第44話 別人格に会いたいなら、夜這いすればいいじゃない
その日の深夜。
石造りの回廊には虫の音だけが響き、時折夜風が窓のカーテンを揺らす音が聞こえるのみ。
月明かりが差し込む窓から、青白い光が床に幾何学的な影を落としている。
僕————クロは音を立てないようにそんな廊下を歩いていた。
恐る恐る慎重に、靴底が床に触れる度に、微かな音さえも耳に障るほど神経を研ぎ澄ませていた。
一応、勇者一行の冒険者は、僕を含め、マリーの生活している東棟に関してのみ、王宮内を自由に出入りできるようになってはいる。
だが、こんな夜更けに訪れることほど、非常識なこともない。
故に、バレたらまずい。
下手をすれば金目当ての野党と間違われて、問答無用で牢に放り込まれてもおかしくない状況だった。
それでも僕がこんなリスクを冒してまで、王宮の奥深くに足を踏み入れているのには、切実な理由があった。
昨夜、マリーは別人格であるゴーキと入れ替わった。
そのトリガーは結局分からずじまいだが、今のマリーはもしかすると、人格入れ替わりが起きやすい状態になっているのかもしれなかった。
予期せぬタイミングで変化が起こる可能性が高い。
そうだとして、マリーが就寝中にゴーキに入れ替わってしまった場合、それが王宮の人に見つかりでもしたら、大騒ぎになってしまう。
それを危惧した僕は、こうしてマリーが眠りについたであろうこの時間に、王宮に忍び込んだのである。
————決して、マリーの寝顔を見たくて来たわけではない。
注意深く周りを見回しながら、足音を殺して歩みを進める。
幸い、この時間帯の東棟は人気が少なく、遠くで巡回する衛兵の足音が聞こえる程度だった。
そして、ついにマリーの部屋の前にたどり着いた。
その時————
「————何奴……!」
鋭い声と共に、足元にナイフが突き刺さった。
「おわ————っ!!」
驚きのあまり、悲鳴をあげそうになったところをなんとか口を覆って耐える。
やばい……!
見つかったか……!?
逃げたほうがいいだろうか……?
僕は逃げる態勢を取りながらも、ナイフが飛んできた先を見つめる。
すると、ナイフを投擲した人物が廊下に降り立った。
「あら————あなたは冒険者の……」
そこにいたのは、マリーの専属使用人であった。
一度だけ会ったことがある。
確か————名前はテレシー。
マリーと最初に出会った時に隣にいた、戦闘もできるメイドさんだった。
「こんな遅い時間にどうしたのですか? マリナス様はもうご就寝されましたよ」
「いや……えっと、その————」
時刻は午前0時を回ろうかという頃だ。
テレシーが、そんな怪訝な顔をするのも無理はない。
————かと言って、マリーの人格が変わることを懸念して見に来た、なんていう訳の分からない理由を伝えるわけにもいかない。
「き、今日の稽古、かなりハードだったと思うんで、筋肉痛とか大丈夫かなぁ〜と思って……」
「……」
テレシーのジト目が僕に突き刺さる。
流石に無理あるか?
そんな心配事なら、わざわざこんな深夜に忍び込んでくる必要などないし、何より昼間に堂々と尋ねればいい話だ。
自分でも苦しい言い訳だと分かっている。
テレシーはしばらくの間、僕のことを見つめていたけど、気が済んだかのように一息つく。
「————いいでしょう。お通りください」
「え? いいんですか?」
「なんかおもしろそうなんで通します」
「えぇ……?」
そんな理由で通していいのか……?
テレシーは軽く礼をしながら一歩後ろに下がり、道を譲る。
僕は恐る恐るマリーの寝室に足を踏み入れた。
扉を開けると、ほのかに花の香りが漂ってくる。
部屋の中は薄暗く、豆電球の温かな明かりだけが空間を照らしていた。
家具はすべて上質な木材で作られ、金の装飾が施されていた。
窓際には美しい花が活けられた花瓶が置かれ、月明かりに照らされて幻想的な影を作り出している。
なんともお姫様らしい部屋だ。
豆電球の明かりが透けて見える、レースのカーテンで囲まれた天蓋付きのベッドの方に向かう。
こっそり近づいて、息を止めながらゆっくりとカーテンを開いた。
そこには————マリーが安らかな表情で目を閉じて眠っていた。
月明かりが差し込む中、彼女の橙色と黒の混ざったの髪が枕に広がり、まさに絵画のような美しさを放っている。
「う……ん……」
ちょうどその時、マリーが小さく呟きながら寝返りを打った。
シーツがわずかに音を立て、彼女の身体が横向きになる。
一瞬、目を覚ましたかと思って肝を冷やしたが、表情は依然として穏やかで、深い眠りについているようだった。
————ということは、まだ人格は変わっていないということだろうか。
いや、まだ安心はできない。
深い眠りになってから、変わる可能性だってあるのだ。
僕はマリーの寝顔を注意深く観察した。
無意識に彼女の方に近づきながら————
読んでくださりありがとうございます。
主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。
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