第62話 嫌がらせを受けたなら、また仮面を被ればいいはずなのに
「今日はお疲れ様でした! マリー」
「うん」
ダンジョンの攻略が終わり、王都まで帰宅する私とクロ。
帰路につくクロの足取りは軽やかで、今までにない達成感が宿っていた。
今回のダンジョン攻略で自分達の役割を理解したことで、手応えがあったからだろう。
不安や迷いが晴れ、どこか誇らしげな笑みすら浮かべている。
「今日うまく行ったのも、全部マリーのおかげです。やっぱりマリーはすごいや……」
「別に。あんたが頑張った結果でしょ? あんたがいなきゃ私は何にもできないんだから、しっかりしてよね」
いつもの調子でそう言いながら、私はクロの横顔をちらりと見る。
彼は驚いたように目を瞬かせて、それから少し照れたように笑った。
「……そうですかね」
「まあ最初はどうなることかと思ったけどね〜〜あんた、ダンジョン攻略の最初の方、お漏らししたんじゃないかってくらい顔が真っ青だったわよ?」
「ちょ、ちょっと、必死だったんだからイジるやめてくださいよ! てか、お姫様なのに『お漏らし』とかいう下品な言葉使わないでください!」
クロが軽く抗議するように口を尖らせたので、思わずふふっと笑ってしまう。
「でも、あれでしょ? あんた、ちゃんと私の動き見て合わせてたわよね。今日のボス戦、ちゃんと二人でうまくやれたって気がしたから……」
「……はい。マリーが全力で攻撃できるようにって、そう考えてたから」
「そ。そういうとこ、ありがとね」
さりげなく並んで歩きながら、私達はどこか照れくさそうに、でも心地よく言葉を交わし合う。
街の喧騒も遠ざかり、時折吹く風が頬を撫でていく。
こうして肩を並べて帰る時間が、なんだか好きだ。
緊張や警戒心を解いて、ありのままの自分でいられる貴重な時間だった。
気を張らずにいられて、言葉も自然に出てくる。
言葉も飾らずに、思った通りに口にできる。
しばらく二人で歩いたところで、クロは立ち止まって周囲を見回した。
「ダンジョン帰りで疲れてますし、今日はこの辺で解散にしましょうか————そういえば……」
クロが夕暮れの王宮の様子を見ながら、口を開く。
特に深い意図があるわけでもなさそうで、ただ思い出したことを口にしただけ、という調子だった。
「この前、ちょうどこの辺りで喧嘩というか、ちょっとした騒ぎになってしまいましたが、あの後は大丈夫でしたか?」
「あ……」
少し表情が曇る。
一瞬だけ返答に迷ったのだ。
だが、すぐに首を振る。
「————ううん、全然大丈夫!」
「ほ、ほんとですか……?」
「いいのよ! 貴族社会のことは一般市民には分からない領域なのよ〜〜」
「ああ〜〜! 今、身分を馬鹿にしましたね〜〜!」
街灯の明かりの下で、二人で声を上げて笑い合った。
そして、クロの足は、王宮から遠ざかっていった。
「じゃあ、また明日も頑張りましょうね!」
「う、うん!」
そのまま手を振って、クロと別れた。
大きく————この時間を噛み締めるように。
彼の背中が角の向こうに消えていくのを見届けると————
まるで魔法が解けるように、私の表情から笑顔が消え去った。
別の仮面を被るかのように、感情を押し殺した無表情を作り上げる。
王宮の冷たい石畳が足音を響かせ、その音だけが静寂を破っていた。
やがて自室のある回廊へ差し掛かると、見慣れた女性が立っていた。
メイド服姿のテレシー。
私の専属侍女だ。
「マリナス様……」
「どうしたのかしら。テレシー」
テレシーは、気まずそうに視線を逸らす。
「その……今は掃除中でして、中には————」
声に迷いがあり、明らかに何かを隠そうとしている。
私は直感的に異変を察知し、淡々とテレシーを問いただした。
「……なんの掃除かしら?」
「それは……」
普段ははきはきと受け答えをする彼女が、ここまで歯切れ悪く口を濁すなど考えられない。
嫌な予感が胸をよぎった。
「————入るわよ」
「マ、マリナス様!」
テレシーの制止を振り切って、私は自分の部屋の扉に手をかけた。
扉を押し開けた瞬間、私は言葉を失った。
室内は、まさに惨憺たる有様だった。
いつも整然と配置されていた家具は無残に倒され、床一面には引き裂かれた衣服や書類が散乱している。
壁に飾っていた絵は引き裂かれ、机の上に大切に置いていた装飾品は粉々に砕け散っていた。
毎日使用人達が丁寧に掃除してくれているはずの部屋が、まるで嵐が通り過ぎた後のような酷い状況になっている。
————明らかに、意図的に荒らされた痕跡。
「すみません……少し部屋を開けている隙に————」
顔を暗くして、頭を下げるテレシー。
実のところ、数日前からちょっとした嫌がらせを受けていたのは事実だった。
最初は些細なもので、それほど気に留めるほどではなかったが、日を追うごとに徐々にエスカレートしていく。
そして今日————ここまで露骨で悪質な行為に及んだのだ。
私は動揺を押し殺し、気持ちをしっかりと立て直してテレシーに向き合った。
「テレシーに怪我はなかった?」
「え? はい……」
「それはよかったわ」
少しだけ、胸を撫で下ろす。
使用人達に危害を加えられなかったことは、なによりだ。
だが、このままではまた嫌がらせがエスカレートしてしまうかもしれない。
以前までは、こんなことになる前に、空気を読んで対処していた。
貴族達に擦り寄り、機嫌を取って、自分に矛先が向けられないようにしているはずだ。
いつの間にか、そんなことをしなくなっていた。
冒険者として純粋に努力し、みんなの役に立つことに夢中で、人の顔色を窺って行動する方法を忘れてしまったのかもしれない。
でも————このまま冒険者として頑張り続けていても、女王としての道は開かれないのではないだろうか。
私が以前から目指していた、異世界で贅沢安定生活をするという目標は、達成できないのでは————
だからと言って、グランドクエストに向けて頑張っている皆を、裏切りたくはない。
どうすればいいんだろう。
私はこのまま、冒険者を続けていてもいいのだろうか。
モヤモヤとした葛藤が、私の胸の奥でずっと燻っているのだった。




