真実の愛の取扱説明
【sideマリア】
「これは契約結婚だ。私には愛する人がいる。
だから君を抱く気はないし、もちろん跡継ぎを産むのも君ではない」
そう宣ったのはルイス・マエスタス侯爵令息です。
美しい金髪をふんわりと撫で付け、金粉を散らしたエメラルドの様な美しい瞳は、何の温度もない眼差しで求婚相手である私を見つめております。
こんなことを恥ずかしげも無く堂々と言っている慮外者であるというのに、その顔面の良さですべてを良しとしている感じが凄いわ。
「今流行りの真実の愛というものですか」
「……私の彼女への思いを、その辺の軽々しいものと同じにしてもらっては困る」
彼の最愛の人のことは知っています。
男爵家の令嬢で、学生の頃からマエスタス侯爵令息とお付き合いをしていたのは私達の世代では有名なお話ですもの。
確かに学生の間は真実の愛として周囲も持て囃しておりました。それは家の為の結婚が決まっている子息令嬢達の憧れであり、でも決して自分達では行うことの無い、愛だけで繋がった夢物語でした。
「あら、気持ちの重さとはどのようにして量れるものなのでしょう。私にはよく分かりませんが、当事者ではどうしても主観が入ってしまう為、他者が測定するべきだとは思いますけどね」
あら、ムッとしてしまったわ。
私のこういう物言いが生意気だと言われるのは分かっておりますが、これから一生を共にするのなら我慢するつもりはございません。
これでもかつては名家と言われたクエルバル伯爵家の娘です。家格が下だからと舐めてもらっては困ります。
「でもそうなると、私は美味しいとこ取りをしてよいということですのね?」
「は?」
「だって正妻の立場を得られますし、貴方の大切な女性が命懸けの出産もして下さるのでしょう?」
「……命懸け?」
まったく、これだから殿方は困ります。
愛する人との子供を望むくせに、それがどれ程大変なことなのかをまったく理解していないのですから。
「ええ。まずは子を成せるか。ここから神経を使います。3年以内とは言いますが、半年くらいから『子はまだか』という催促が始まります。2年目には妻が石女なのではと言われるようになるでしょう。そして、3年で再婚を打診されるのでは?
でも私の場合、そういった苦痛はすべて貴方の最愛様が引き受けて下さるのです。とっても助かりますわ!」
ニコニコと笑顔で伝えると、彼は苦虫を噛み潰したようなお顔になってしまわれました。
「それにようやく孕んでも悪阻が来ますでしょう?
酷い方ですと水すらも気持ちが悪くて飲めないそうなの」
「それでは死んでしまうじゃないか!」
「ですよね?本当に大変ですわ。死なない為に何とか吐き気と戦いながら少しの食べ物を摂取していると、『子供の為にもっと頑張って食べないと!大丈夫、悪阻は病気ではないのだから!』とありがた迷惑なお言葉を貰うのです」
「……君は出産の経験が?」
「失礼ですわね、純潔です。そして貴方のおかげでこのまま一生純潔予定ですけど?」
こればかりは少し残念です。体を重ねるとはどのような感覚なのか興味がありましたのに。
姉曰く、どれほど言葉を尽くされるよりも愛で満たされる気持ちがするそうなのだ。
「先程のは姉の体験談ですわ。義両親から責められたのも悪阻が酷くて辛かったのも、なんなら出産時に出血が酷くて死にそうだったのも実話です」
「そ、そうか。申し訳なった。動揺のあまり失礼なことを言ってしまった」
「大丈夫です。動揺なさる前から失礼なことばかり言っておられましたから」
あら駄目ね。ついつい本音が漏れてしまうわ。
「それにしても子供を奪われても貴方だけいればいいだなんて。真実の愛とは本当に凄い思いなのですね」
「…待て、子を奪うとはどういうことだ」
「え?まさか、母親は最愛の方だと周知なさるおつもり?それでは私生児だと周りに言われ続ける人生ですわよ?」
「それは……だが、」
「貴方達にとっては真実の愛でしょうが、世間一般ではただの愛人であり、その二人から生まれれば私生児です。
愛人を囲うことは褒められたことではありませんが、間々有ることです。
ですが、私生児が後継者になることは残念ながら厳しい目を向けられるでしょう。必ず誹りを受けることになると思いますわ。
……貴方は、ご自分の欲望の為に子供を犠牲になさるおつもりなのですか?」
これは頂けませんね。てっきり私が産んだことにしてあとを継がせるのだと思っておりましたのに。
あまり深く考えていなかったのかしら。
すっかりと黙り込んでしまわれましたが、ここで終わりには出来ません。
「どうしてもと仰るのなら、最低でも3年は子供を作らないことです。
そして正妻が石女の為、愛人に子供を産ませたとするしかないでしょう」
まるで希望を見出したかのような顔が腹立たしい。
「ただし、そうなれば生まれてすぐに私に預けて頂くことになります。なぜなら正妻は私であり、男爵令嬢である最愛様では後継者の教育を施すのは無理だからです」
「何と無礼な!」
「貴族学院での成績は下の方でしたわね」
「…どうして」
「1年だけ貴方達と被ってますの。ご存知ありませんでした?」
私は二歳年下の為、1年だけお二人と共に学院におりました。いつも仲睦まじく共にある姿を見ていたのです。
「あの頃は、真実の愛とは何とも羨ましいと思っておりましたが、現実はこんなものなのですね」
「何だと?」
「だって、ご自分達の我儘の為に、全く関係の無い他家の私を石女だと貶め、我が子を私生児だと愚弄される運命を押し付けるのですもの」
「!」
「今の貴方達は、運命ではなく、傍迷惑な愛でございますよ」
学生の頃は羨ましいと思っていました。
あの様に見目麗しい殿方が身分など関係無いと一途に愛する姿に憧れていたのです。
……まさか、その愛を継続する為の礎にされるとは思いもしなかったわ。
「本当に愛だけあればいいのなら、後継者を降りて二人で平民となって暮せばいいのに」
彼の頬にサッと朱が差しました。
ご自分達の醜さを自覚してらっしゃるのね。
「それでも、侯爵家の援助が我が伯爵家に必要なのは本当です。お望み通り、お飾りの石女妻となりましょう」
「……申し訳無かった」
「貴族には間々有ることですわ」
この日はこれにてお開きとなり、その後も何度か顔合わせは致しましたが、最愛の方とのことを聞くことはありませんでした。
◇◇◇
【sideルイス】
『今の貴方達は、運命ではなく、傍迷惑な愛でございますよ』
婚約者となったマリア・クエルバル伯爵令嬢の言葉に、私はガツンと頭を殴られた思いだった。
何時から?一体いつから私達の愛はそのようなものになってしまったのだろう。
あれから彼女は、私の恋を断罪したことなど夢かのように美しく微笑み、良き婚約者として振る舞っている。
最初の顔合わせではすっかりと言い負かされてしまったが、彼女との会話は小気味良い。
女性特有の曖昧さが無く話題も豊富で、最近流行りの芝居から近隣諸国の情勢までと多岐に渡りこちらを飽きさせない。
そして、若い令嬢にありがちな秋波を送る媚びた眼差しも無い為、気が付けば自然体で会話を楽しむようになっていた。
「ルイス様にお願いがあるのですが」
彼女からのお願い事など珍しい。
「真珠のアクセサリーをプレゼントして下さらないかしら」
真珠は我がマエスタス侯爵領の特産品の一つだ。
その粒の美しさから、かなりの高値で取引されている。
「それはもちろん構わないが」
「真円ではなく歪な形のもの。それを上手く使えないかと思いまして」
「まさかクズ真珠を?」
真珠とはより完全な真円に近いもの程価値が高いとされている。もちろん、他にも大きさや巻き、光沢などチェックポイントは多くあるが、形が歪なものは素人が見ても分かりやすい為、廃棄されていた。
「マエスタス領の真珠は美しいですわ。そして歪なものでも真円とは違う味があると思うのです」
「…だが、婚約者にクズ真珠を贈るなど」
「それは売り方次第ですわ。クズ真珠ではなく別の名を付け、新商品として婚約者が身に着けていたら。
きっと皆様の興味を引くと思うのですけど、如何でしょうか」
確かに、クズ真珠にも同じだけ年月と手間を掛けて育てている。それが廃棄ではなく、商品として売れるようになればかなりの利益が出るだろう。
「……デザインなどは考えているのか?」
「幾つかは。ただ、出来れば加工も含めてマエスタス領でお願いしたいですわ」
「クエルバル家では無く?」
「うちには真珠の知識はありませんし、もともとはせっかく美しい真珠の廃棄が惜しいと思って考えたことですから」
我が領地の利益と問題点を独自で調べ、こうして解決案まで示してくれるとは思わなかった。契約結婚だと、愛など無いのだと彼女を侮辱した男の為に。
「……まさか嫁ぐ前から領地に貢献してくれるとは」
「まあ、当然ではありませんか。だって嫁げば私にとっても大切な守るべきものになるのです。
であれば、早めに行動するに越したことは無いでしょう?」
そう言って笑った顔は演技ではなくて。
彼女が本心から領地を守っていこうと思ってくれていることが感じられたのだ。
「ありがとう、マリア」
気が付けば、素直に感謝の言葉を口にしていた。
「…貴族ですもの。愛が無くともちゃんと侯爵家を、領地を大切に致しますわ」
その言葉に何故かショックを受けた。
貴族としての義務だけなのか。それ以上は無いと言ったのは自分であったにも関わらず、衝撃を受けた自分が信じられなかった。
「どうしました?」
「…君の聡明さと優しさに感じ入っていた」
「まあ、お上手ですこと」
クスクスと笑う彼女の笑顔が何だか眩しくて。
──私は一体如何してしまったのだろう。
彼女と別れてから不誠実だとは分かっていたが、そのまま最愛の人のもとに向かった。
「いらっしゃい」
優しく迎えてくれる笑顔は学生の頃から変わらず美しい。
「カレン。真珠は好きか」
「突然どうしたの?」
「いや、何となく」
「そう?それで真珠よね?そうねぇ、傷付きやすいって聞いたことがあるから好きではないかも。粗忽者だから心配で身に着けられないわ」
「……そうか。覚えておくよ」
やはりカレンは何も知らない。
付き合ってもう5年近いというのに、私の領地のことなど何も関心はないのだろう。
彼女の、そういった欲の無いところが好きだった。だから私も何も求めはしなかったが……
でもそれは、私の妻になる気持ちも一欠片も無かったということなのではないか。
爵位が足りないからと諦め、認めて貰うための努力は一切せずに、ただ、私に愛を囁くだけ?
『貴族学院での成績は下の方でしたわね』
確かにそうだった。だから、私には不釣り合いだと嫌味を言われたのだと泣いていたこともあった。
あの時は、他人の関係に口出しして欲しくないと憤ったが、あれは正当な指摘だったのではないだろうか。
「上の空ね、疲れてる?」
チュッと頬に口付けられた。それは普段であれば癒やされる行為であるのに、今日は何も心に響かない。
「…いや、カレンは今日は何をしていたんだ」
「私?私は友人とお出掛けしてきたわ。あたらしく出来たカフェがとっても素敵で──」
カレンの話に相槌を打ちながら、何だかつまらないなと思ってしまう。
彼女の話はいつも、カフェやお芝居、ドレスの話ばかりだ。何故なら仕事をするでも無く、結婚しているわけでは無いからもちろん領地のことなど分からない。勉強も好きではないから本を読んだりもしない。
男爵家は裕福ではないし、パーティーなども殆ど参加しない為、最近では彼女への招待状もあまり届かなくなった。
……何故気付かなかったのだろう。
カレンの時は止まっているのだ。
卒業してからこの家を与えられ、ただここで何もすることなく私を待つだけの日々。
ただ私との愛だけを胸に抱いて、他には何も持っていないだなんて。
私はいずれ結婚し、多くのものを得ていくというのに、カレンはずっとずっと変わることなく、愛だけに縋って生きていくのか。
「カレン。君は今幸せか?」
真実の愛。そんなものだけで、本当に人は幸せになれるのだろうか。
「……どうしてそんなことを聞くの」
「今、聞かないと手遅れになると思ったから」
いや、本当はとっくに手遅れだろう。
彼女はもう20歳。既に行き遅れと呼ばれる年に入っている。それに世間から見れば私の愛人で、今更私と別れてもそれは変わらないのだ。
だからといって二人で平民になるなど無理があり過ぎる。
……私は、何と愚かなことをしていたのだ。
「このまま一生私の愛人として生きて死ぬだけの人生で、君は本当に幸せになれるのか」
カレンの瞳からポロリと涙がこぼれ落ちた。
誰に言われるまでもなく、彼女自身が分かっていたことなのだろう。
「……遅いよ。じゃあ、今更どうしたらいいの?
お父様は家に戻ることを許して下さらない。でも、貴方の妻にもなれない。
……一生愛人なんてそんなの本当は嫌よ。
でも、私はもう何者にもなれはしないわ」
◇◇◇
【sideカレン】
最初は一目惚れでした。
入学式で新入生代表として壇上に立った彼に、ひと目で心を奪われた。
最初は外見に。次第に彼の人となりにも惹かれていきました。
成績優秀で、でも真面目一辺倒ではなく、時折友人と悪ふざけをする姿もヤンチャで可愛いと、新しい一面を知る度に更に彼への恋心は大きくなりました。
そんな彼と恋人になれただなんて夢のようで。
真実の愛なのだと友人達も言ってくれて、私は浮かれていました。
学生時代は本当に幸せだった。だって毎日彼に会えるのだもの。
授業中も、早く彼に会いたいと上の空だったので、学生としては本当に失格だったわ。
「私は貴方で頭がいっぱいなのに、どうして貴方はそんなにも成績がいいのかしら?」
そんな馬鹿なことを本気で言って、でもそんな私を彼も愛おしそうに見つめてくれて。
「私はいずれ爵位を継ぐからな。領民の為に一つでも多く知識を得なくては、支えてもらう価値が無いだろう?」
彼は私と違い、ちゃんと未来の自分を見つめ、研鑽を積んでいるのです。そんな彼の言葉に、ただただ格好良い、素敵だと、更に恋心を募らせていっただけの私は何と愚かだったのか。
「お前は何を考えているんだっ。男爵家の娘なんぞが侯爵様のご子息と結ばれるはずが無いだろう!」
お父様に彼とのことがバレてしまい、生まれて初めて頬を叩かれました。
「分かってる……でも好きなの!」
「そんな奇跡に縋ってないで現実を見ろっ。一生を棒に振る気か!」
分かっているわ。私なんかが彼の妻になれるはずはないもの。それでも側にいたいと思ってしまう心を止められない。
だって片思いじゃないの。彼も私を思っていてくれるのにどうやって諦めろというの!?
「…フリアンと結婚しろ」
フリアンはお父様の部下です。奥様とは上手く行かず、離婚したのは1年ほど前のことです。
「そんな!フリアンは10も年上ではありませんか!それに離婚歴だって!」
「学生のうちからお手つきになってる娘の貰い手としては上出来だろう。あいつは優秀だし優しい男だ」
フリアンは確かに優しいわ。美形ではないけれど、穏やかで、決して嫌いなわけではない。
それでも、愛している人がいるのに、他の人に嫁ぐのはどうしても嫌でした。
「……私は不埒な行いはしていません」
「ハッ!さすが高貴なお方はお気軽に手は付けていないのか。だがな、誰がそれを証明出来る?まさか処女検査を受けるとでも言うのか」
父の言葉がショックでした。
私は、いつの間にか傷物令嬢だと世間に認識されていることをようやく自覚したのです。
「卒業だけはさせてやる。だが、フリアンと結婚しないのなら二度と帰ってくるな」
それは最後通牒でした。
でも、結局は彼と別れることが出来なかった。
友人にも、愛人になるのかと心配されたり呆れられたりしたけれど、もうそれ以外の道が見付かりませんでした。
だって私は恋しかしてこなかったの。
彼は何度もご両親を説得してくれました。
…私に侯爵家に嫁ぐだけの才など無いのに。
無理だから諦めてと何度も言おうとしました。でも、それは彼と別れることに結びついてしまいます。
でも、彼と別れて今更どうしたらいいの?
今は彼に与えられた家に住んでいる。
仕事もせず、ただ、彼が来てくれるのを待つだけの日々。正直それは寂しく、虚しいものでした。
これから一生こうして生きていくのかしら。
それでも自分からその生活を手放すことも出来ず、彼との愛だけを頼りに生きていました。
その生活に翳りが生じたのは、とうとう彼の婚約が決まったから。
「結婚しても私が妻を抱くことは無いから」
彼は本気で言っていたけど、そんなことが可能なのかしら?
それに彼女は──
暫くすると、彼の雰囲気が何となく変わっていきました。
彼は私に婚約者の話はしないし私も聞かない。
でも彼が、結婚に対して前向きになっていくのが感じられたのです。
マリア・クエルバル伯爵令嬢。私は彼女を知っています。2つ年下の、凛として優しい女性でした。
『貴方の様に成績を下から数えた方が早い方にマエスタス様は不釣り合いよっ!』
学院の裏庭で女生徒に詰られていた時、助けてくれたが彼女でした。
『忠告をなさるのであれば、もう少し優しい口調でお伝えすることをお勧め致しますわ。あまり厳し過ぎますと、せっかくの正しい言葉も歪んでしまいますわよ?』
そこに現れたのが、まだ1年生のクエルバル嬢でした。
最高学年生に対し、怯えることなく堂々と意見を述べてきたのです。
『な、誰よっ』
『ご挨拶が遅れて申し訳ございません。新入生のクエルバルと申します。
先輩が勉学を疎かにせず、もっと励む様にと叱咤激励する様子に感銘を受け、つい会話のお邪魔をしてしまいましたわ』
『そ、そう。ならば許します』
『ありがとうございます』
淑女らしい微笑みで相手を怒らせることなく会話を終わらせてしまったのを見て、きっと頭のいい人なんだろうなと、ちょっと彼に似ているかも。なんて思い、彼女に興味が湧きました。
それから時折彼女を見かけては、その視線の先を追ってしまうようになりました。
だって、彼女が眩しそうに見つめていたのは私の恋人だったのです。
彼に惹かれていた、あんなにも素敵な女性が婚約者だなんて。
私には勝てるものは何もないのだと、いつか、この手を放さねばならないのだと覚悟せざるを得ませんでした。
「カレン。君は今幸せか?」
……とうとう彼に聞かれてしまいました。
夢の終わりが来たのです。
それから、何度も彼と話し合いました。
互いに、抱えているこの愛がすでに学生の夢の名残であることを認め合い、長い初恋に終止符を打つことになったのは仕方の無いことでした。
だって、ずっと見ないふりをしていただけ。
夢から覚めたくないと、現実に戻るのが怖かっただけなのだもの。
これまで勉学を疎かにしてきた私に出来ることは少なく、父に頭を下げて家に戻ることになりました。
「おかえり、カレンさん」
「……フリアン、どうして」
私を出迎えてくれたのは、あの時縁談をお断りしたフリアンでした。
「男爵様から、そのうち現実に気付いて帰ってくると思うから、少しだけ待っていて欲しいと言われてまして」
「……何それ。上手く利用されているじゃない」
「まあ、雇い主のお嬢様と結婚出来るなんて私には得しかありませんし、2度目だから焦ってもいないのでね」
何とも夢も希望も無い言葉です。
「私と結婚するの?」
「お嫌ですか?」
「……気にならないの、彼とのこと」
「う~ん、それを言うと私も初めてではありませんし。お嬢様が奔放な方だとも思えませんから、もしも彼にすべてを捧げたのなら、それほど愛したと言うことでしょう」
「……違うわ。真実の愛なんかじゃなかったのよ」
ただ、恋に恋していただけの子供だっただけ。
「そうですかね。ただ、貴族向きの愛では無かっただけだと思いますけど」
その言葉にポロポロと涙が溢れました。
今では誰もが……自分達ですら真実の愛では無かったのだと悔やんだのに。
「まあ、今度は私と愛を育ててみませんか。
種くらいの愛情なら私にも持ってくれているでしょう?その程度の愛でも、20年くらい大切に育てたら、もしかしたらこれが真実の愛だったかも、なんて思えるかもしれませんよ。
愛なんてそんなものなんじゃないですか?」
……ああ、添い遂げるとはそういうことなのかしら。
では、私の愛なんてまだまだ赤子のお遊び程度だったのかもしれません。
「…案外臭い台詞を言うのね」
「オジサンですから」
「……でも、ありがとう」
こうして、私の幼い愛はやっと終わることが出来ました。
その後、お父様には特大の拳骨を貰い、しばらくは頭を洗うのが痛かったりもしましたが、今ではフリアンに習いながら父の仕事を少しずつ手伝っています。
本当ならクエルバル嬢に会ってお詫びがしたかったけど、それも迷惑な話でしょう。
それでも、読んでもらえるかは分からないけれど手紙を書くことにしました。
あの時、ちゃんと言えなかったお礼と、ずっと傷付けてしまったお詫びと。
これからの二人の幸せを願って。
◇◇◇
【sideマリア&ルイス】
「マリア・クエルバル伯爵令嬢。どうか私と結婚して頂けませんか」
「……ルイス様?私はすでに貴方の婚約者で、半年後には結婚する予定のはずですが?」
突然のルイス様からのプロポーズに驚きながらも、口からは冷静に事実を告げているのだから淑女教育とは恐ろしいと思います。
「カレンとは別れました」
「…だから今度は私に愛せと?だいたいどうして別れたのですか。真実の愛だったのではなかったかしら」
つい冷たい態度を取ってしまう私は本当に可愛げがないとは思いますが、ここで喜んで!と言うのはあまりにも頭が悪過ぎる。
「私は侯爵家に生まれたことを誇りに思っているし、領地のことも一生守っていくべき大切なものだと思っている。
だからその為に勉学に励むのは当然だし、それを嫌だと感じることもなかったんだ」
それはこれまで何度かお会いしてお話をする中でも感じられたことです。
ルイス様は恋さえ絡まなければとても優秀で、そしてそれは努力の上に成り立ったものだと分かりました。
日々怠ることなく学び、いずれ爵位を継ぐために努力しているのだと。
それは嫡男だからという惰性でそう生きているのではなく、彼自身がその立場をしっかりと受け止め、ご自分の意志でその未来に進む努力をしているのだと、密かに尊敬しておりました。
彼が唯一背いたことは、家の為により良い妻を得るのではなく、愛情以外は何も生み出さない恋心を選んだことだけなのでしょう。
「……私は彼女が無欲なのを知っていた。
だが、私の大切なものを共に守りたいという欲も無いのだと気付かなかった。
私達二人は、求めている未来が違った。だから別れるしかなかったんだ」
最愛様は本当にただ貴方を愛しただけだったのね。二人で居られるための努力は何もせず、でもただ側にいたいと。
欲がないって聞こえはいいけど、そうすると向上心も低くなりがちだから、遅かれ早かれ別れることになったのでしょうね。
「そこまでは理解出来ました。でも、どうして私にプロポーズを?」
「私は君に惹かれている」
「……私のどんなところに?」
「君は私の持ち掛けた侮辱的な結婚を、嘆く事なく、声を荒らげることもなく、矛盾点を突き付けながらも家の為ならばと堂々と受けて見せた。
婚約してからは良き伴侶になるべく努力を怠らず、貴族の義務を足枷だとは思わず、誇りを持って生きる姿が美しいと思った」
「つまり、ご自分の価値観と合っているから妻として相応しいと仰るのかしら」
「私は貴族としての貴方を敬愛しているよ。でも、それだけではなく、一人の女性としてのマリアを愛していきたいと思ったんだ」
ただの女としての私を?
「……貴方、私を抱けるの?」
「私は君と添い遂げる覚悟を決めた。
だからもし、このプロポーズを受けてくれるのなら、もちろん初夜を迎えたら君を抱きたいと思っているし、二度と手放す気はないよ」
それはロマンティックさとはかけ離れた無骨な求婚で。
「彼女を最期に抱いたのはいつ?1年後に突然赤子を抱いて現れたりしない?」
その返事がこれなのだから、私も大概です。
「結婚していないのに抱くはずが無いだろう」
「え!?本気で言っているのですか!?」
「まったく触れていないと言えば嘘になるが、性行為が出来なければ愛は成り立たないのか?」
「……私を抱くって言ったじゃない」
「夫婦なら子供を授かっても問題無いのだから抱いてもいいだろう」
ルイス様は結婚前から愛人を持つと宣言する破廉恥男だと思っていたのに、どうやら中身は自制心の塊のようだ。
「…私の、歯に衣着せぬ発言も笑って聞いてくれる鷹揚さは好ましいわ」
「そうか」
「領地の提案をした時、本当は少し怖かったのよ。
女が口出しをするなとか、もう妻になったつもりなのかと罵られるかもって」
「君の中で私がかなり悪人なのは分かった」
「そうじゃなくて。女性だからと侮らず、ちゃんと話を聞いてくれて嬉しかったの」
だって、あの時彼は私にありがとうと言って笑ってくれた。
あの笑顔を見て、ああ、この人と結婚出来るのだと本当に嬉しく思ったのです。
それでも、当時は最愛様がいらっしゃったから素直にそのことを口にすることは出来ませんでした。
「そうなのか?それくらい当然だろう」
女性を下に見る男性がどれ程多いのか、今度しっかりとお教えしようかしら?
「私ね、学生時代に貴方に憧れていたわ」
「え!?」
「まあ、白い結婚の話を聞いてそんな淡い思い出は一気に冷めたけど」
「それは…本当に申し訳ない」
「でも、私もそんなふうに一途に愛されてみたいと思ったのよ」
だって貴族だって人間だもの。愛されたいと思う気持ちまで捨ててはいないわ。
「もちろん義務を果たすのは大切です。でも、それだけの繋がりではやっぱり寂しいわ。
だからこれからは義務だけでなく、ちゃんと妻になる者として愛し、大切にする努力をして下さい。私も、夫になる貴方をずっと愛せるように頑張るから」
「……ありがとう、マリア」
私達の関係はただの恋ではない。
家同士の繋がりや金銭だって絡んでいるのだから、真実の愛だなんて口が裂けても言えません。
正しくこれは契約結婚なのです。
それでも、愛を育むことは出来るから。
互いの義務を怠らず、そこから生まれた愛ならば。それは私達なりの、真実の愛になるのかもしれません。
【end】