第21話 勇者に取り入りたければ、胃袋を掴めばいいじゃない
訓練開始1日目。
試練まであと13日————
朝焼けの光が窓から差し込む宿屋の二階。
洗面所の磨かれた真鍮の蛇口から流れる水は冷たく、それに触れるだけで冷気が残りの眠気を一掃した。
彼が顔を水で洗っていると、背後から柔らかな声が響いた。
「おはよ〜〜クロ」
「レオナさん、おはようございます」
クロが振り返ると、まだ髪が寝癖で乱れたレオナが立っていた。
彼女は片手で目元を擦りながら、もう片方の手でふらふらと蛇口をひねる。
朝の光に照らされた彼女の茶色の髪は、まるで蜂蜜のように輝いていた。
「まだ朝6時なのに、早いのね」
「僕はまだまだ未熟ですから、鍛錬の時間を十分に確保しようと思って」
「そっか……偉いね」
彼女は冷たい水で顔を洗い終えると、手探りでタオルを取り、顔の水滴を拭き取る。
そして、指で茶色の髪を丁寧に整え始めた。
「うぅーす。おはよう二人とも」
「あ、おはようございます。ラウムさん」
すると、後ろからラウムが現れる。
ラウムは朝風呂から上がったばかりのようで、その肩から湯気が立ち昇っていた。
肩に掛けたタオルで頬の水滴を拭きながら、クロとレオナの背中を通り過ぎる。
「レックスはどうした?」
「私より随分前に起きてたよ」
「そうかい。相変わらず早いな————そうだレオナ。顔洗った後でいいから、武者丸を起こしといてくれ」
「ええ〜〜、あいつ全然起きないから大変なんだけど!」
朝の日課とも言える会話を交わしながら、三人はそれぞれの身支度を進めていく。
何気ない静寂に心地よい雰囲気。
しかし、今日はいつもと違った————
「な、なんじゃこりゃあっ!!」
突如として階下から聞こえてきたラウムの驚愕の声は、宿屋の二階の壁を震わせるほどだった。
クロとレオナは反射的に顔を見合わせ、目だけで会話を交わすと、急いで階段を駆け下りた。
一階の食堂へ駆け込んだ二人の目に飛び込んできたのは————
朝陽を浴びて輝くばかりの、まるで宮廷の晩餐会のような豪勢な食事の数々だった。
「ご機嫌麗しゅう、勇者一行の皆様」
そばに立っていたのは、純白のエプロンを身に纏い、自信に満ちた笑顔を浮かべる私————マリナスである。
私は腰に手を当て、舞踏会の作法さながらに優雅に一礼した。
テーブルの上には、ふわりと膨らんだ金色のパンが山盛りに積まれ、その隣には新鮮な果物を使ったジャムや蜂蜜の壺が並ぶ。
皿の上には、朝露で洗われたばかりの野菜がみずみずしく輝き、香草の香りが立ち上る卵料理や、じっくりと焼き上げられた肉料理も並んでいた。
飲み物も忘れてはいない。
朝の体を優しく目覚めさせる香り高い紅茶と、喉の渇きを潤す冷たい果汁のピッチャーが用意されていた。
「こ、これ、マリーが用意したの?」
「そうよ! 私が皆さんのために用意したんですから!」
私はこれでもかと胸を張る。
できるだけ楽をして勇者に認められよう大作戦その1。
名付けて、勇者達の胃袋キャッチ大作戦。
冒険者にとって大事なのは、戦う時に自分のパワーを100パーセント発揮するための食事だろう。
その部分を私が牛耳ってあげるのよ。
私の作った料理しか食べられないっていう状態にしちゃえば、戦闘でどれだけ役に立たなくったって、みんなに認められるはず。
私の頭の中では、完璧な計算が働いていた。
戦いは避けつつも、勇者の仲間として認められるための、最も確実な作戦だ。
「さ、冷めないうちに召し上がって」
「ああ……いただくとするか」
「う、うん」
ラウムとレオナとクロは、まだ状況を飲み込めていないような表情を浮かべながらも、誘われるままに食卓の椅子に腰を下ろした。
そして三人はほぼ同時に、ふわふわと膨らんだパンを手に取る。
ナイフで切り込みを入れると、中からとろりとした黄金色のチーズが溢れ出し、その香りが鼻孔をくすぐった。
躊躇いなくそれを口に運ぶ三人の表情が、一瞬で変化する。
「「「う、うんま〜〜〜〜〜」」」
三人の声が完璧にハモった。
その驚きと感動に満ちた表情は、まるで芸術品を見るかのように美しかった。
よっしゃああああああっ!
三人の胃袋討ち取ったり〜〜〜!
私は心の中で力強くガッツポーズをする。
表情は優雅に保ちながらも、内心はまるで戦場で勝利を収めた将軍のように高揚していた。
そして、このタイミングで追い討ちを仕掛けることにした。
「それから————皆さんのために衣服の洗濯、装備の手入れも、私の方で済ませておきました」
「ま、まじか。悪いな……」
「いえいえ、私にはこれくらいが精一杯ですから」
細かい雑用も私の方で全てコンプリート。
これを繰り返せば、勇者の皆さんにとってかけがえのないメンバーとなり、戦いとかしなくても勇者の一員として王城に凱旋できるはずだわ。
我ながら完璧すぎる作戦に、顔が思わずニヤついてしまう。
王宮にいる間に何度も練習した「謙虚な微笑み」を浮かべながら、内心では既に勝利の美酒を味わっていた。
「そういえば、レックスはどこ行ったんだ?」
「ああ、レックスさんなら、ご飯食べ終わって朝のトレーニングに行かれましたよ」
「何をするにも早い女だな……あいつは」
レックスに関しては、料理を見せても雑事の報告をしても反応は今ひとつだったんだよね……
彼女の鋭い眼差しは、まるで私の心の奥底まで見通しているようで、ほんの少し居心地の悪さを覚える。
もっとパンチのあるご奉仕をしないといけないのかしら————
「————そっか……レックスさんはもうトレーニングに……!」
クロは何かを悟ったように呟いた後、突然椅子から立ち上がる。
彼の瞳には決意の炎が宿り、その足取りは力強く私の方へと向かってきた。
「うかうかしていられません。僕達も朝の鍛錬をしましょう!」
「え!? 鍛錬!?」
鍛錬って……戦いの修行ってこと!?
私、試練をまともに受けるつもりないんだけど————
「えっと……私は別に————」
「何言ってるんですか。試練まで2週間しかないんですよ? やれることはやっておかないと」
「ああ〜〜そうだ! 皆さんの寝室の掃除をしないと————」
「それはさすがに宿屋の人の仕事でしょ」
ですよね〜〜
何とか拒否しようとする私の手を引き、クロは宿屋の外へと歩き出した。
「さあさあ、時間は有限です。僕達も強くなりますよ〜〜!」
「ちょ、ちょっと待って〜〜!!」
私はそのまま宿屋の外へと連れていかれる。
宿屋の中に残されたラウムとレオナは、二人の去っていく姿を見送っていた。
「あはは、あの二人相性いいんだね」
「そ、そうなのか? 昨日といい、あまり仲がいい感じには見えないが」
「ラウムって、そういうの疎いよね」
レオナの含み笑いを含んだ目線に、ラウムは居心地悪そうに肩をすくめる。
彼はそれから逃げるように、宿屋の店主の方へと向かった。
「この食事は、本当にマリーが用意してくれたのか?」
「ええ、そうですね。王女様が用意してくださりました。おかげで私達は楽できましたよ」
「そいつは本当に助かったぜ。後で、王宮のメイドさんにも礼を言わねえとな」
「いや? そんな人は来ませんでしたよ?」
「え?」
ラウムが目を丸くする。
「この食事は、王女様が朝4時からうちの台所に立って、支度をしてくださっていたのです。洗濯や装備の手入れとかも全部」
「おいおいまじかよ」
料理も洗濯も、宮廷なら全て使用人がやってくれるものだろう。
それを————こんな豪華で大変そうな料理を、7人分の洗濯と装備の手入れを、自分一人でやってしまうとは……
あのお姫様————本当にお姫様なのか?
頭の中に、そんなあるわけのない疑問が湧く。
それをラウムは、へへっと鼻で笑い飛ばした。
読んでくださりありがとうございます。
今作を読んで、なんかおもろそうやんと少しでも思ってくれたら↓の★★★★★を押して応援してくれると嬉しいです!
ブックマークもお願いします!
あなたの応援が、作者の更新の原動力になります!
よろしくお願いします!