【第6章】 もう結婚って何だったんですか?
制度が整った。
名前も、家も、契約も、愛情ログも。
あらゆるものが透明になって、取りこぼしのない世界ができた。
でも──誰も、“愛されてる”とは言わなくなった。
「“一緒にいる理由”、なんだっけ?」
そんな声が、各地で聞こえるようになった。
「制度上、共に暮らしている」とは言える。
「DAOで役割を分担している」とも言える。
でも、「私たちはなぜ“一緒にいたい”と思ったのか」は、
どのトークンにも記録されていなかった。
未来人は、何も語らなかった。
ただ、市役所の旧・婚姻届カウンターに、
一枚の紙をそっと置いていった。
そこには、こう書かれていた。
『問いだけが、関係性を再起動させる。』
制度は答えをくれる。
契約は責任をくれる。
履歴は安心をくれる。
でも、“なぜこの人だったのか”──
その問いにだけ、誰も答えられない。
市民の一人が、自分の愛DAOのダッシュボードを開いた。
きれいに整理された役割と支出と感情ポイントが並んでいる。
でも、そのどこにも、「選んだ理由」はなかった。
未来人は、街を離れた。
誰にも別れを告げず、静かに立ち去った。
そして最後に、廃棄予定だった旧婚姻届に、チョークで一言だけ書いた。
『もう結婚って、なんだったんですか?』
【報告書 抜粋】
未来人による結婚制度干渉、完了。
制度改正:なし
合意形成:混乱多数
感情の可視化:失敗
だが、
「結婚とは何か?」という問いを口にする人間が増えた
婚姻契約を“選ばない自由”が市民権を得た
「愛とは契約か?」という議論が学校教育に導入された
結婚制度は変わっていない。
ただ、“制度に乗らない感情”が、言葉として残った。
──未来人は、問いを残して消える。
制度に、感情に、愛に。
すべてにラベルを貼ろうとした世界に、
ただ、答えのない問いだけを残して。
──今日も制度が、わがままでできていく。