第5話 勇者を籠絡したいなら、茶をしばけばいいじゃない
「お初にお目にかかり、光栄です勇者様」
背筋を伸ばし、頭を控えめに下げる角度も完璧。
指先の一つ一つまで計算された所作。
銀食器を持つ手つきから、杯の傾け方まで————私はこれまで宮廷で培ってきたテーブルマナーをここぞとばかりに披露していた。
勇者を手下にしよう(ゲフンゲフン)————もとい、協力を依頼しようと決意して早三日。
お父様がいつ気が変わるのかとびくびくしながらも、マリナスは三日三晩を勇者探しに費やした。
主に髪の薄いアンドレアス冒険者組合長にひたすらアタックした。
王室からの贈り物、優遇措置の約束、果ては父王に言いつけるぞという脅しまで(んなことしないけどね)。
そうしてようやく勇者とのアポイントメントが取れたのだった。
「初めまして、私はアンドレアス王国第一王女、マリナス・アンドレアスでございますわ」
私は丁寧に自己紹介をし、頭を下げる。
それにしても、勇者レックスがまさか女性だったとは————
夕陽を思わせる金色の長い髪が肩を滑り落ちている。
切れ長の目には氷山のような冷たさを湛えた青い瞳。
紺色と黒の精巧な刺繍が施されたチュニックは、実用性と美しさを兼ね備えていた。
その佇まいからは、数多の戦いを潜り抜けてきたという力強さと、同時に女性特有の優美さが感じられる。
そして彼女の隣には、もう一人の冒険者が座っていた。
肩幅が広く、腕の筋肉が衣服の下で盛り上がる大柄な男。
おそらく彼女の冒険者仲間だろう。
「ささ、本日は特別に最高級の紅茶を仕入れさせています。どうぞお召し上がりください」
私はそう言いながら、ウェイターに合図をし、紅茶をカップに注がせた。
琥珀色の液体から立ち上る芳醇な香りが周囲に広がる。
仕入れさせたと言いつつ、本当は自分で持ち込んだのだが。
それくらい、私は今日のこの場に賭けている。
この交渉だけは失敗できない。
本当は王室に呼ぶのが一番いいのだが、今回は父王に内緒の非公式な会合。
それゆえ、彼女が知る限りで最も格式高いレストランを選んだのだ。
「まさか、あの有名な勇者様にお会いできるなんて、夢のようですわ」
ひたすらへりくだった言葉を並べる。
相手のまつ毛の長さが見えるくらい、自分を下に下に押し下げ、コミュニケーションを図った。
今の自分は王女というよりは、大切な契約を結ぶために奔走する商社マンの気分だった。
「この街は綺麗でいいでしょう。街の景観や水も管理が行き届いています。きっと勇者様もお気に召されて————」
「要件を」
「はい?」
「要件を言ってくれ。こちらもそこまで暇じゃない」
レックスの言葉は冷たく、マリナスの流れるような会話を容赦なく遮った。
王女は一瞬、言葉に詰まる。
あれ? 既に印象が悪い?
「レックス……この国のお姫様がせっかく来てくれたのにその態度はないだろう」
すると、隣の大柄な冒険者が不満げに唸った。
「私はいつも通りに振る舞っているだけだ」
「はあ……すまねえなお姫さん。こいつの態度は気にしないでくれ」
「え、ええ……」
マリナスは慌てて微笑みを取り戻した。
なるほど。
こいつはなかなか気の難しいお客さんのようだ。
だが私はめげない。
このような気難しい客からも必ず契約を取り付けてみせる。
私は、心の中の営業魂に火をつけた。
「勇者様、実は折り入ってお願いがあるのです」
マリナスは姿勢を正し、本題に入る。
目の前のカップから立ち上る湯気が、彼女の緊張した表情を一瞬隠してくれる。
「現在、我が王国は軍事力に力を入れています。富国強兵。兵を強くして国の威厳を示す。それが父王の方針なのです」
私は一呼吸おいて、一気に続けた。
「そこで、勇者様にも我が王国の兵の一員に加わって欲しいのです。勿論、常時王国の兵になってくれという話ではありません。あなたがこの国を守っているという体裁が欲しいのです」
できるだけ譲歩して、相手に同意を得ようと努める。
テーブルの下では、手に汗握っていた。
「つまり、私の名前が欲しいということか?」
「そうです! なので勇者様のご負担には————」
「くだらんな」
レックスのその一言は、部屋の空気を凍りつかせた。
私は絶句し、返す言葉を失った。
重苦しい静寂が二人の間に流れる。
「レックス……お前な————」
「いいだろう。私の名前、条件次第では売ってやる」
突然の事態の好転に、マリナスは顔を上げる。
そして、暗闇に差し込んだ一筋の光を見つけたかのように、笑顔を咲かせた。
「本当ですか!? あなた様のお役に立てるならなんでもしましょう!」
目を輝かせながら、私は勇者の要求を聞く。
金だったら即刻用意させるし、欲しいものがあるならすぐに買いに行かせる。
私は王女だから、それができる。
勇者は私が用意した紅茶を一口含んだ後、条件を話し始めた。
「俺達がこの王国を訪れた理由は、グランドクエスト攻略のためだ」
「グランドクエスト?」
勇者はゆっくりと立ち上がり、窓際のカーテンを開けて指を差す。
その指先の先には、遠く霞む山々が見えた。
「西のあの山脈————『シドレフ山脈』の地下深く、ダンジョンに伝説の竜が生息している。『エンシェントドラゴン』だ」
頂上に微かに雪を被っている山脈を見つめながら、レックスは静かに続ける。
「私達はそれを討伐するためにここにやってきた。だが、ここに来る前に、とある理由でパーティが何人か抜けてしまったんだ。今の人数でグランドクエストに挑むのは少し不安がある————だから、マリナス王女。あなたの方で屈強な戦士を二人手配してくれたなら、喜んで勇者の名を貸そう」
「屈強な戦士を二人……」
考え込むように言葉を繰り返す。
屈強な戦士ってなんだ? くっきょうって何だ?
今の私に、そんなあてはない。
「無論、生半可な戦士を連れてきてもらっても困る。だから二日後の夜、地下闘技場で行われる闘技大会に出場し、そこで優勝すれば、勇者パーティへの参加を認めよう」
「闘技大会って……急に……」
無意識に表情が曇ってしまう。
たった二日で、そんな戦士を調達するなんて、無理じゃないか?
「できないというのであれば無理強いはしない。話はそこで終わりだというだけだ」
レックスの言葉は突き放すようだった。
私は一瞬迷ったが、決意の表情を浮かべる。
やるしかない。
「かしこまりました。私にお任せください!」
私は勇者に対して、強気に宣言したのであった。
*
「では、私達はこれで」
「お姫さん。ごちそうさま」
冒険者二人はレストランを後にする。
大きなガラス窓の向こうでは、彼らの姿が見えなくなるまで深々と頭を下げ続ける王女の姿があった。
「あの年のお嬢様なんか天狗になりそうなもんなのに、まああんなに健気に————お前もよくないぞ」
夕暮れの街を歩きながら、大柄な男が言った。
「何がだ、ラウム」
真顔で返答する勇者レックス。
ラウムと呼ばれた男の冒険者は溜め息を吐く。
夕日に照らされた彼の顔には、複雑な感情が浮かんでいた。
「話を受ける気がないならきっぱり断るべきだろう。それをあんな無理難題押し付けて……あんな丁寧に扱ってくれて、飯も奢ってもらってんのにそれはないぜ」
ラウムは地面を蹴りながら、苦言を呈した。
「ふん、ラウム。お前はあの娘がそんなにいい子に見えたのか?」
レックスの唇が皮肉めいた笑みで歪む。
「あれは鋼鉄の仮面をつけた筋金入りのお姫様だ。へりくだったあの態度も全部演技だろう。私達を利用しようとしている思惑が丸見えだ。だから、ちょっと鼻を明かしたくなってな」
レックスはそう言って足を止めることなく歩き続けた。
夕日の残り火が彼女の金髪を赤く染めている。
「だからってよ……初対面の奴に取る態度じゃないぜあれは。何がそんな気に入らなかったんだ?」
「……さあな。本能的なもんかもな」
「ひでぇ奴だ」
ラウムはそう締めくくった。
二人の姿が通りの影に溶け込もうとした時、背後から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「レックスさん!!」
小柄な姿が勢いよく駆けてくる。
夕闇の中にもその熱意だけは鮮やかに伝わってくる。
「……またお前か」
レックスはため息をつき、立ち止まった。
駆けつけた人物は息を整えながら、勇者の前に立つ。
姿勢を正し、胸いっぱいに息を吸い込んで、その冒険者は力強く言うのだった。
「僕を勇者パーティに入れてください!!」
読んでくださりありがとうございます。
主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。
もしよければ↓の★★★★★を押して応援してくれると嬉しいです!
ブックマークもお願いします!
あなたの応援が、作者の更新の原動力になります!
よろしくお願いします!