【第5章】 “愛されてるか不安”は誰の責任か
【未来人、黙っていた。】
DAOは整った。
家制度は分解された。
役割は明確化され、誰がどこまで何をやるか、すべて透明になった。
でも──
未来人は、急に喋らなくなった。
ある住民が、こんな声を上げた。
「……最近、全部合理的になったけど、
ふと夜中に、“これ、本当に愛されてるのか”って思うんです」
「トークンも届いてる。契約も更新されてる。
でも、なんか……“わかってるはずの不安”が残ってる」
別の声が続く。
「逆に、“これで十分だよね?”って、言い訳する自分もいて──
誰に言ってるんだろう、ってなるんです」
未来人は、それを聞いて、ようやく口を開いた。
「それ、**“感情が制度に遅れてる現象”**です」
「制度は先に整って、“もう安心なはず”って世界ができたのに──
感情が、そこに追いつかない」
「不安の正体は、“保証”じゃなくて、“予測不能な関係性”にあったんですよ」
【黒板に書かれたことば】
『愛されているかどうかを、“確認し続ける人生”に人間は耐えられない。』
「だから制度に逃げた。
“婚姻届”も、“記念日”も、“家族”という概念も──
ぜんぶ、“確認しなくてもいいようにする仕組み”だったんです」
「でも、それが逆に、“問いを封じる装置”になった」
ある人がつぶやいた。
「“不安になった自分”を、制度が裁いてくる気がして……言えなかったんですよね」
「“そんなにしてもらってるのに、まだ不安なの?”って」
未来人はそっと言った。
「“愛されてる不安”は、誰のせいでもありません。
制度がどれだけ整っても、それは**“問いの中にしか存在できない感情”**です」
未来人は最後にこう付け加えた。
「愛とは、“保証されない”という前提でしか、自由になれない感情です」
【次章予告】
第6章:もう結婚って何だったんですか?
すべての制度が整い、すべての役割が明確になったその先で、
結婚という概念が問いに変わる。
「わたしたちは、何のために“一緒にいる”と決めたんだろう?」──
未来人、最後の問いを残して去る。