする。


「数秒ではどうしようもないな……」


 だが、アレオスはここで我に返る。


(この令嬢のペースに巻き込まれてどうする! 俺は鮫なんだ、近づく者には牙で食らいつかねばならない!)


 緩んだ目つきを鋭くする。


「メリーナ、君ははっきり言って浮いた存在だ。社交の世界に相応しくない!」


 言いながら、アレオスは「俺もだけどな」と心の中でつぶやく。

 だが、メリーナはまるでこたえていなかった。ニコニコしている。


「……!」


「私からも一言よろしいでしょうか」


「な、なんだ」


「そんなに他の人に噛みついていては、疲れませんか?」


 ――クラゲには毒もある。


 毒針による一刺しのような一言だった。

 アレオスは目を見開く。

 周囲もにわかに騒がしくなる。

 アレオスは腕力も権力もある。数々の武勇伝も知られている。

 激怒した鮫によってメリーナの身に危機が――そんな光景を想像した。


「そ、その通りだ……」


 アレオスはあっさり認めた。

 鮫のように近づく者全てを傷つける有様だった彼だが、意外にも攻撃を受ける側になると脆かった。


「どうすれば変われるだろうか?」


 メリーナは腕を組む。


「うーん、難しい質問ですね」


 しばらく考えた後、ニコリと笑う。


「ひとまず私と夜会を楽しみませんか?」


 差し伸べられた小さな右手を、アレオスは一回り大きな右手でゆっくり握る。


「ああ、そうさせてもらおう」


 その後、メリーナはアレオスを連れ回す形でふらふらと夜会を楽しむ。

 挨拶を交わし、雑談し、食事を楽しみ、時にはダンスをする。

 二人は今日が初対面だったにもかかわらず、その姿は不思議と絵になった。

 会が締めくくられる頃には――


「メリーナ嬢、どうやら俺は……君のことが気に入ってしまったみたいだ」


「はいっ、私もアレオス様のこと、好きになっちゃいました!」


 メリーナはニッコリ笑って堂々と答え、アレオスはかえって動揺してしまう。


「では、今度はぜひ二人きりで食事でも」


「楽しみにしています」


「うん……ありがとう」


 二人の様子を見て、ふと誰かがつぶやいた。


「クラゲと鮫の勝負は……クラゲの勝ちだったか」


 それからというもの、メリーナとアレオスの交際は順調に進んでいく。

 二人で食事をし、演劇を鑑賞し、乗馬を楽しみ、舞踏会に参加し……。

 メリーナの雰囲気にほだされ、アレオスの気性も少しずつ柔らかくなっていった。

 ある時、彼はメリーナに尋ねる。


「君のそのふわりとした雰囲気は元々なのかな?」


 メリーナはうなずく。


「そうですね。元々こんな性格でした。でも……」


「でも?」


「私の家、父と母がよく喧嘩をしていたんです。家の中の空気はよくなかったですし、私も悲しかった。だけど、私があえていつもの感じでふらふらと家を動き回ると、みんな和んでくれて……そのおかげかは分かりませんが、両親はあまり喧嘩をしなくなり、家の雰囲気もよくなりました。このことが、私の生き方を決定づけたのかもしれません」


 “クラゲ令嬢”と言われるメリーナにも、たゆたうようになったきっかけはあった。

 これを聞いたアレオスは頭をかく。


「君は立派に家のために立ち回っていたんだな。まったく、君のことを“家の名を汚す”などと言った自分が恥ずかしくなる」


「あら、アレオス様も恥ずかしくなるなんてことがあるんですね」


 無礼とも取れる物言いだが、メリーナが言うと不思議と気にならない。


「そりゃあるさ。いや、正確には“恥ずかしい”と思ったことをきちんと表に出せるようになった感じかな」


 アレオスにも社交界で他人を傷つけ、“鮫のよう”などと呼ばれる自分を恥ずかしく思う気持ちはあった。

 それでもメリーナに出会うまでは「それで別にかまわない」という心境だった。

 しかし、メリーナのおかげでわずかずつではあるが変わりつつある。


「君こそ、恥ずかしいと思うことはあるのかい?」


「ありますよ!」


「例えば?」


「この間、父とある伯爵様のお家に、融資の件でお伺いしたんです。私も娘としてお屋敷にいた伯爵様に挨拶して、話しかけたんですが、返事がなくて……。そうしたら、よくできたお人形だったんです」


「そ、それは恥ずかしい……」


 予想を超えた恥ずかしエピソードであった。


「でもおかげで和みましたし、そのせいかは分かりませんが融資の話し合いも上手くいったそうです」


「絶対和むだろうね、それ」


 水の中で漂うクラゲを見ていると、人の心はどこか落ち着く。

 メリーナにもそんな魅力があるのだろう、とアレオスは感じた。

 そして――


「メリーナ、俺と婚約して欲しい。ともに鮫だのクラゲだの言われる者同士……どうせなら同じ海で一緒に泳いで生きていきたい」


 異名をも活用した渾身のプロポーズ。

 メリーナはいつものようにニッコリ笑った。


「はい、泳いでいきましょう。私もアレオス様と一緒にいっぱい泳ぎたいです」


「ありがとう、メリーナ……」


 アレオスが感激で目を細める。


「ではさっそく、二人で海に行きましょうか?」


「あ、いや、泳ぐというのは物のたとえで……」


 こうして二人は結婚。

 “クラゲ令嬢”メリーナは“鮫のような貴公子”に嫁ぎ、メリーナ・ディブリークスとなったのである。



***



 数年後、公爵家のフィニス・エンディーレという青年が、ディブリークス邸に遊びに来ていた。


 今や夫人となったメリーナと、その夫アレオスが出迎える。


 アレオスは結婚を機に当主の座を譲り受け、ディブリークス家の騎士団長ともなった。

 鮫のような勇猛さに加え、貴族としての優雅さを持ち合わせた彼は、今や若い世代の貴族の代表的な存在となった。

 メリーナもそんな夫に相応しい気品と貫禄を身にまとっている。


 さらに夫婦は子宝にも恵まれた。

 メリーナは男児三人、女児二人を出産。

 使用人たちのフォローを受けつつ、立派に子育てをしている。


 応接室にて、フィニスは紅茶を飲みながら語る。


「アレオス、このところの君の躍進ぶりは素晴らしい。いい奥さんを手に入れたものだな」


「ありがとう」


「それにしても子供が早くも五人か。貴族は子をなしてナンボというところがあるが、それにしても君もずいぶん張り切ったものだ」


「まあな」


 その横でメリーナはおしとやかな笑みを浮かべている。これは結婚前では見られなかったものだ。


「ところでちょいと艶っぽい話になるが、夫婦の営みの方はどうなんだ? やっぱり“鮫”だなんて言われた君がグワーッといく感じか?」


 フィニスがジェスチャーを交え、からかうように尋ねると、アレオスは視線を逸らし、顔を赤らめる。


「いや……どちらかというと、鮫がクラゲに絡め取られて動けなくなる……って感じかな」


「え……」


 意外な答えにフィニスが反射的にメリーナの方を向く。


「うふふっ」


 白いドレス姿のメリーナは、おっとりとニッコリ笑った。






おわり

お読み下さいましてありがとうございました。

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水族館でライトアップされた宝石のように美しいクラゲを見ていたら絡め取られるのも本望かもしれませんね
メリーナ嬢のように両親が不仲、DVやモラハラを行うような親の元に生まれた 子には異常なまでに空気を読むのが上手かったり相手の気持ちの機微を俊敏に 読み取ることができたりしますよね。 そんな彼女に会え…
海月姫に絡みとられる鮫男。 「うふふっ」が意味深ですね。 想像するだに…………麻痺毒にヤラれちゃったのかな? 海はまだまだ謎がいっぱい。 伝説になるような生き物が本当に居てもおかしくない世界だから、…
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