第97話 緊張しなくなったなら、いつも通りしゃべればいいじゃない
「き、緊張した……」
舞踏会の喧騒から逃れるように、僕とマリーは彼女の私室へと駆け込んだ。
ドアが背後で静かに閉まると、先ほどまでの華やかな音楽や貴族たちの話し声が嘘のように遠のいていく。
部屋に漂う薔薇の香りが、張り詰めていた神経を和らげてくれた。
足元に敷かれた深紅の絨毯に、僕は力なく座り込む。
極度の緊張による脱水症状で視界が揺らぎ、天井から吊り下がる水晶のシャンデリアがぐるぐると回転して見えた。
心臓がバクバクだ。
人生で一番緊張したかもしれない。
そこまで激しい運動をしたわけではないのに、疲労感がすごかった。
「もうだらしないわね。あんなことでへばっちゃって」
「いや、ダンスがあんなにハードなものだとは……」
マリーが手にしていたタオルを軽やかに投げて寄こす。
呆れたような表情を浮かべる彼女の口調や態度は、もはや王女のそれではない。
冒険者として共に旅をしていた頃の、気取らないマリーそのものだった。
「最初、信じられないほどガチガチだったわよ?」
「いや本当に、緊張してたんですって!」
「かかしと踊ろうとしてるのかと思ったわ」
「かかしって……」
容赦のない一言に、ガーンという効果音が頭の中に鳴り響く。
だが、気を遣わないその物言いに、むしろ安心した。
ダンスを一緒に踊ったおかげか、前までのぎこちなさはなくなり、普通に接することができるようになっていた。
「冒険者やってる時の戦闘とは、比べ物にならないでしょうに」
もちろん、冒険者の戦闘も、とても疲れ、緊張するものだろう。
決して軽くない剣を振り回し、敵の攻撃は躱す。
そして、なにより冒険者でモンスターと戦闘している時は、命がかかっている。
運動量もプレッシャーも、ただのダンスとは比べ物にならない。
それでも————先ほどのマリーを、僕はすごいと思った。
「いや、すごいですよマリー。あんなふうに踊れるなんて」
「そりゃあ、小さい頃から覚えさせられたからね。体に染み付いちゃってるのよ」
舞踊だけではない。
王族としての品格ある所作、格式高い言葉遣い、詩歌や楽器演奏といった芸能の数々、そしてドレスや宝飾品の優雅な着こなし方まで————
高貴な身分に生まれた者として必要とされる、ありとあらゆる教養を幼い頃から叩き込まれてきたのだという。
覚えなければ、この世界で生きていけないのだから。
僕が住んでいる世界とは、やはり違うのだ。
「それがすごいです。相当努力したのを感じますから。僕なんかよりも、ずっとすごいです」
「そんなこと言わないでよ。冒険者の方がよほどすごいでしょ」
「いやいや! 僕達は必要に駆られて剣を覚えたりしてるわけではないじゃないですか。やりたくてやってるわけで————」
勇者の仲間になろうと決意したのも、マリーと共に修練を積むことを望んだのも。
全ては僕自身の意志によるものだった。
誰かに強制されたわけでも、義務として課せられたわけでもない。
純粋に自分がそうしたいと思ったからこそ、この道を選んだ。
そこには、明確な違いがある。
「まあ確かに、冒険は自由だものね」
マリーはそう呟きながら、ゆっくりと部屋のベランダへと歩いていく。
銀色の月光がドレスの刺繍を美しく浮かび上がらせている。
夜風に髪をそよがせながら大理石の手すりに手をかけた彼女の姿は、とても幻想的だった。
「————ちょっと話そ?」
振り返ったマリーが、柔らかな微笑みを浮かべて僕を手招きする。
その姿は特別なドレス姿なことも相まって、いつもよりも魅力的に映っていた。
読んでくださりありがとうございます。
主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。
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