第52話 ターゲットが死なないなら、きっかけを待てばいいじゃない
薄暗い石造りの部屋に、ぽつりと置かれた銀の燭台。
外界の喧騒から隔絶され、静寂に包まれている。
その上で揺れる蝋燭の炎が、壁に映る影を不気味に踊らせていた。
重苦しい静寂を切り裂いたのは、奥の肘掛け椅子に身を沈めていた一人の令嬢の声だった。
「……あの娘、まだ死んでないの?」
絹のドレスに身を包んだ彼女の唇から、氷のような言葉が零れ落ちる。
鋭い声とともに、令嬢が白く細い指でテーブルの上を指し示した。
そこには数枚の書類とともに、一枚の紙が広げられていた。
粗く描かれたそれは、アンドレアス王国の第一王女、マリナスの顔を写した素描だった。
輪郭はやや歪んでいるが、気品を帯びた目元や高く結い上げられた髪の様子から、その人物が誰なのかは明らかだった。
その上品な笑顔が癪に障るとばかりに、令嬢が軽蔑を込めて鼻を鳴らした。
「冒険者に依頼したのに……やっぱり野良犬じゃ、まともな仕事は期待できないわね」
声には深い軽蔑と苛立ちが滲み出ていた。
まるで汚物でも見るような表情で、彼女は素描を睨みつける。
令嬢達は影の中で顔を見合わせた。
王女マリナスの暗殺を冒険者に金で依頼していたのだ。
しかしその計画は、どういうわけか失敗していたという。
依頼を受けた者たちが無能だったのか、それとも王女の護衛が予想以上に手強かったのか。
いずれにせよ、彼女達の思惑は外れていた。
「いつまでも王女の地位にしがみついて……まるで害虫だわ」
「挙げ句の果てに冒険者だなんて。ほんと見苦しいったらない」
陰湿な言葉が次々と口をついて出る。
蝋燭の炎が風もないのに激しく揺れるたびに、令嬢たちの美しい顔立ちが悪鬼のような陰影に歪んだ。
「手っ取り早く始末する方法もありますわよ?」
その中の一人が、ふと懐から小さな瓶を取り出した。
透明な容器の中で、緑がかった不気味な液体がとろりと揺れている。
それは闇の中でも不自然な光沢を放ち、まるで生命そのものを冒涜するような邪悪な輝きを湛えていた。
ささやくような声音だったが、その響きには確実な殺意が込められていた。
だが————
「……あまり目立つのは避けたいわね」
この密謀の首謀者と思わしき、最も高い身分を持つ令嬢が、ゆるりと首を振る。
彼女の一言には絶対的な権威があり、その声音には生まれながらの支配者の風格が宿っている。
他の者たちは即座に沈黙し、恭しく頭を垂れながら思案顔となった。
「何か……そう。きっかけがあれば————」
もっと自然に処理できるのに————
その含みのある言葉が空気に溶けきる前に、重厚な木の扉がきしみ音と共にそっと開かれた。
蝋燭の灯りの外から、使用人が静かに姿を現す。
「お話中、失礼いたします。あの————」
「そんな大声で名前を呼ばないで頂戴。で、何かあったの?」
氷のように冷ややかな声でたしなめながら、令嬢は扇子を持つ手で促す。
使用人は小さくうなずいて報告した。
「マリナス王女が、王宮で揉め事を起こされたそうです。詳しいことはまだ……」
その言葉を聞いた瞬間、最上位の令嬢がふっと口角を上げた。
笑みは冷たく、深い底意を宿していた。
「これは……いいきっかけになりそうね」
蝋燭の炎が一際大きく揺らめき、令嬢達の瞳に妖しく邪悪な光が宿った。
密室の闇がより一層深くなり、彼女達の影が壁に巨大な化け物の形となって踊っているようだった。
読んでくださりありがとうございます。
主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。
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