第2話 トクさんと私
「おや、千福ちゃん。今日も神社へ行ってきたのかい」
帰り道にトクさんと出会った。いつもにこにことされている。
七十歳で、古く広い平屋の民家で一人暮らし。毎日神社に通っていて、私のことが見える。
というより、静子様以外ではトクさんが初めて私を見ることができた人。
トクさんの口コミの影響で、今ではこの街の殆どの人が私のことを視認できる。とってもありがたい。
「あれ、足、痛めたのですか」
トクさんは右足をずっとさすっている。
「膝をね。でもお参りはしないと、と思って神社へ行くところさ」
午前の静けさが漂っている。
トクさんはもう何十年と毎日のように花松神社へ通われているらしい。
治せる。ご一緒させて頂くことにして、花松神社で参拝を終えるのを待ち、振り返るトクさんに背を向け言う。
「どうぞ。おぶります」
「いや。悪いよ。こんな小さな子に・・・・・・」
身長は百二十二センチ。
「小さいのは体だけです。私は怪力なので大丈夫でございます」
「前もそんなことを言っていたけど、どのくらい力持ちなんだい」
「恐れながら、二十階建てビル一棟は多分片手で持てます」
「へぇっ、そこまで」
背後でトクさんは驚かれている。静子様は大きな災害が来たときにこの力で少しでも多くの人々を助けられるようにとお考えになったようだ。
「はい。なので遠慮することはございません」
「じゃあお言葉に甘えさせて頂くとするかね」
背中に体重を感じた。でも軽い。トクさんを背負ってゆっくりと歩く。
「速度はこのくらいでいいですか」
「十分だよ。ありがとうね」
雑務を多くこなしている。掃除や大工作業、買い物に雑草の伐採。便利屋のようだけれどこれも仕事。
「千福ちゃん、今日も元気そうだね」
街の中心となる花松商店街のアーケードに入ると、お店の様々な人々が声をかけて下さる。今お話をされたのはとんかつ屋の店主、笠間さんだ。
「はい。本日はお日柄もよろしく」
「トクさんは具合でも悪いのかい」
笠間さんはトクさんをのぞき込む。
「膝を痛めてしまって千福ちゃんに送り届けてもらうところさ」
「絵面だけなら子供が背負っているように見えるんだが・・・・・・」
「千福ちゃんの好意だよ。かなりの力持ちなんだってさ」
「へえ、そうなんだ。お大事に」
店が開く前で朝の商店街にはまだ賑やかさはないけれど、活気はある。
アーケードを抜けて三つ目の角を曲がった一軒目に雑草の生えた広い庭があった。
ここがトクさんの家だ。
「ここでいいよ。本当に助かった」
はいと言って、トクさんをおろす。
「お茶でも飲んでいくかい」
トクさんの生活状況も見ておきたい。高齢者の一人暮らしは人間にとっては心配が尽きないと静子様が仰っていた。あと、膝も治さなくちゃ。
「では喜んで頂きます」
「じゃ、入って」
玄関からではなく、窓が四枚ある縁側からトクさんはいつも家に入る。窓の鍵を開けっぱなしにしているのが心配だけれど、この街で悪さをする人はいない。
それは、私が生まれてからのことだと先ほどの笠間さんから聞かされたことがある。
お邪魔をすることにした。家の中は洋風のダイニングと畳部屋が仕切りなく繋がっている。
ダイニングの奥にもいくつか部屋があるらしい。
テーブルの椅子に座るように促されたので、そのとおりにした。湯気の立った緑茶が目の前に置かれる。
「ありがとうございます。でもその前にちょっといいですか」
トクさんを座らせ、右膝を両手で優しく包む。
七十年共に歩んできたお御足。大切に大切に、治さなくては。
「なにをしているんだい」
「膝、治しております」
「本当に?」
「はい」
元気な姿で歩いているところをイメージし、通力モドキを膝の細胞の隅々まで注ぎ込む。
「これでもう大丈夫です」
状況はたいしたことはなかった。水もたまっていないし、どこか筋を痛めただけだろう。あとは加齢による軟骨のすり減り。全て治した。
「おお。すごい、今全然痛みがないよ」
「それはよかったです」
「千福ちゃんはすごいねえ」
褒められて照れる。トクさんはすっと立ち上がると、畳部屋に置いてある仏壇の前に座り、線香を立てた。凜々しい眉毛のお爺さんの遺影が飾られている。
「千福ちゃんが膝を治してくれたよ。あんたも千福ちゃんと出会えたらよかったのに」
そんなことを呟かれている。旦那様は私が生まれる前にもう亡くなっているのだ。
人はいつか死ぬ。日本では死ぬときはおおかたの人が仏様のお世話になる。これも勉強だと静子様に連れられお寺にも行ったことがあって、如来様が好意的にお姿を現わして下さったことがあった。
そのときにかけられた言葉は慈悲深くとてもお優しかったけれどやはり仏様とは住む世界が異なると感じた。
だが、仏も日本の神も、困ったことが起きたらお互い手を貸す関係だとその如来様は仰っていた。干渉はせずつかず離れずといった様子ではあるらしいが。
お線香の香りは苦手。人の死と密接な関係があるために、とても悲しい気持ちになる。