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共犯

 私が帰国してから数日。

 事務処理の仕事だけで数日溶けた。

 会議、書類、いつもの業務がまた戻ってきたような感じがして、日常生活を感じることができた。

 コンコン。議長室にノックが響いた。音で誰かおおよそ予想がつく。


「どうぞ」

 私は作業をしたまま答える。

 入ってきたのはやはりハンナだった。

「どうした、ハンナ諜報長官」

 ハンナは私に微笑んだ。

「ネルシイについて、ちょっと話したいことがあって」

「ネルシイ商業諸国連合…」

 ハンナは二、三歩私に近づいてきた。


「ネルシイはフェーム帝国と戦争を始める可能性がある」

 さらりといわれた言葉、私の頭の中で反響してぐるりと回ると、その意味を理解できた。

 どれだけ重く、そして第二次フェーニング大陸大戦の引き金としては最適かを示された。

 予想はできていた。

 捕虜返還問題やフェーム帝国の落日による混乱、政治体制の違い。

 いつ起きても本当はおかしくなった。


「本当か?それは確かなのか」

「ええ。捕虜返還問題とフェーム帝国の挑発行為でネルシイの不信感が募っているのは既知の事実。フェーム帝国のドルム・ドクル フェーム帝国大使の失言によって、ついにネルシイは国境付近に六師団を終結させている」

「ただのパフォーマンスじゃないのか」

「兵站や弾薬が軍事演習にしては多すぎるの、それに予備役にも招集がかかっている。戦争でもやらない限り、数日の軍事演習のためにそんな量の物資を集結させるとは思えない」

「だが、六師団でフェーム帝国と戦争をするのはいささか無理がある。人員が根本的に足りていない」

「ええ。だからネルシイはフェーム帝国の諸侯 ツーダ卿の領地を占領するのが目的なんだと思う。ここならば六師団でも占領は十分可能だし、ネルシイとフェーム帝国の国境紛争の舞台になった"因縁の地"でもある」

「確かに。それなら現実的だ」

「状況証拠だけでなく、ネルシイ参謀本部に近い協力者もそういったことがあると、総合的に考えれば十分にあり得るシナリオだと思うわ」

「…分かった。ありがとう」

「これレポートね。後で読んでおいて」

 ハンナは私の机に紙を置いた。


「外交部や軍部には伝えないでおいたほうがいいかも。諜報官僚は怒るわよ」

「諜報部は怒りそうだなあ…。だが情報共有できないのは困る」

「仕方ないでしょ。あなたが対立を放置してるんだから」

 ハンナの言葉はぐうの音も出ない正論だった。

 この対立に終止符を打てるとしたら、すべての行政部署を束ねる私くらいだろう。


「人間は命令されたから、はいそうですかとなる生き物じゃない。嫉妬や偏見による不寛容はもちろん、なんとなく嫌だという嫌悪感さえ存在する。それは文書による通達で抑えられない」

「無理して何か言わなくていい。要は余計な改革をして政権の体力を使いたくないわけね」

「ああ、そうだ。実際に行政の現場を担うのは官僚だ。彼らが機能不全の陥れば、我々は死に体になる」

「そう…。まあ任せるね、ウォール議長。言うべきだと思ったら言えばいいし、言う必要がないなら言わなくていい。ウォールのためになるならそれでいい」

「ありがとう」


 ハンナはどういたしましてと言わんばかりに微笑みを向けて、くるりと反転して、部屋を出る。

 ふわりと浮いた髪はさらさらでさっぱりとしていた。


「ああ、あとそろそろ会議よ」

「…覚えているから安心しろ。ハンナは私の秘書じゃない」

「ならいいんだけど」

 ハンナはすこし不機嫌そうに音を立てて部屋を出ていく。

 残された私は例のレポートに目を通した。

 概要はやはりネルシイ・フェーム戦争の開戦について。

 協力者からの情報、兵站や兵士の動員率、挙句の果てにネルシイ商業諸国連合の野党からの情報流出。

 それによって、狙いがフェーム帝国の諸侯 ツーダ卿の領地の占領であり、完全制圧までの時間をネルシイ側が一ヶ月と踏んでいること。

 そしてフェーム帝国側はそれを全く感知しておらず、のほほんとしているということ。

 最後にもし戦争が始まれば、ネルシイの思惑通りに進むのではないかという予想を立てて、しめられている。


 このような深い諜報活動を一組織で完結できるのは驚異的なことだ。

 外交部調査課や参謀本部の調査局ではここまで外国の、しかも戦略級の意思決定をあらわにできないだろう。

 ハンナの率いる諜報部は恐ろしい能力を持っている。

 私は頭を抱えながらレポートを閉じ、静かに溜息を吐いた。


「会議に行くか」

 立ち上がり、静かに会議室へ向かう。

会議室ではすでに私以外の全員が席についていた。

 

「私が一番遅かったな。待たせてすまない」

「いいえ。私たちが早く着きすぎてしまったんです」

 エマリー軍代理が補足してくれた。

 エマリー・ユナイテッド軍最高指揮官代理、ウージ・ボーン財務部長、フィール・アンブレラ外交部長兼庶務部長、そしてハンナ・オンバーン諜報長官。

 行政調整会議のメンバーはそろった。


「会議を始めさせてもらいます。まず私から事後報告として、フェーニング大陸の三国関税同盟はフェーム帝国抜きの二か国で条約が締結されることになり、今回フィール外交部長とともにネルシイ商業諸国連合と締結をした条約の批准を行うべく、与党・保守党ともしっかりと連携していきます」

「あの、フェーム帝国がドタキャンしたということですか?ワス・グラサ外交司と大筋合意したはずですよね?」

 私の言葉にエマリー軍代理が混乱気味に聞いてきた。

 それもそうだろう、我々も会議の時大筋合意できていると思っていたのだから。

 まさかあんな形でちゃぶ台返しをされるとは思ってもいなかった。


「会議の場でドルム・ドクル大使が『聞いてない』だとさ。皇帝陛下でもあるまい外交権があってもそんなもの決められない、と言いたいのだろう」

「えぇ…」

 エマリー軍代理が困惑していた。

 自国の首都に引きこもって面会謝絶している皇帝陛下とやらとどうやって交渉すればいいのか。

 それにほとんどの事務的な手続きは官僚によって行われる、外交権をどこかに委任しないと外交なんてできはずがない、皇帝陛下はなんでも仕事をこなせる神様ではないのだ。

 所詮は人間だろうに。


「ですが、これはまあ攻めた内容ですな。野党が騒ぎ立てますぞ」

「今回の関税同盟は発行を迅速に実現したかったし、大分急いでしまったからな。政治はスピード勝負だ」

「まあ…せいぜい議会の連中に頑張ってもらいましょう」

 ウージ財務部長がいつもらしく興味なさげに呟いた。

 自分が嫌な思いをしていないからいいという考えなのかもしれないが…正直言って、気持ちは理解できる。

 いいことではないがな。


 エマリー軍代理は手を挙げる。

「私からも。今回のユマイル軍視察は有意義な時間でした」

「くだらない枕詞はいい」

 ウージ財務部長が野次を飛ばした。

 みんな彼のほうを見る。

 エマリー軍代理は彼を一瞬睨みつけたが、すぐに笑顔に戻って

「今回のユマイル軍視察は有意義な時間でした。前回の師団増加案で増設された十師団に当たる彼らは、教育師団の下訓練にあたっています。と言いましても、一度に数十万規模ですからどこの軍研修機関もカツカツの稼働率ですけど。一、二か月もすれば最低限師団として使えるでしょう。陸軍高等学校や陸軍大学もちゃんと機能しています、特に今期の卒業生は優秀だということで期待ができます。

ただ弾薬の貯蓄率はいくつかの師団から不安の声が上がっていました。実際、近年では急速に火砲の数が増えていて、歴代のユマイル・フェーム国境紛争を見ても一日当たりの平均弾薬使用数は指数関数的に増加していることがわかります。仮に全面戦争をして全師団を稼働することなれば、火砲の貯蓄は二週間で使い切ります。銃の弾薬も三、四週間が限界です」

 こいつ…枕詞をわざわざ二回も言いやがったな。

 ウージ財務部長への当てつけだろう。


 にしても、エマリー軍代理の説明は正論だ。

 今までは数師団が稼働する小規模な紛争を経験をしたことがあっても、総動員をかけたことは第一次フェーニング大陸大戦以来一度もない。

 弾薬を供給し続けることができなければ、火砲は単なる鉄くずになり、私たちは弓だの剣だのを使って中世の騎士ごっこを始めなければならなくなる。


「弾薬の備蓄量を増やそう。参謀本部のルム兵站課長の下で行うように、…予算はまあ、予備費からでいいだろう。来年度から備蓄用の継続的な予算をつける」

「なぜ、わたしに話を通さないんだ。わたしは財務部長だぞ」

 ウージ財務部長が抗議した。

 珍しく真っ当な抗議である。

 確かにあなたが財政の責任者だったな。


「申し訳ない、ウージ財務部長。予備費を使ってもいいでしょうか」

 私が問いかける。

「この前も師団数増やしたばかりだろう、軍は。一体予算をいつまで増やすつもりなのだね」

「相手の脅威がなくなるまでですよ」

 横から答えるエマリー軍代理の言葉にウージ財務部長はムッとしたようで

「それでは際限がないではないか。気でも狂っている」

「気が狂っていると言われるは心外です。予算を減らしてもいいですが戦争に負けて、真っ先にギロチンにかけられるのは私たちですよ」

 ウージ財務部長は"ギロチン"という言葉にゾッとして、それ以上何も言わなくなってしまった。


「けれども、やはり無秩序な軍拡競争は危険です。諌めるのが政治の役目でしょう」

フィール外交部長が恐る恐る口を出した。

「ああ、その通りだ。何でもかんでも軍事力で解決できるわけじゃない。手段の一つなだけで、銀の弾丸だと思うのは大違いだ」

「ええ、ですから相手と話し合うのも大切…」

「ポジショントークね」

 フィール外交部長の言葉はさえぎられる。

 誰かとみてみればハンナ諜報長官だった。

「わ…私は確かに外交部長のトップですが、良心に従って主張しているだけです」

「みんなそう言うわ」

「ハンナ諜報長官こそ、誰であっても制御して管理できると思っているのでしたら、大間違いですからね」

 ハンナ諜報長官は一瞬驚いたような顔をして、フィール外交部長を見たが、やがてフッとため息をついた。

「そんなこと思っていない」

 ハンナ諜報長官は珍しく柔らかい口調で言った。


 ここで口論させていてはまずい、間を割り込むように私は声をかけた。

「フィール外交部長の懸念は理解できるが、弾薬を増やして継戦能力を高めるのは予算の有意義な使い方だ」

「…ウォール議長なら狂った軍拡なんてそんな馬鹿げたことしないと思ってましたよ」

 フィール外交部長の言葉に違和感を感じた。

「いいや、私は『大陸の統一』を公約に掲げている。狂っているかどうかは別として軍拡をやるのは私の政権運営の基本方針だ」

「え?」

 フィール外交部長が目を丸くしてこちらを見た。

「まさか本当にやるおつもりなんですか。大衆向けパフォーマンスだと思っていました」

 フィール外交部長はきょとんとしている。


 エマリー軍代理は居心地悪そうにため息をつき、ハンナ諜報長官はフィール外交部長をにらみつけ、ウージ財務部長は興味なさげだ。

「時々とんでもないことを言い出すと思っていましたけど。ウォール議長は、とても怖いことを考えていらっしゃるんですね」

「辞表を書くなら今のうちだぞ。フィールは私の奴隷じゃない。働きたくない上司の下で働くのを拒否することができる」

 私は私なりのやさしさのつもりだったのだが、言った後の今にしてみれば脅迫まがいな言葉にも捉えられる気がしてきた。

 フィール外交部長は一瞬目をそらし、俯き、結構な時間を消費して考えた。

 多分数十秒程度だったと思うが、皆が集まった会議の、この居心地の悪い空気間では、とても長時間に感じられる。


「…考えておきます」

 フィール外交部長はいつも自信無さげではあるが、今回は後悔や悩みがあると感じられた。

 そしてまた長い沈黙が訪れると思われた直後に

「私もやめたいんだけど」

 ハンナがそうつぶやいた。

「お前は駄目だ。お前がいないと困る、ずっと私と働くんだ」

 "友達がいなくなるから"、という情けない一言を付け加えることは自重した。

 そんなこと言えるわけがない。

 実際ハンナ以外にプライベートで信用できる気心知れた奴がいないんだ。

 が、ハンナには別の意図があったらしくフィールに視線を向けていた。

 私もハンナにつられてフィール外交部長に視線を送ると、彼女は驚愕したような顔をしてこちらを見つめていた。

 少し考えた後、彼女の気持ちが推測できて、申し訳ない気持ちになった。


「フィール外交部長が無能だとそういうことが言いたいんじゃないんだ。実際フィール外交部長は極めて優秀でそれは紛らわしく真実だ。そうじゃなかったら解任している。だけれど、ハンナはプライベートの付き合いがあってそれで思わずそういうことを言ってしまった。人は勤め先の組織を選ぶことができる、友達でも何でもないフィール外交部長を嫌々組織に居座らせるのは迷惑なことだと思ってだな…」

「ウォール議長、とどめをさしましたね」

 エマリー軍代理がぼそりと呟いた。

「いや、フィール外交部長が優秀なのは誰が見ても明らかだろう。それは事実だ。私も認めている。だけれど組織のトップに賛同できないなら、その組織にいるべきじゃないという一般論の話を、私はしていて…」

「そうじゃありません。…分からないならいいです。これ以上傷口を広げないほうがよろしいと思います」

 エマリー軍代理が私の話を打ち切った。

 私は何かを間違えたのだなと感じ取り、憂鬱な気分になって頭を抱えてしまった。


「痴話げんかなんかやる時間があるならさっさと会議を終わらせてくれんか。時間の無駄だ」

「痴話げんかではありません!!」

 フィール外交部長がキレてウージ財務部長をにらみつけたものだから、ウージ財務部長はすっかり怖気づいてまた黙った。


 フィール外交部長は息を整えて

「もういいです。会議終わりにしましょう」

 とつぶやいた。まあ…話したいことは話し合ったな。

 酷い終わり方だが、よしとしよう。

「よし。今日の行政調整会議はここまで各人解散」


 私の掛け声とともに、それぞれどこかへ散っていく。

 まず出たのはウージ財務部長。

 その次に、会釈をしてエマリー軍代理。

 最後は…なんというかタコみたいに怒った顔をしているフィール外交部長が早足で出て行った。


「ハンナ、ちょっといいか」

 私は会議室から遅れて出ていくハンナを呼び止める。

「うん?」

 会議室には誰もいない。

 私はひょいとドアのほうから廊下を見て誰もいないことを確認した。

 私は静かにドアを閉める。


「なになに…?」

 ハンナが珍しく動揺したように一歩引いた。

「いや、話したいことがあって」

「話したいこと?」

「ああ。仕事の話で」

「なんだ、仕事の話か」

「そうだ。というよりも、今業務時間だろ。他に何も考えるな、仕事をしろ」

 私の言葉にハンナはため息をついた。

「で、どういった御用?」

「ここでは話しづらい。議長室に移動してもいいか」

「分かった」


 ハンナの同意を得られたので議長室に向かう。

 しかし、廊下では離すことが特にない。

 本題を切り出すわけにもいかないし。

 そこでプライベートのどうでもいい話を切り出すことにした。

「なあ私、フィール外交部長と面識ってあったっけ?ウォール政権が発足してからじゃなくて、私たちの幼少期とか軍に居た時代とか…あるいは軍学校時代とか」

「どうしてそんなことを聞くの?」

 ハンナは私のほうを見すらせず、言う。

「いや…」


 先ほどのフィール外交部長の行動について、一つの馬鹿馬鹿しい仮説が浮かんだからだ。

 だが、あまりに酷くて自意識過剰なので口が裂けても言えない。

 それにその仮説は私自身が覚えていないとおかしいのだから、ハンナに面識があるかどうか聞いている時点で信憑性が疑わしいが。


「知らない。そのくらい自分で思い出したら」

「思い当たるところがないからハンナに聞いているんじゃないか」

「思い出せないんだったらその程度なんじゃないの、仮にどこかで会っていたとしても」

 ハンナは私の考えを見透かしたようにそう答えた。

「うーん…」

 実際ハンナの言う通りなのかもしれない。

 ここでそんなことを考えている時間はないか。

 私は議長室に入ると、ハンナを入れて戸を閉めた。


「で、話っていうのは?」

 窓に寄りかかり、後ろに手を組んで、ハンナが私に問いかけける。

「ユマイル・フェーム国境のことなんだけど。第八次ユマイル・フェーム国境紛争を人為的に起こせないか?」

 ハンナは予想していなかったのか目を丸くして、手を頬につけて、目を閉じる。

「どういうこと?」

「諜報部で偽旗作戦をやってほしいということだ。軍に任せては機密保持に疑問がある。この作戦を遂行できる能力があるのはユマイルの中で諜報部だけだ」

 ハンナが天井を見上げた後、寄りかかっている窓から外を見下げた。

 窓からは中庭が見えていることだろう。


「あなた自分が何をしようか分かってる?」

 ハンナが低い声で問いかけた。

「分かっている。発覚すれば議会で弾劾決議が出る。与党・保守党もウォール政権に見切りをつけるだろう」

「それでもやるつもりなの?」

「ああ。やる気がないならこんな話をしない」

 ハンナが目をつぶって何も言わない。


「通常のやり方では大陸の統一なんてできない。ネルシイ商業諸国連合とフェーム帝国の戦争がはじまり、長期化すればフェーム帝国の利権がネルシイに独占される恐れがある。ハンナもそれはわかっているはずだ」

「今フェーム帝国として戦争をして勝てるの?」

「…ああ、勝てるさ。フェーム帝国は皇帝による専制政治。一方的に税をむしり取る中央に不満を持っている諸侯は山ほどいる。諜報部のハンナがそれを一番わかっているはずだ」

「勝つだけじゃない。占領や戦争の終わらせ方は、極めて難しい。考えているの?」

「占領はしない。最短で首都の皇帝の首をはねるのが目的だ。そのあとフェーム帝国を解体して、その代わりに諸侯による連合国家を作る。端的に言えば傀儡政権になる。フェーム帝国の首都はユマイルから見て近い。占領・統治を放棄した場合、進軍は現実的だ」

「あなたはこのまま何もしなければユマイル民族戦線の最高指導者であり続けるのよ。第七次ユマイル・フェーム国境紛争でフェーム帝国に圧勝した時点で、あなたは十分すぎるほどの功績を残している。だから、ゆっくりしても…」

「駄目だ」


 私の声にハンナが息をのんでこちらを見てきた。

「私の公約は最初から大陸の統一だ。私はそれのために指導者になり今まで頑張ってきた。豊かな社会を作り、誰もが人間らしく生きられるようにしたいからだ。もう誰も私たちのような惨めな思いはしなくて済むようにする」

「そのために必要なことだと」

「ああ、これは私の夢だ」

 ハンナは静かに頷いてくれた。

「分かった、ウォールのためだもの。私はあなたと共にいるわ。例えばどうなっても」

「…ありがとう」


「これであなたと共犯ね?」

 ハンナが微笑んでそういうものだから、思わず私の心が揺らいだ。

 彼女の今の瞳は頼もしく力強く、そして様々な地獄を見てきたものだろう。

 もし、もし私の選択違っていれば、ハンナはそれこそ嫁入りする箱入り娘のような、柔らかくもろく純粋な乙女の瞳のままでいられた未来もあったのだろうか。

いいや、無理だろう。

 赤子の私たちに養親を選ぶことはできなかった。

 無力な子供が狂った家庭から出るには、せいぜい軍に入るくらいしか、食い扶持はなかった。

きっとやり直したところで、大差はないだろう。

 ハンナには平和的で穏やかな環境にいさせてあげられれば良かったと本当に思う。

 だからこの先私の無謀な夢のため、私にどのような罰が下ろうとも、ハンナだけはせめて私のことを忘れて幸せで穏やかな生活ができる未来が待っていると信じたい。


「ああ。共犯だ」

 私も思わず笑った。笑わずにはいられなかったためだ。

「レポート通り、ネルシイ・フェーム戦争の予想開戦日は今から二週間ごろ。それまでに工作の準備はしておく」

「助かる」

「だから、その間は余計な仕事を振らないようよろしくね」

 ハンナの軽口は心地良い。

「ああ、そうするよ」




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