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退任

 出勤最後の日。明日から無職である。

 ごちゃごちゃとした資料を整理し引き継ぎ書類を作成するのに二週間ほど、そしてフェーニング連邦準備委員会の発足に一か月ほどかかった。


 その貴重な一か月の間、私としてできることをやった。ネルシイ万博の時に私が引き抜いたウッデイ・ライ技術少尉とも話をした。

 結局電信を軍事利用することは間に合わなかったが、これは民間でも活用できる代物だ。

 いいや、むしろ民間での利用のほうが経済的に良い相乗効果を生むだろう。

 これからフェーニング連邦が発足したとしても、おそらく研究開発は止まらない。

 科学技術による技術革新は人類のあくなき欲望だからだ。彼には研究を続け、世の中に貢献してほしいと思う。


 一か月間、数年過ごしたこの議員宿舎と行政区の別れは寂しいものだった。

 何よりも議員宿舎のハンナの部屋の前を通るのが一番つらかった。

 もういない、会えない。なのにハンナはこの議員宿舎の部屋にまだ居て、私を待っているようなそんな気がし、それが私の心をひどくかき乱した。

 どこへ行っても隣を歩いてほしいのはハンナ・オンバーンで、夢の中の軍に入る前の幼少期の私も、隣にはボロボロの服を着たハンナが歩いていた。

 もう一度、ハンナに会いたい…。


「…ウォール議長…ウォール議長起きてください」

「う…ん…」

 夢と現実の境界というのは実に気持ちが悪い。

 夢だと自覚してしまっているのだから、夢の続きは見れない、けれど現実に戻るのは意識があと少し足りていない。

 もどかしい時間な気がする。

 起きると近くに女性の顔があった。すらりとしたシャープな顔、目元もきりっとしている。無造作に切られた短いベリーショートヘア、髪はつやがありさっぱりとしていた。

「ハンナ…?」

 あった。こういうことがあった。いつのことだろう。

 確実にあったはずなのに私はもう思い出せない。

「お疲れみたいですね、ウォール議長」

「…ああ。ハンナ諜報長官」

 ハンナ・オンバーン。私の政権下で諜報長官を務めている。そして幼馴染でもある、年齢も私と同じ25才だ。

 …いや違う。ハンナじゃない。彼女はハンナじゃない。別の人だ。ハンナは死んだんだ。

 どうして現実を直視できない?

「フィール外交部長…」

「本当にお疲れみたいですね。あと私はもう優先委員長ですよ」

 フィール外交部長…優先委員長が私の前に立っていた。私は突っ伏し寝てしまっていたようだ。

 フィール優先委員長の言う通り、私は疲れてしまったのだろう。

 明日から議長じゃないと思うとどうも今まで貯めに貯めてきた何かが噴き出してきて、ただたたくたびれる。

「そうだったな…。何か用事?」

「お見送りに官僚が集まっています。報道機関へも一般公開していますので、来ていただけると」

「ああ、そうだな」

 私は頷き立ち上がって、伸びをする。終わった、明日は仕事をしなくていい。

 私はフィール優先委員長とともに仕事をしていた議長室を出る。ドアから部屋の風景を振り返った。

 もう二度とここには来ない。この光景に会うことはないだろう。私は深呼吸をすると振り返り、ドアを閉めた。


「『フェーニング連邦準備委員会』のほうはどうだ?優先委員長としての職務は」

「大変です。でも同時にやりがいを感じるものですよ。四割はユマイル民族戦線から出向者ですが、残りの四割はネルシイからで、二割にフェーム諸侯連合からですから。多様性に満ち溢れています。彼らとの対話と調整は良い刺激を受けてます」

「それは良かった。君を選んだかいがあった」

「軍縮条約でのネルシイとの交渉は難航していますが、経済統合の話はとても順調です。次のユマイル議長がどんな方かで難易度が変わりますが」

「一応、クロス党首にウージ財務部長を推薦しておいたが…。予備選の結果次第だ」

「出るんですよね?ウージ財務部長」

「ああ、予備選には出るそうだ。新聞にも公表してある。…若干渋々ではあっただろうが」

「でしょう。ウージ財務部長もいきなり任命されてさぞかし驚いたと思いますよ」

「だな。君たちには迷惑をかけてばかりだった」

「ええ、大変でした。ウォール政権での日々は」

 フィール優先委員長が苦笑をした。


「でも、楽しかった」

 フィール優先委員長が急に明るい声を出したものだから、私が驚いて彼女のほうを見た。

「忙しく辛いこともありましたが、社会をよりよくしようというのは面白いものですね」

 フィール優先委員長が笑顔のほうに笑顔を向けた。それがとても輝いていて嬉しそうで、それを直視できずにそっと視線を逸らす。

「やったかいがあった。だが、まだ途中だ。フィール優先委員長には社会に恩恵を還元してもらえるよう頑張ってほしい」

「もちろんです。それが仕事ですから」

 …かつて私もそう言った。私のやったことはきっと無駄ではなく、脈々と受け継がれているはずなんだ。

「…ハンナに誇れるだろうか。私のやったことをハンナはどう思うだろうか」

 私はただ静かに独り言のように呟いた。フィール優先委員長と私。

 広い広い行政区なのにほかには誰もいない。世界には私たちしかいないのではないかと錯覚するほどであった。

 長い長い沈黙の後、フィール優先委員長がぼそりと言う。

「きっとハンナさんはウォール議長がやったことを評価してくれると思いますよ。彼女もウォール議長の夢にあこがれていましたから」

 私は力が抜けるような感覚に襲われる。涙をぐっとこらえ力を入れて前を見る。

「あ…ああ。きっとそうだといいな…」

 私は声にならぬような声を吐き出した。

 私たちは行政区のロビーにつき、大きな扉を開ける。光が差し込み眩しかった。目をしぼめると、そこから大きく暖かい音が聞こえてきた。

 拍手だ。たくさんのそれでいて沢山だ。

 そこには人で埋まっていた。人人人人…。官僚たちだ。それでいて参謀本部の軍人たちもいる。そうだ。私の政策や命令は私一人では当然できない。命令や指示を受けて、それを計画し実行してきた人間がいる。

 それが彼らだ。このたくさんの人々が私の大陸統一という無謀で恐ろしい夢の実現を支えてきたのだ。そして彼らにも故郷があり人生があり、恋人や想い人家族がいるかもしれない。

 彼らは機械ではなく人間だ。私の考えや命令を何も考えずに執行していたわけではない。きっと不平不満があっただろう。


 私は強い拍手の中、二人に出迎えられた。ウージ財務部長とエマリー軍代理だ。

 エマリー軍代理が一歩前に出てきて花を渡してくれた。

「お疲れ様でした。ウォール議長」

「ああ、ありがとう。ミュー中将の世話頑張って」

 私が冗談交じりに言うと、エマリー軍代理が苦笑いをする。私たちは強く握手をした。

 彼女が引くと、ウージ財務部長が花を手渡してくれた。

「ありがとう。予備選頑張ってください」

「全く…こちらの身にもなってほしいものだ」

 ウージ財務部長は最後までウージ財務部長らしく、嫌味をつぶやいた。

 私はウージ財務部長に握手を求めると、嫌そうな顔をしながらも応じてくれた。

 二人が去ったあと静かになる。ここまで私を支えてくれた彼らに礼を言うべきだろう。


「官僚の皆さんそして政治家の皆さん、ユマイル国民の皆さん。すべての人々の今までの協力に心よりお礼申し上げます」

 私は深々と頭を下げると、また大きな拍手が起こった。

「あなた方がいなければ私は何もできません。政治とは一人でできるものではないからです。誰かが政策を考えても、それをみんなで実行できなければ、単なる妄想です。

ですが、幸いにも私は優秀な部下たちに恵まれました。外交部、諜報部、軍、庶務部、財務部。ユマイルの官僚たちはとても優秀で、私の無理難題を完璧にこなしてくれました。あなた方のその行動のおかげで大陸統一の道筋は生まれ、私の夢は叶いました。この行いはいずれ豊かで平和的な社会を作り、人間が人間らしく生きられる気高い理想に近づけると確信しています。

本当にありがとう!!君たちのこれからの幸運をお祈りします!!」

 私は大きないつまでも鳴り止まないと錯覚してしまうような中、ロビーを出て行政区から出て行った。


 ふと見ると、ハンナも私のことを見送ってくれているような気がしてしまった。


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