第42話 疲れたなら、別人格に変わればいいじゃない
「————流石に……もう無理……!」
マリーが草むらにどさりと倒れ込んだ。
荒い息が肩を大きく上下させ、汗で湿った髪が頬に張り付いている。
真剣組手をぶっ通しで6時間。
夕日が山の向こうに沈み、空が既に藍色に染まっている。
まるで長距離を走り切ったかのような疲労感が体を支配していた。
剣をまだ振りなれていないマリーには、特にハードだっただろう。
それでも彼女は一度も弱音を吐かず、最後まで食らいついてくれた。
「体全体痛くて、ぷるぷるだぁ……もう動けない……」
「ちょっと、こんなところで寝てたら風邪ひきますよ」
マリーが一緒に努力してくれることに、心の底から感謝の気持ちが湧き上がる。
荒事など縁遠い生活を送ってきたであろう彼女には、剣を振るなんてことは想像もしてなかったことのはずなのだ。
真剣組手もまだぎこちなかったが、少しずつ様になってきている。
マリーは、ちゃんと努力のできる女の子だったのだ。
僕もマリーの隣で仰向けに横たわる。
頭上には宝石を散りばめたような満点の星空が広がっていた。
「ねえクロ……聞いてくれる?」
夜風に運ばれてきたマリーの声は、疲労のせいか、いつもより穏やかで優しかった。
「私のお母さんがね————星を見るのがとても好きだったの」
マリーはポツポツと語り始める。
マリーの声音は、まるで遠い思い出を手繰り寄せるように静かで、どこか懐かしさを帯びていた。
彼女の美しい声が夜の静寂に溶け込み、星空と調和している。
「あの星のように輝くことができたなら、もっと楽しいんだろうなって————いつも言っていたんだ。それを聞くたびに……私は……お母さんならなれるよって————」
そこまでで、マリーの言葉は途切れた。
寝てしまったようだ。
きっと疲労の限界だったのだろう。
マリーの言っているお母さんとは、この国の王妃のことだろうか。
だが、聞いている感じは少し違う気もする。
彼女も夢の話だと言っていたから、あまり気にする必要もないのだろうか。
僕は上半身を起こし、そっとマリーの寝顔を見つめた。
月光に照らされた彼女の横顔は、この世のものとは思えないほど美しく、まるで別世界の住人のようだった。
陶器のように滑らかな肌、長いまつげが作る影、そして微かに開いた唇————すべてが完璧で、まさに童話に登場する人形のような美しさを湛えている。
やはり彼女は真のお姫様なのだと、改めて実感させられた。
なんとなく、もっと間近で見たくなった。
月明かりに浮かび上がる彼女の整った顔立ちに、知らず知らずのうちに意識が吸い込まれていく————
「————何顔近づけてんだ」
「え? む、むぎゅっ————!?」
突如、マリー?の手が僕の顔を鷲掴みにする。
目の前には、見下すように鋭い視線を投げかけているマリーの顔があった。
この気迫、もしかして————
「いてて—————あ、あなたは!?」
「どういうわけか、また変わっちまったな」
あと、体が痛え……
マリーの別人格はそう言って顔を顰めながら、肩をぐるぐると回していた。
どうしてこのタイミングでまた出てきたんだろうか?
どういうトリガーで?
しかし————これは千載一遇のチャンスなのでは?
あの時は、冒険者との戦闘でうまくこの人の技を学ぶことができなかった。
でも今なら、邪魔は入らない————
僕は瞬時に頭を切り替えて、真剣な表情で前のめりになる。
「あの————僕に稽古をつけてください!」
「ああ?」
僕は脈絡もなくマリーの別人格に頭を下げて頼み込んだ。
「強くなりたいんです……! 僕には才能がないっていうのはもう分かっています。でも、あなたのように戦えれば、僕はもっと上に行ける……!」
そうすれば、レックスさんにも認められる。
マリーを守ることができる。
真剣組手でバディの力は強化することができるだろう。
でも、やれることはなんでもしたい。
「あの子のためか————まあいいだろう」
相変わらず、マリーの可憐な外見とはまったく似つかわしくないクールで男性的な口調で、その人格は短く頷いた。
————ということは、稽古をつけてくれるのか。
「言っておくが俺の稽古はあの髭面のおっさんよりもスパルタだぜ」
「は、はい!」
気合いを入れろクローム・ノア。
この人から、あらゆることを吸収して自分だけの強さを手に入れるんだ。
僕は両頬をパンパンと軽く叩いて、気合いを入れた。
そういえば————
「あのっ! あなたのことはなんて呼べば……?」
この人は、マリーではない。
かと言って、マリーの別人格さん、と呼ぶわけにはいかないし。
今後も関わりが続くなら、固定した呼び名があった方が互いにやりやすいだろう。
そもそも、この謎めいた存在に名前があるのかどうかも定かではないが。
「そうだな————」
マリーの別人格は、宙を向いて考える。
すると、ニヤリと薄い笑みを浮かべて、こちらに振り向いた。
「俺のことは、ゴーキと呼ぶといい」
————変わった語感の名前だった。
読んでくださりありがとうございます。
主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。
もしよければ↓の★★★★★を押して応援してくれると嬉しいです!
ブックマークもお願いします!
あなたの応援が、作者の更新の原動力になります!
よろしくお願いします!




