第69話 目を覚まさないなら、祈るしかないじゃない
マリーの寝息が、かすかに聞こえる。
高い天蓋に覆われた白いベッド。
繊細な刺繍が施されたシーツと、淡い薔薇の香りが漂う枕。
窓際には金糸で縁取られた重厚なカーテンが引かれ、外界の光も音も閉ざされている。
この部屋だけが、世界から切り離されたような静寂に包まれていた。
まるで、ここだけ時間が止まってしまったかのような————
その中心で、マリーは静かに眠っている。
僕はそのすぐ傍に座って、ただ彼女を見つめ続けていた。
まるで死んだように眠る彼女。
顔色はまだ悪いし、唇には力がない。
それでもこうして呼吸をしてくれていることが、今の僕には救いだった。
マリーが毒を盛られて二日が経とうとしていた。
最初のニカの治療のおかげで息を吹き返したが、未だ高熱は続いている。
マリーについてくれている侍医達は必死に解毒の処置を続けてくれているが、意識だけは未だ戻らない。
この部屋にはニカも含め、何人もの薬師や魔術師が出入りし、あらゆる治療が試みられた。
だが、それでもマリーは目を覚まさなかった。
彼女の瞼は重く閉じられたままだ。
その間、僕には何もできなかった。
ただ、ここに座って、彼女の手を握ることしか。
自分の無力さが、骨の髄まで染み込んでくるようだった。
苦しい。
胸の奥がぐちゃぐちゃにかき回されている。
彼女が陰で戦っていたことに、僕は気づいていなかった。
いつも一緒にいたのに、彼女の心の内を理解できていなかった。
普段は明るくて、たまに冗談を言う女の子。
戦闘では、背中を預けられる頼れるバディだった。
僕の隣で、あの子はずっと、いつも通りの顔をしていたのに。
でも————本当は違ったんだ。
ずっと悩んでいたんだ。
ずっと傷ついて、ずっと耐えて————一人で、戦っていたんだ。
自分が浮かれていた時も、彼女はずっと悩み、ずっと戦っていた。
なぜ気づいてやれなかったんだ。
呑気だった自分を殺したい。
僕は肩を落として、何もない地面を見つめる。
泣きそうだ。
僕が泣いたところで、何も解決しないと言うのに。
マリーが苦しんでいるのは嫌だ。
こんな風になって、生死の境をさまよっているなんて————
だが、このまま眠り続けて、目が覚めたら全てが終わっているなんて————そんなの、あんまりじゃないか。
元気になって欲しい。
無理をしないで欲しい。
それでも————僕と一緒に戦って欲しい。
そうじゃなければ、きっとマリーは後悔する。
誰よりも苦しんで、誰よりも悲しむことになる。
そんな姿を、僕は見たくなかった。
————いや、違う。
今、僕が抱いている願望は、もっと身勝手なものだ。
彼女と過ごした冒険の日々が、頭から離れない。
君の隣で戦っている時が、冒険をしている時が、僕の人生の中で何よりも輝いている瞬間なのだ。
君がいなくなったら、僕はどうしたらいいんだ。
勇者の一員になるためにずっと頑張ってきたけど、僕自身は何も変わっていないのかもしれない。
僕はやっぱり弱い人間なんだ————
自分自身がまるで成長していないと気づき、絶望に飲み込まれそうになった。
君がいないと、僕は弱くなる一方だ。
だから————お願いだよ。
早く、目を覚ましてくれ。
お願いだから————早く————
僕は震える手を合わせ、ただひたすら祈った。
この時ばかりは、この世に神様がいてほしいと、心底願っていた。
神様に届いて————僕たちを見つけてくれと————
その時だった。
「————クロ?」
「!?」
かすれた声が、静寂を破った。
あまりにも小さく、あまりにも弱々しい声だった。
その声に、慌てて顔を上げると、マリーがゆっくりと目を開けたのだ。
瞳に光はほとんどなくて、儚げで、今にも消えてしまいそうで————
でも、確かに僕を見つめている。
「マリー……! よかった……!」
僕は咄嗟に身を乗り出し、マリーのことを強く抱きしめた。
震える腕に、彼女の体温が触れる。
生きている証拠が、僕の肌を通して伝わってくる。
あたたかい。
まだ、ここにいる。
消えないように、失わないように————僕は強く力を入れた。
彼女の鼓動が僕の胸に伝わって、それがこの上なく尊いものに思えたのだった。
読んでくださりありがとうございます。
主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。
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