第43話 組手がうまくいかないなら、間合いを意識すればいいじゃない
「……あんた、どうしたの、その顔?」
真剣組手修行二日目。
目の前のマリーは、僕の赤く腫れた顔を見て怪訝な表情をしていた。
そりゃ、昨日まで傷ひとつなかった顔が、まるで蜂に刺されたようにパンパンに膨れ上がっていれば、誰だって不審に思うだろう。
「え、えっと……ちょっと転びまして」
「いやどんな転び方したのよ。顔面でスライディングでもしたの?」
反射的に嘘をついたけれど、マリーの眉はあからさまにひそめられている。
実際は————昨日のゴーキさんとの稽古で、死ぬほどボコられたのだ。
彼の言葉通り、ラウムさんとは比べ物にならないほどスパルタだった。
頬がじんじんと痛む。
鏡があったら見たくないレベルだ。
昨夜、マリーの人格がゴーキさんと入れ替わっていたことは内緒にしておこう。
自分の人格が勝手に入れ替わっていたなんて聞かされれば、彼女はきっと余計に混乱してしまうに違いない。
すると、マリーが僕の方に近寄って————その白い手のひらを、僕の腫れた頬にそっと添えた。
「————あんまり無茶しないでよ? 大切なバディなんだから」
マリーが上目遣いで、僕の顔を覗いてくる。
心臓が跳ね上がった。
「ほ、本当に大丈夫ですよ! アハハハ〜〜!」
「?」
またしてもマリーに奇異の目で見られてしまう。
顔が熱い。
マリーの顔を直視すると、昨夜の綺麗な寝顔が脳裏をよぎる。
あの時、人形のように綺麗な表情に吸い込まれて————理性を失いかけていた自分が恐ろしい。
なんだかマリーの前では、すごくテンパってしまうのだ。
「さ、さあ! 今日も真剣組手をしましょう!」
「おうよ! ラウムさんがまだ来ないけど、早めに始めたっていいよね!」
必死に気を取り直して、今日の修行を始めようとする。
剣を握りしめて————僕はあることを思い出した。
そうだ。
昨夜、ゴーキさんに稽古をつけてもらって、既に色々と学びを得ていたのだ。
それをマリーにも共有しようと思っていたんだ。
「そういえば、昨夜、すごく大事なことを学ん————思いついたんです」
学んだと言いかけてすぐに訂正した。
昨夜のゴーキさんとの稽古のことは秘密だ。
「昨日の真剣組手、ぎこちない動きになってしまった理由が分かりました。重要なのは、間合いです」
「間合い?」
マリーが小首を傾げて、頭の上にはてなマークを浮かべるような仕草を見せる。
「ちょっと剣を構えてみてください」
そう促しながら僕も剣を構える。
そして、ゆっくりと前に進み出て、互いの剣と剣が交わる寸前のところで足を止めた。
朝の光を受けて、二本の剣身が銀色に輝いている。
「そう、この位置です。剣先が相手に当たるか当たらないかの距離、これを常に保つのが重要です」
二人の距離は剣一本分よりもほんの少し遠いといった位置。
手を伸ばせば、相手の胸に届くかといった絶妙な距離感だった。
「これ以上、立ち位置が離れてしまうと————そう、剣が当たらない。逆に近づきすぎると————うん、こんな風に剣が振りづらくなりますよね」
実際に距離を変えながら説明すると、マリーの表情に理解の光が宿った。
間合いが離れすぎてしまうと、剣を振っても空ぶってしまい意味がない。
また、間合いが近すぎると、剣を振る前に腕が相手に当たり、思うように振り切ることができないのである。
「なるほどね〜〜、この間合いを常に保って戦うことが大事ってことね」
マリーも納得してくれたようで、僕の胸に安堵が広がった。
ゴーキさんはこの重要なポイントを一瞬で見抜き、厳しく指摘してくれていた。
『お前は攻めっ気が強すぎて、常に触りに行こうと前に出過ぎているんだよ。んなことしたら、この子が振りづらくてしゃあねえだろ。もっと考えろ』
あの乱暴な口調で叱られた時のことを思い出すと、頬の痛みが再び疼いた。
だが、ひとまず意識を変えられただけでも、きっと大きな進歩になるはずだ。
「とりあえず、これを念頭に置いて、ゆっくりやってみましょう」
「うん……でも剣を構えると距離感覚が難しくって————はわわっ!」
マリーが突然バランスを崩し、後ろによろめいて転びそうになった。
僕の体は咄嗟に反応し、彼女を支えようと前に飛び出す。
「だ、大丈夫ですか————わっ……!」
しかし、そこで僕も足元の石につまずいた。
バランスを崩した僕の身体は、そのままマリーに向かって倒れ込んでいく————
気づいた時には、彼女の華奢な体に触れていた。
肩に手をついて、至近距離で————僕達の顔は、ほんの数センチしか離れていない。
彼女の吐息が頬にかかり、瞳の奥に映る自分の姿が見えるほどの距離だった。
「……す、すみません! 僕、これは————」
慌てて体を起こそうとしたけれど、マリーも硬直したように動けないでいる。
目が合って、時間が止まったようだった。
彼女の頬が、桜の花びらのようにほんのりと赤く染まっている。
またもや心臓が激しく跳ねた。
いや、今度は僕だけでなく、彼女の心音も聞こえてくるような気がした。
「……何やってんだ? お前ら」
その声で現実に引き戻された。
背後から聞こえたその渋い声は、ラウムだった。
ラウムの声が聞こえた瞬間————マリーの顔が熟れたリンゴのように真っ赤に染まっていく。
「ラ、ラウムさん! 違うんです、これは、その————」
「————いいから早くどきなさーーいっ!!」
マリーが突然怒鳴る。
そして次の瞬間————ドン、と腹部に重い衝撃が走った。
彼女の拳が僕の鳩尾に深々と食い込み、僕の体は宙に舞い上がる。
青い空がくるくると回転し、雲がゆっくりと流れていく。
……空は、今日も、いい天気だった。
読んでくださりありがとうございます。
主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。
もしよければ↓の★★★★★を押して応援してくれると嬉しいです!
ブックマークもお願いします!
あなたの応援が、作者の更新の原動力になります!
よろしくお願いします!




