第100話 仮面を外せば、本当の気持ちが溢れ出す
「————さあ、そろそろ戻りますか?」
痛々しい笑顔のまま、そう提案するクロ。
彼の瞳には隠しきれない哀しみが宿り、それでも私を気遣おうとする優しさが滲んでいた。
しかし、私はそれすらも、首を振って拒否した。
「ああ、ごめん……しばらく私はここにいるわ。王位を継承するにあたって、書類の整理をしないといけないこと、忘れてたの」
私は、申し訳なさそうに目をそらす。
嘘だった。
そんな書類など、今はない。
ただ、彼の眼差しを真っ直ぐ受け止める勇気が、私にはなく、王女としての線を引いてしまったのだ。
とにかく今は、一人になりたかった————
クロは何かを察したように、身を翻す。
彼の背中が小さく震えているのを、私は見逃さなかった。
「先にパーティに戻っていますね」
クロは足早に私の元を去って行く。
いつもの、私を元気付けてくれるような軽やかな足音ではない。
重く、諦めの響きを残して。
今にも溢れ出しそうな感情を、押し殺そうとしているように見えた。
部屋を出て行き、扉が閉まる音が響き渡る。
「行っちゃった……」
呟きが虚空に消えて行く。
静寂が戻った部屋で、私は一人取り残された。
気づくと、私は、顔面に笑顔を貼り付けていた。
唇の端を無理やり持ち上げた、作り物の表情。
この仮面は、王宮にいる時に、よくつけていた仮面だ。
人の機嫌を伺い、誰にも本心を悟られないための、完璧な微笑み。
だが————
「————泣くな……泣かないでよぉ…………!」
徐々に体が震え出す。
膝が崩れそうになるのを堪えながら、私は壁に手をついた。
震える体を止めようとした手も、内から湧いて出る感情によって震えている。
やっぱり、彼の前では、この仮面をつけたままになんてできないのだ。
涙と共に、笑顔が崩れ落ちていく。
雨に打たれた化粧のように、みじめに。
クロの前では、ありのままの自分でしかいられない。
「泣いたら……全部台無しじゃない……クロとは、清々しいお別れで、終わりにしようって、思ってたのに……」
嘘だ————
それが、偽りだということは、自分で分かっていた。
本当の願い?
そんなの決まっている。
「離れたく……ないよぉ……!」
クロと、もっと一緒にいたい。
なんのしがらみもなく、自由に冒険したい。
見知らぬ土地を歩き、美しい景色を眺め、危険を乗り越えて。
色んなものを見たい。
色んなものを感じたい。
それを全部、彼と共有したい。
風の匂いも、夕日の温もりも、星空の静寂も。
喜びも、驚きも、時には恐怖さえも、二人で分かち合いたい。
一人じゃ、もうダメなんだ。
私は一人じゃ、もうこれ以上強くなんてなれない。
クロがいるから、私は自分らしくいられる。
彼がいるから、私は本当の強さを見つけることができる。
私には、クロが必要だった。
でも、そんなこと、許されないよね……?
笑顔の仮面を貼り付けて、クロの願いを断った。
全てを剥がされて、残ったのは、寂しさと後悔————
「自分で決めたんでしょ……? だったら、後悔なんて……しないでよぉ…………」
それでも————
嫌でも想像してしまうのだ。
これから先、クロの隣に立って————
あらゆるものを見て、あらゆることに挑戦して————
でも、女王となった私は、彼の隣にいることはできなくて————
違う誰かが、クロと楽しそうに、幸せそうに笑っているの————
そんなの————
そんなのって————————
「————嫌だよぉ……!!」
私は駆け出す。
部屋の扉を勢いよく開け放って、王宮の廊下へと飛び出した。
大粒の涙を流しながら。
頬を伝う雫が、床に落ちていく。
気づいちゃった。
今になって————今更————気づいてしまったのだ。
クロのことが好きだということを。
好きなんだ。
好きになっちゃったんだ。
いや————ずっと分かりきっていたのに、それに気づかないふりをしていた。
認めてしまえば、何かが変わってしまう気がしたから。
どうして伝えられなかったのだろう。
どうして今になって、伝えたくなるのだろう。
伝えたら、もっと辛くなるかもしれないのに。
クロは、伝えてくれていたじゃない。
あの優しい瞳で、あの温かい声で。
一緒にいたいって。
ずっと、一緒にいたいって。
それなのに私は————————
会いたい。
今すぐに、クロに会いたい。
私は王宮の廊下を裸足で駆けていた。
靴を履く暇さえ惜しんで、少しでも早く彼に追いつくために。
冷たい石の床が、足の裏に痛みを与える。
その時、誰か人の気配がした気がする。
角の向こうに、見覚えのある影がちらりと見えた————そんな気がしたのだ。
「————クロ!!」
その影を追いかけて、私は曲がり角を曲がる。
心臓が早鐘を打ち、息が荒くなる。
彼の名前を叫ぶ声が、廊下に響いた。
すると、そこには————
「————そんなに急いでどこへ行くつもりですかぁ? マリナスお嬢様」
そこには、王宮にいるはずのない男が立っていた。
それは————冒険者。
私とクロの前に何度も立ちはだかり、危害を加えてきた荒くれ者。
フォックスだった。
「お前は————————がっ!?」
その時————突然、後頭部に衝撃が走る。
目の前の視界が揺らぎ、地面が急速に近づいてくる。
そんな————
助けて、クロ————
私は意識を失った。
読んでくださりありがとうございます。
主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。
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