第0話 悪夢から覚めて
降り続く雨が窓を叩く音だけが、夜の静寂に響く。
城の大半が闇に包まれる中、一室だけが灯りを灯し、そこに多くの使用人が集結していた。
「あと少しですよ!」
生命の誕生の瞬間。
助産の使用人達の励ます声が響く。
ベッドに横たわる王妃は、長く続く陣痛に苦悶の表情を浮かべながらも、全身の力を振り絞り、新しい命を世界へと送り出そうとしていた。
ある者は息を呑み、ある者は全力で声を出して励ます。
王国の未来を担う存在の誕生を、彼らは固唾を飲んで見守っていた。
長い時間が一瞬で凝縮されるような、神秘的な空間の中————
「生まれました!!」
使用人が歓声を上げた。
その声は、王城の壁に反響し、雨音さえも掻き消すほどの喜びを帯びていた。
長い闘いを経て、新たな命が無事にこの世界に誕生したのだ。
「よかった……」
王妃も深い溜め息とともに安堵の言葉を漏らす。
彼女の青白い顔に少しずつ血の気が戻り始めていた。
王妃の無事も確認し、使用人達は再度歓声をあげる。
その声は部屋中に広がり、雨の夜に華やかな色を添えた。
しかし————その喜びの渦の中で、ある異変が起きていた。
「あれ? この子……」
その時、赤ん坊を取り上げた使用人の一人が、何かに気づき、表情を曇らせる。
「どうしたんだい? 何か問題が?」
「そういえば……産声が聞こえないねえ」
不穏な空気が部屋中に充満する。
雨の音だけが静寂を破る中、全員の視線が赤ん坊に集中した。
赤ん坊は元気に泣くものだと決まっている。
産声を上げることで、最初の呼吸を始めるのだ。
その不文律を破る異変に、皆の心臓が早鐘を打ち始める。
しかし、使用人は意外にも首を振り、冷静な声で答えた。
「いえ、呼吸も意識もちゃんとあります……ですが————」
彼女はただ眉を顰めて、赤ん坊をこちらに見せた。
「赤ん坊が、静かに泣いているのです」
そこには、キラキラとした宝石玉のような目から、ただ一筋の涙を流している赤ん坊の姿があった。
混じり気のない、ただの悲しさがそこにあるかのように。
生まれたばかりの赤子にそのような感情があるはずもないのに、その表情は明らかに深い悲しみを湛えていた。
異様な光景に部屋中が静まり返る。
すると、ベッドに横たわる王妃が弱々しく手招きをし、赤ん坊に手を伸ばした。
使用人が王妃の願いを察し、慎重に赤ん坊を抱えて王妃の元へと運ぶ。
そして、優しい手で、王妃は静かに赤ん坊の頬を撫でた。
「————そんなに悲しまないで。もう大丈夫だから」
その指先には母としての愛情が溢れんばかりに満ちていた。
そう言った瞬間、赤ん坊の瞳から、一筋だった涙がどんどん溢れ出し始めた。
それは、堰を切ったように流れ出る。
やがて、部屋中に産声が響き渡った。
「おぎゃあああ! おぎゃああああっ!!」
力強く、生命力に満ちた産声をあげて、赤ん坊は泣き出した。
窓を打つ雨音をかき消すほどの、健やかな第一声だった。
安堵の表情が部屋中に広がり、再び歓喜の渦が巻き起こる。
王妃は安心したように微笑み、我が子を胸に抱きしめた。
それが、アンドレアス王国王女。
そして、王妃が産んだ唯一の子供————マリナス・アンドレアスの誕生だった。
その日は、いつにも増して、雨が多く降っていた。
読んでくださりありがとうございます。
主人公がこの先どうなっていくのか、ぜひこれからも見守ってあげてください。
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