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第63話 王女の道を進むなら、仮面を被り続けるしかない

 王女として仮面を被るか。

 それとも冒険者として仲間と共に頑張るか————


 重い決断の天秤が心の奥で揺れ続けている。

 私は、答えを出せずにいた。


 そして、現実は私の葛藤の答えを待つことはなく、王宮内の嫌がらせはエスカレートしていった————




「あ〜ら、ごめんなさいね」



 わざとらしい甘ったるい声とともに、令嬢達の肩が私の身体に激しくぶつかった。


 王宮内では重厚なシルクのドレスを纏わねばならず、冒険者の時のように俊敏に動くことはできない。

 突然の衝撃にバランスを崩した私の身体は、大理石の冷たい床へと無様に倒れ込んだ。



「あらあら! 王女ともあろう方がこんなところで這いつくばってますわよ〜〜!」



 令嬢の一人が火に油を注ぐように、白い手袋をはめた手を小刻みに叩き始めた。

 その音が廊下に響くたびに、好奇心に満ちた視線が四方八方から私に突き刺さる。

 まるで見世物を眺めるかのような冷たい眼差しが、私の尊厳を削り取っていく。



「ちょっと、わざとでしょ……?」


「は? そんな証拠、どこにあるんですの?」



 言い返した瞬間、取り巻きの一人がくすくすと含み笑いを漏らした。


 まるで哀れな虫けらでも見下ろすような、氷のように冷たい視線。

 嫌悪感を隠そうともしない、貴族令嬢特有の高慢ちきな態度が、私の心を容赦なく刺し貫いていく。


 周囲の者達は誰一人として手を差し伸べようとしない。

 扇子で口元を隠しながら、ヒソヒソと毒のある囁きを交わすばかり。

 彼らの視線は私を一人の人間としてではなく、格好の噂の種として捉えているのだ。



 ————これ以上、目立つ前にさっさと退散しよう。


 その時だった。



 何かが頭上から勢いよく降り注いだ。

 氷のように冷たい水が髪を濡らし、首筋を伝って背中へと流れ落ちる。


 薄紫のドレスの生地が肌にぴたりと張り付き、その不快感が全身を駆け巡った。

 髪飾りから滴る雫が床に小さな水溜まりを作り、私の惨めな姿を際立たせる。



「あらま、また手が滑ってしまいましたわ。これも仕方ありませんわよね?」



 銀細工が美しい水差しを傾けたままの令嬢が、作り物のような上品ぶった笑みを浮かべていた。

 その表情には一片の罪悪感もなく、むしろ愉快そうな光が瞳の奥で踊っている。


 周囲の者たちは誰一人として彼女を咎めることなく、ただ笑いを押し殺すのに必死だった。



「……!」



 悔しさで唇を噛む。


 周りの視線が私の全身に突き刺さる。

 好奇心と軽蔑の入り混じった眼差しが、まるで槍の穂先のように私を貫いていく。



 気持ち悪い。


 どうしてこんな気分にならなきゃならない。



 怒りをぶつけたところで、私が悪役に仕立て上げられるだけなのは火を見るより明らかだ。

 この場に私の味方など存在しない。



 この時間はいつまで続くのだろう。

 脇目も降らずに逃げればいいのだろうか。


 いや————そんなことをすれば、私の王女としての立場は悪くなる。



 ここは効いていないふりをして、嵐が過ぎ去るまでやり過ごすしかない。


 でも————いつまで……そうしていないといけないのだろう。



 涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、私はゆっくりと立ち上がった。

 次はどのような仕打ちが待ち受けているのかと身構えていると————



「————あらあらあら? マリナス様?」



 よく通る甲高い声が回廊の奥から響いてきた。



「リゼッタ……!」



 白磁のように透明感のある肌に、深紅のリボンをあしらった豪奢なドレス。

 彼女が歩を進めるたびに、まるでその場所がレッドカーペットに変わるかのような華やかさを纏っている。


 リゼッタ・レーヴェンシュタイン。

 次期王座を狙う、公爵家の娘————


 だが、彼女は令嬢達には一瞥もくれず、まっすぐ私の元へと歩み寄ってきた。



「そんな濡れ鼠のようになってしまって……まぁまぁ、可哀想に————さあ、私が綺麗にしてあげますわ。こちらにいらっしゃい」



 そう言いながら、リゼッタは私の手を半ば強引に掴んだ。

 そして躊躇うことなく私の手を引いて、好奇の視線に満ちた廊下を後にし、人気のない裏庭の小径へと導いていく。


 廊下にはポカンとした令嬢達だけが取り残された。

 薔薇の香りが漂う大理石の道は、先ほどまでの地獄のような空間とは別世界のように静寂に包まれていた。




 誰もいなくなったところで、彼女は私の手をすっと離す。



「……助かったわ、リゼッタ」



 彼女があの修羅場からから私を救い出してくれたのは明確だった。

 感謝の言葉を伝えるが、彼女は何も言わない


 ただ、咳払いをひとつし、リゼッタは私と向き合う。



 本来なら、王宮内の派閥争いにおいてリゼッタとは対立する立場にある。

 私を助ける義理などないはず。


 だから————これは昔ながらの幼馴染としての忠告だろう。



「悪いことは言いませんわ。お母様の言うことを聞いて、東の国に嫁ぐべきですわ」



 あくまで真剣にリゼッタは私に進言する。


 以前にも聞いた話だ。

 ヴィオレッタから告げられた政略結婚の件。


 私の意思など一切考慮されていない、ただの政治的な取引。

 血筋という名の鎖で縛られた、牢獄のような未来。


 そうだ、それに抗うために、私は冒険者になったのだ。



「このままでは、あなたは確実に潰されますわ。この王宮の女達の容赦のなさは、あなたが一番知っているでしょう?」



 リゼッタの言葉は真っ直ぐで、残酷なくらい現実的だった。


 ここは、誰かを蹴落とすことが日常であり、毒を含んだ言葉と巧妙な策謀が蠢く————どす黒い闇の中だ。

 彼女達を侮っていれば、すぐに闇に飲み込まれてしまうだろう。


 そんなことは、百も承知なんだ————



「意地を張って、冒険者ごっこを続ける必要はありませんわ。こんなこと、百害あって————」


「————ごっこじゃないわよ」



 言いかけた言葉を、私は遮った。

 強くは言えなかったけど、譲れなかった。



 クロと修行した日々。

 レックスに認められたあの日。


 勇者達と共に、ダンジョンを攻略し、冒険をしたあの時————


 私の選んだ道を、誰かに「ごっこ遊び」なんて言われたくなかった。



「————とにかく、忠告しましたわよ」



 リゼッタはそれ以上何も言わず、すっと背を向けて歩き出した。



 彼女の言っていることはきっと正しい。

 王女として、貴族としての仮面を被り切れず、冒険者稼業を続けていれば、王女としての道は途絶えてしまうかもしれない



 でも、それでも。


 私を待っている人がいる。

 共に歩んできた仲間がいる。


 彼らは、私を必要としてくれている。



 だから私は————



 私はこのまま頑張って、いいんだよね?


 頑張ることは、悪いことじゃないはずだよね————?




 その思いを胸に、私は濡れた髪を払いながら顔を上げた。




 ————陰の奥、柱の影からじっとこちらを見つめる視線があったことに私が気づくことはなかった。

読んでくださりありがとうございます。



主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。

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