第35話 彼が助けに来てくれたなら、逃げればいいのでは……?
「よお……また会ったな。お嬢さん」
そこにいたのは、闘技大会の決勝で戦った、柄の悪い冒険者であった。
その後ろから、同じように薄汚れた革鎧に身を包んだ数人の仲間達がぞろぞろと入ってくる。
まるで獲物を見つけた野犬のように、ギラギラとした笑みを放っていた。
「それでは————組合長、ありがとうございました。私はこれで————」
「待て待て、勇者の弱点を知りたいんだろ?」
避難するように私は部屋を出ようとしたが、扉を体で塞がれる。
まるで心の中を見透かしたような物言いに思わず足が止まる。
私と組合長の会話を盗み聞きしていたのだろうか?
「フォックスくん、君達の入室を許可した覚えはないよ」
「でしゃばんなよハゲジジイ。俺達はそこのお嬢様に用があんだよ」
酷い暴言で組合長をあしらう。
てか、フォックスってそんなかっこいい系の名前だったのかこの人。
私は本能的に、無意識のうちに一歩後ずさりした。
闘技大会決勝のあの時の光景が鮮明に蘇る。
容赦のない攻撃で、クロのことを痛めつけていたことをまだ忘れていない。
「そう警戒するなよ。こんな街中で襲おうなんて思っちゃいないさ。それに……お前、おっかねえしな」
フォックスという冒険者は肩を竦めながらそう言い、口元に薄い笑みを浮かべた。
その表情からは何を考えているのか全く読み取れない。
一体何が狙いだ?
「俺はあんたを助けてやろうって言ってんだ。勇者の弱みを話してやるってな」
「あんたみたいな男の言うこと、信じるわけないでしょ」
「俺だって冒険者やって長いんだ。噂の一つ二つくらい聞く————なんでも勇者の父親は、伝説の冒険者だったが、現在病気を患っているとか————」
具体的な情報が出てきた。
こいつ……本当に勇者の弱みを?
好奇心と疑念が胸の内で激しく渦巻いていた。
「本当なの……? だったら、そのレックスさんのお父さんの場所は知ってるの?」
「話を聞く気はあるみたいだな……ついてくるか?」
フォックスという名前の冒険者は、指先で手招きをする。
冒険者達は猛獣のような危険な匂いを醸し出していた。
「やめておいた方がいいですよ……あの人は————」
「————いいよ組合長」
断ったら何をするか分からなそうだ。
組合長に迷惑をかけるわけにもいかない。
それに、今は勇者の情報が欲しい。
危険かもしれないけど————蛇の道は蛇。
リスクを背負わなきゃ、きっと目的は達成できない。
「いいわよ————私をどこへなりとも連れて行きなさい」
*
城下町の外れに位置する、見るからに荒廃した建物群が目に入ってきた。
辿り着いた廃屋は朽ち果て、窓ガラスは割れ、壁には大きな亀裂が走っている。
街の普通の冒険者とは違う、いわゆるあぶれものたちの溜まり場として悪名高い場所だった。
空気は淀んでおり、どこか腐臭のようなものが鼻をつく。
「こんな所まで連れてきて……どういうつもりよ……?」
私は既に、この冒険者達にのこのこついてきたことを激しく後悔していた。
建物の周辺には、明らかにまともではない連中がたむろしている。
彼らの視線は獲物を品定めするように私を舐め回し、下卑た笑いを漏らしながらひそひそと何かを囁き合っていた。
「本当に、勇者のことを教えてもらえるんでしょうね?」
「あ? ああ、そうだったっけな」
ヘラヘラと軽薄な笑いを浮かべている。
悪意が透けて見えるようだった。
「勇者の父親のことだけどな————」
フォックスという名の冒険者は私の方へと威圧的に踏み出してくる。
そして、その口元に下卑た笑みを刻んだ。
「とっくの昔に死んだらしいぜ?」
周囲の冒険者達がギャハハと下品な笑い声を上げた。
やはり最初から私を騙すつもりだったのだ……
時間を無駄にしてしまった。
私は冒険者達を無視し、踵を返して帰ろうとする。
だが、私の進路は既に他の仲間たちによって塞がれていた。
「どういうつもり?」
「そう簡単に帰ってもらっちゃ困るんだよ」
逃げ道は完全に断たれている。
威圧的に私を廃屋の中央に押し戻す。
「はあ……身の程知らずね————いい? 私の名前は————」
「マリナス・アンドレアス。この国の王女様だろ?」
私は目を見開いた。
自分の身分を知っていながら、このような真似を……?
一瞬、体がたじろいでしまう。
「知っててこんなことしているわけ? だったら、私に妙な真似をしたら、無事じゃすまないって分かってるわよね」
「いーや? あんたに何をしてもなんの罪にも問われない。そう契約してるのさ」
契約……?
一体誰と、どのような取り決めを交わしたというのだ。
だんだんと恐怖が競り上がってくる。
取り囲む冒険者達の姿が、大きく見え始めた。
「まあつまり————お前の逃げ場はないってことだよ」
その時、建物の裏手から十数人の重装備の冒険者たちがぞろぞろと姿を現した。
全員が象でも倒すつもりなのかと思えるほどの重厚な武器を手にしており、明らかに私一人を相手にするには過剰すぎる戦力だった。
私の心は恐怖で支配される。
自分の身に迫る危険が、ヒリヒリと私の肌を焼いた。
震えて立っているのがやっとだった。
「そんな武器……一体何をするつもりなのよ……!?」
「言っただろう? てめえはおっかねえからよ。相応の準備をさせてもらったのさ」
意味が分からない。
私が一体何をしたというのだろう。
彼らの言葉の意味が全く理解できない。
私がおっかないってなんだよ。
相応の準備ってなんだよ。
勇者メンバーといい、皆、私を過大評価している節があった。
私は、そんな強い人間じゃないのに————
武器を持った男達も合流し、周りを囲まれる。
その巨大な武器は、ちゃんと手入れをしていないのか、刃先がギザギザとしており、それが逆に攻撃性を増していた。
そんな武器を、丸腰の私に対して、容赦なく振りかぶっている。
怖い……
怖い……
誰か……助けて————
心の中で必死に叫んだその時だった。
「やめろっ!!」
突如として濃い煙幕が辺りを覆い尽くした。
視界が真っ白に染まり、何も見えなくなる。
そんな中、聞き慣れた声が響いた。
そして、いつもの緑色の皮装備の姿が目の前に舞い降りる。
クロが颯爽と現れ、私を救いに来てくれたのだ。
「クロ!」
「組合長から話を聞いて、気になって駆けつけました。さあ、今の内に逃げてください!」
突然の指示に私の頭はすぐに働かない。
今すぐ逃げ出したい気持ちはあったが、この状況をどう掻い潜るのか。
私は必死にクロに問うた。
「ク、クロはどうするのよ!?」
「僕はあいつらの足止めをします」
「で、でも————」
足止めするって……
それじゃあ私は、クロを犠牲にしてこの場から逃げるってこと……?
「以前も……闘技大会の時もこうすべきだったんです。僕がもっと体を張って君を逃がしていれば、君が怖い思いをしなかった……!」
その瞬間、激しい頭痛が私の脳天を貫いた。
『逃げるのか?』
クロを見捨てて、逃げる……?
私を心配して、追いかけて、こんな風に思ってくれている彼を……?
彼のいうことを聞いて、ここで逃げていいのだろうか。
私にできることはないのだろうか。
クロを置いて……私は逃げる……?
そんなことしたら————
「いいから逃げろっ!」
クロの強い口調に押し切られ、私の体は咄嗟に走り出していた。
息を切らしながら全速力で駆ける。
後ろを振り向くことなくただただ前に————
「うおおおおおおっ!!」
クロの気合いの咆哮が聞こえ、拳がぶつかり合う音が聞こえた。
大勢で武装している冒険者達にたった一人で立ち向かう。
私のために—————
『また逃げるのか?』
また頭痛がする。
頭の中で声がする。
だって逃げなきゃ————
『また、誰かを犠牲にして逃げるのか?』
違う。
クロを犠牲になんてしていない。
私が一緒にいたって邪魔になるだけだし、足手まといになるだけだ。
『あの日、母親を見捨てたみたいに————』
その声が聞こえた瞬間、鮮明なフラッシュバックが私を襲った。
前世での光景が怒涛のように頭の中を駆け巡り、私の意識を支配する。
前に進もうとしていた足が崩れ、私はその場に倒れた。
『また、何もせずに逃げるのか————』
足が重くなり、一歩も前に進めなくなる。
いや、そうじゃない————
進みたくなくなった。
そうだった……
私は————
お母さんを見捨てて逃げたんだった。




