第68話 仲間が毒に侵されているなら、連れていなかければいいじゃない
それから数時間が経過したが、マリーはずっと眠り続けている。
ニカの魔法によって毒の大部分は体外に排出することができた。
しかし、長時間にわたって彼女の身体を蝕んでいた毒素の影響は深刻で、完全に回復するにはまだ時間がかかる。
危機は去ったものの、マリーの状態はまだ油断が許されない状態だ。
「————で、何があったんだ?」
少し場の空気が落ち着いたところで、レックスが腕を組みながらテレシーに尋ねた。
「毒を盛られるなど、穏やかな状況ではない。こんな状態に至るまでの経緯を、洗いざらい話してもらおう」
全員の視線がテレシーに集中し、まるで時が止まったかのような静寂が走った。
テレシーは再び苦渋に満ちた表情を浮かべ、重い口を開いて話し始めた。
「……マリナス様は、この数日間、反王妃派の令嬢達に嫌がらせを受けていました」
テレシーが語る事の経緯は、想像以上に複雑で陰湿なものだった。
王宮内では以前からずっと政治的な摩擦があり、今は病気がちで別邸に引き篭もっているという現王妃に対する反感が渦巻いていた。
王家の血統に縋りつこうとする王妃とその娘。
権力を求めている人間にしてみれば目障り以外の何者でもない。
その不満と嫉妬が、この数日間で一気に表面化してしまったのだという。
「昨日までは、ただの陰湿な嫌がらせでした……しかし今朝、食事中にいきなり糸が切れたように倒れて————」
それで、毒が盛られていたことが発覚したと————
使用人の1人がショックを受けたように顔を覆い、泣き出す。
その時の様子を、直に見ていたのであろう。
「そんなことになってたんだね……」
レオナも表情を暗くしていた。
マリーは人知れず、戦っていたのだ。
僕達には分からない————マリーしか知り得ない世界で。
権力争い、令嬢たちの陰湿ないざこざ、そして血統を巡る複雑な人間関係。
冒険者である僕達には、どうしようもできないことだ。
マリーは冒険者として僕たちと共に努力を重ねる裏で、ドロドロとした宮廷の暗闇の中で必死にもがき続けていたのだ。
そんな彼女の苦しみを、僕は全く気づくことができなかった。
「マリーは、これからも命を狙われたりはするのか?」
「否定はできません……ただ、今回の一件は王女暗殺未遂————かなりの大事です。犯人が捕まるかは分かりませんが、反王妃派もしばらくは鳴りを潜めるでしょう」
テレシーはそうは言うものの、眉間に深い皺を刻み、どこか釈然としない表情を浮かべていた。
その表情からは、彼女自身も事件の全容を把握しきれていないことが窺えた。
情報の共有を終え、レックス達は一旦王宮の外に出る。
あのまま部屋にいても、懸命に看病する使用人たちの邪魔になるだけだ。
それに、これから話し合わなければならない重要な問題もある。
王宮前の広場にある大理石の噴水の前で、勇者の一行は重い空気に包まれながら顔を見合わせた。
「————で、俺達が考えなきゃいけねえのは、グランドクエストのことだな」
「……」
ラウムが発言するが、皆沈黙を保ったままだ。
グランドクエストには、マリーを含めた8人で挑戦するつもりだった。
だが、マリーがあの状態では————
「マリーはしばらく目覚めない、んだもんね……」
レオナが小さな声でポツリと呟く。
「————既に一回————死にかけた」
「————目を覚ましても————戦闘は無理」
双子の魔法使いであるニカとチカも、感情を押し殺したような冷たい口調で現実を口にする。
マリーの窮地を救ったのはニカだからこそ、誰よりも彼女の容体の深刻さを理解していた。
「……では、マリーは連れて行かない、という事か?」
「そ、それは!」
クロは反射的に声を上げた。
胸の奥から込み上げてくる感情のままに。
レックスに認められるために、そして皆の役に立つために、2人でずっと頑張ってきたんだ。
全てはこの日のために、あんなに必死になって戦ってきた。
その姿を一番近くで見てきたのは僕だ。
こんな形で、諦めるなんて————そんな不条理なことはないじゃないか。
「それは————」
「落ち着け、クロ」
だが、そこで冷静な声でレックスに諭される。
周りをよく見ると、苦い表情をした面々が、ただクロから目を逸らしていた。
誰もが同じ気持ちを抱いているのに、現実を受け入れざるを得ない状況に追い込まれている。
その光景を見て、僕も口を噤まざるを得なかった。
レックスは一息だけ吐き、改めて皆を見渡して口を開いた。
「私としてもマリーではない別の人間を連れて行く気はない。信頼できないからな。だからといって、七人でグランドクエストに挑むのも……ベストとは言えない」
もしマリーがグランドクエストに参加できなければ、勇者一行の人数は一人少なくなる。
しかも、マリーと僕————クロの二人は一心同体と言っていいほどの連携が肝となるバディだ。
つまり、マリーのいない状態では僕も本来の実力を発揮することができない。
実質的に二人分の戦力を失うことになるのだ。
いくら伝説の勇者達と言っても、2人も欠員が出た状態でグランドクエストに挑めるほど甘くはない。
だからこそ、グランドクエストに挑むには、マリーを連れていくのが最も成功率が高いのだ。
「だ、だからって万全じゃないマリーを連れて行ったら、そっちの方がリスクがあるでしょ!?」
レオナが少し口調を強くして主張する。
それはそうだ。
仮にマリーが意識を取り戻したとしても、グランドクエストの開始までに完全に回復し、万全の体調に戻すのは極めて困難だろう。
グランドクエストはただでさえ、命に関わる危険なクエストだ。
毒に体を侵され、考えうる限り最悪な状態で挑むことになれば、生きて帰れる可能性は高くない。
常識的に考えれば————マリーを連れて行かないという選択をするのが妥当だった。
だが、本当にそれでいいのか……?
マリーを連れて行かないとするなら、現国王はマリーを認めないだろう。
マリーは女王になる夢を諦めることになる。
それどころか、そもそも人数が足りない状態でグランドクエストがクリアできない可能性だってあるのだ。
そんなことになってしまえば、レックス達の目標も達成できない。
誰1人として夢を叶えられない。
最悪のバッドエンドじゃないか。
「————まだ二日あるだろうが」
その時、今まで黙っていた武者丸がそう口にした。
彼の珍しく落ち着いた声に、その場にいる全員の視線が集まる。
「そうだな……グランドクエストの封印は、四つ目のダンジョンをクリアしてから五日間の猶予がある。移動を含めても、あと丸三日は待てる」
レックスも深く頷いて同意した。
確かに、ここで言い合っていてもしょうがない。
マリーが目を覚まさなければ、どんな議論をしても彼女を連れて行くのは不可能だ。
だからまずは、マリーが期間内に目覚めてくれることを祈るしかない。
「彼女を待って————そして、どうしたいかを聞いてみよう」
勇者達の輪の中に、重い沈黙が走る。
噴水の水音が、まるで時の流れを刻むかのように響いていた。
クロは無意識のうちにポケットに手を突っ込み、その中に入れた赤いペンダントを強く握りしめる。
今朝よりもそのレッドアンバーは、冷たくなっているような気がした。
読んでくださりありがとうございます。
主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。
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