第8話 神様との人脈づくり2
更に強い風が吹く。
まあ、冷たい印象を受けるであろうことは覚悟の上だ。
大きく一礼をすると背中を向けないように脇を歩き、後ろ向きのまま階段を下った。
天津神様とはやはり一線がある。そう感じる。
最高位の神様が東京大神宮に集結しているから緊張はしていた。
今はまだこのくらいでいい。次の五柱のうち、宇摩志阿斯詞備比古遅神様は探してみても東京にはおられない。
天之常立神様のおられるところも東京では探しきれなかった。
電車を乗り継ぎ、国之常立神様が祀られている赤坂の日枝神社へ向かう。
本殿には花松神社と同じ大山咋命様が祀られていらっしゃるが、相殿のほうを重点的に回った。だがここもまた、冷たい反応しかない。
ふと思う。千里の道も一歩からというけれど、私は高天原の神ではない。
いや、神からすれば神モドキでしかないのだけれど、天津神様には何度挨拶しても、今のままではいつまで経っても永遠に拒否され続けそうな予感がした。
ひょっとすると、神として認めて貰うという効率を考えれば国津神様のほうから挨拶に回ったほうがいいのではないだろうか。
だって私は大地に根ざしたところで修行をしている身だ。天津神様は、本物の神になったときに初めて私という存在を認めて下さるのかもしれない。
国造りをして、この日本を体系化させた神々のほうがなにかと接しやすそうではある。
そう思って、ルートを変更することにした。
国津神の中で大変苦労されてこの日本の土地を礎に造り上げた神様といえば、大国主命様。
となると・・・・・・。
雨が降ってきた。傘を差す。私が持つと傘も人には見えなくなるようだ。既に透明人間・・・・・・いや、透明神モドキだ。通り過ぎる人々は誰も私に気づかずすれ違う。
大国主様は島根県の出雲大社にいらっしゃるが、東京にも六本木に、神奈川だと川崎
に分祠があったはずだ。確か川崎のほうは以前静子様とご一緒したとき簡素な社しかなくて、これで本当に大国主様がいらっしゃるのか疑問に思ったが、六本木のほうはしっかりした神社として成り立っていると聞いたことがあるので大丈夫だ。
よし、行ってみよう。
電車に乗ると通勤時間と重なって混み合っていたので、私は網棚へよじ登り少し窮屈な姿勢で座っていることにした。
こうして人々の姿を眺めては見るものの、みんな辛そうな表情をしている。会社ってやっぱり辛いのかな。
毎日が楽しい、今日も頑張る、と思っている人が一人くらいしかいない。
人々の気持ちはわからなくても、強い念というのは私にも感じ取れるもので、幸せの念を明確に持っている人は車両にやはり一人しかいない。
「みんな幸せになあれ」
社内の中で大声を出した。私の力ではまだここにいる全員を幸せにすることはできない。
誰か私を視認できたら幸福をお裾分けできるかもしれないと思ったけれど、見える人は誰もいない。