プロローグ:魔法、魔導・1
魔導とは、人間の魔と呼ばれるモノの探求であるのか。
それとも魔法の意味を求めるものであるのか。
はたまた法を解き明かす試みであるのか。
いずれとして私たちは、未だその意味すら知らない。
――――その書の一節に、小さくため息を吐いた。
例えば。
俺たちは郵便のシステムを知らずともそれを利用することができる。けれど、知ろうと思えばそれを知れるし、志願すればそのシステムに深く関わることもできる。
例えば俺たちは、電子レンジの仕組みを知らずともそれが使える。けれどやはり、知ろうと思えばそれを知れるし、志せば、より詳細な現象論を紐解くこともできるだろう。
そして、知らずにいることも、関わらないこともできる。
なのに、魔法というものは……。
知ろうと思っても答えはどこにも載っていなくて、故に志し探求することはできても、――降りることはできない。
「魔法と呪いの違いって分かる?」
本を棚に戻していると比代実先輩から声がかかって、僅かの間、考える。
「――現実現象とオカルトの違いでしたか?」
「正解。――でも正解なのかな? 魔法だって、そも根本の理屈が解明されていない分野なのに。――もう一問。この世界はどうして、科学と魔法が両立されて発展したのかな?」
「それは……さあ……、ええと……なんでしたっけ?」
「それがあまりに現実的であったからだよ。目を逸らせなかったんだ」
つまらない答えに失笑が漏れた。
「そんなものだよ」と比代実先輩は言葉をかけて、俺は今、表情が強張っていたのだなと自覚した。
深呼吸して顔の力みを解いて、先輩へ手を振った。
「また明日来ます」
「うん、さようなら」
図書館を出ると、もう外は夕暮れ時の茜だった。
置いてきた教科書を取りに、教室へ歩みを向ける。
◇
「…………」
居残り生徒は、俺だけではなかったようだ。
一人の生徒と、一人の教員。教室にいた二人はバケツの置かれた机を挟み、奇妙な沈黙をもって向かい合っていた。
夕焼――外の茜のことではない、クラス担任である夕焼は、山の稜線に沈む夕日を死んだ魚のような目でぼうっとただ見つめていた。
相対する生徒は、ちらりとそんな教員に視線を向け、再び眼前に置かれたバケツに、気落ちしたように視線を戻した。
「先生」
ぽしょりとした発言で静寂が破られれど、教室に満ちる哀愁は深まるばかり。
「……はい」
「少し、変化があるように思えます」
机の上に置かれた、水の張られたバケツをじっと見つめながら、ぽつりと言う。
夕焼は濁った瞳をバケツに向け、人差し指をバケツに突っ込んだ。
「レミ」
「はい」
「変化とは」
「水が、少し冷たい気がします」
事実を伝えるというより、希望的観測を口にするような調子だった。
「……そう?」
「はい」
「これで顔を洗っても、目は覚めなそうだけれど」
「気持ちの問題だよ」
「そっか。レミ」
「はい」
「今日は帰ろうか」
「……………………うん」
……面倒くさい場面に立ち会っちゃったな。
顔を顰めて教室の入り口で佇んでいると、案の定、夕焼はこちらに面倒を振ってきた。
「成志郎、レミを連れて、今日はもう帰るように」
「……はい」
まあいいんだけどさ……。
「ほら、蜜凪、帰ろう。…………。バケツ、片しとくから」
バケツを片して、自分の支度を終えると、席を引いて、彼女の隣に座った。
補修を受けていた彼女が再起動するまでに、しばしの時間を必要とした。