第55話 マリーのことを思うなら、守ってあげればいいじゃない
しばらく時間が経つと、マリーが寝てしまった。
安らかな寝息を立てながら、まるで花びらのように柔らかな頬を枕に預けている。
またもや、マリーの寝顔を見てしまった。
「————ごめんなさいね。あなたもいるのに」
少し苦笑いをしながら、王妃クセルは僕に謝る。
その仕草でさえ気品に満ちており、年を重ねた女性の持つ深い美しさが際立っていた。
「いえ————こんなに子供のようにはしゃいでいる彼女は初めて見ました……いつもと違う、彼女を見られて、嬉しいです」
「そう……」
王妃クセルはマリーに視線を落とす。
「王宮だと、きっと常に気を張っているからね」
細い指先が、マリーの絹のような髪をそっと撫でていく。
彼女の瞳には、深い愛情と同時に、どこか憂いを含んだ複雑な感情が宿っていた。
マリーは気持ちよさそうに眠りを続ける。
「この子、見た目以上にどこか大人びているというか。達観しているというか————まるで、二度目の人生を歩むかのように、慎重に生きているわ」
確かにマリーは、見た目相応のお姫様とは違う気がする。
同じ歳の他の貴族は、もっと高慢でわがままなものだ。
でもマリーは、むしろ人生の酸いも甘いも知り尽くした大人のような慎重さと思慮深さを併せ持っていると感じる。
まるで、この世界とは違う記憶を持っているみたいな。
前世の記憶————というのだろうか。
「私の前では、年相応になってくれるから、少しはこの子の役に立てているのでしょうかね」
マリーのツートンの髪を撫でた後、改めて僕の方に視線が向けられる。
「そんな場所をたくさん作って欲しい————よければあなたにも、マリナスの居場所になって欲しいと思っています」
王妃の温かな願いが、部屋の空気を柔らかく包み込む。
その言葉に込められた深い愛情に、僕の胸も熱くなった。
「マリー……マリナス様は、僕達の前では、素でいてくれていると思います。王女としてではなく……同じ冒険者として————」
思い返せば、彼女が堅苦しい王女としての仮面を脱ぎ捨て、一人の冒険者として僕と共に歩んでくれたからこそ、今の関係が築けたのだ。
地位や身分を超えて、同じ目標に向かって汗を流し、困難を乗り越えてきた日々が蘇ってくる。
マリーが一人の冒険者になってくれたから、一緒に頑張れた。
「あの人はすごいです。慣れないことでも自分なりに努力して、誰かのために頑張って————とても尊敬しています」
マリーのことを想うと、胸の奥から湧き上がってくる温かな感情に包まれる。
この気持ちは————きっと尊敬だ。
それとも————
「————マリナスのことが好きなのね」
「はい————え!? いや、そんなっ……今のは違います!」
咄嗟に、はいと肯定してしまった。
しかし、自分の発した言葉の意味に気づいた瞬間、血の気が一気に顔に上り、慌てふためいて首を左右に振る。
耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かった。
「ぼ、僕みたいな平民が王女様を好きだなんて……身の程知らずですよ……! 畏れ多いです……」
「そんなことないわよ。私も貴族じゃなくて平民の出だしね」
「え? そうなんですか?」
そうだったのか。
その上品で気高い佇まいからは、生まれながらの貴族かと。
だとしても、今の僕はきっと彼女に釣り合わない。
僕はただの一般冒険者。
対して彼女は王女であるにも関わらず、冒険者としても努力できる凄い人だ。
なりたい。
マリーの隣に立てるような、立派な人間に————
すると、王妃クセルがまた優しく笑う。
「これからも、マリナスを支えてあげてね」
「はい……!」
力強く頷きながら、僕は心に深く誓いを刻んだ。
*
夕刻が近づく頃、冒険者クロが眠そうに目を擦りながら起き上がったマリナスを気遣うように連れ立って部屋を後にしていく。
二人の足音が廊下に響いて遠ざかっていくのを聞きながら、王妃クセルは静かに佇んでいた。
使用人たちも事前に外に出してもらっていたため、部屋には王妃一人。
部屋に静寂が訪れる。
「————テレシー」
「ここにおります」
さっきまでとは違う、真剣な表情。
母親らしい優しさから一変し、鋭い刃物のような緊張感を帯びる。
「マリナスを狙う勢力はその後どう?」
「依然として尻尾を掴めません……うまく雇った冒険者達を隠れ蓑にしているようです」
「そうね……」
王妃の眉間に深い皺が刻まれる。
敵の正体については既に目処が立っているものの、決定的な証拠を掴めずにいる状況だった。
中途半端な状態で動けば、かえってマリナスの立場が危うくなる。
「常に警戒して。もうそろそろ直接的に仕掛けてくる頃合いだわ」
「マリナス様に悟られずに……ですか?」
「————無茶を言っている自覚はあるわ」
王妃クセルの表情に、苦渋の色が濃く浮かぶ。
護衛の強化は必要だが、マリナスは今、大事な時期だ。
できるだけ行動を制限させたくはない。
この考え方は……母親として失格だろうか————
王妃クセルは、窓の外を見やる。
「————それでも、今の楽しそうなマリーの日常を、壊したくないわ」
「……御意」
テレシーは深く頭を下げると、再び影の中へと姿を消していく。
その存在が完全に気配を絶つまで、部屋には張り詰めた空気が漂っていた。
王妃は一人残された部屋で、夜の帳が降りる窓の外を見つめながら、小さくつぶやいた。
「クロ君————どうか、マリナスを守ってあげてね」
読んでくださりありがとうございます。
主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。
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