ウォールの進退
『フェーニング連邦』についての調印所に三国がサインした日の翌日。ネルシイとフェーム諸侯連合の首脳たちは在ユマイル大使館へと移り、帰国する予定になっている。
そして本日はそのことで行政調整会議が開かれていた。
フィール外交部長、エマリー軍代理、ウージ財務部長。そして空席の諜報長官。
「本日の行政調整会議を始めます。昨日、『フェーニング連邦』についての調印文書にサインが行われました。…条約ではないため議会へ通さなくていいんだよな?」
フィール外交部長に問いかける。
「ええ。近代フェーニング大陸において条約の定義は国家と国家との間で交わされるものであり、国家を消滅することを目的にしたものは想定されていなんですよ」
「降伏時の条約とかあるだろう?そういう扱いでは駄目なのか?」
「降伏時の条約は敗戦国と賠償金の支払いや領土の割譲を約束するものですから、国家間との約束です。国家を滅ぼし新国家が樹立させる場合、また別の法解釈になるようです」
「だから調印文書だの枠組みだの曖昧だったのか」
「武力で滅ぼされた国は山ほどありますが、合意の上で滅んだ国は私たちが初めてなんじゃないですか」
「…こんな重大な案件を議会に通さないのは恐ろしいことだな」
私がそう言うと、フィール外交部長がため息をついた。
「ご心配なら議会で質疑応答と演説をなさればいいんじゃないですか…?」
「多分そうなるだろうな。クロス党首からもやれと言われるだろうし、議会放置するとまずい。そろそろ私たちの任期が切れるし」
「ああ。そうでした。私たち選挙で選ばれていたんですね…?」
「随分と余裕だな?」
「選挙は当選するものですよ?」
「これだから貴族の娘は。どうせ地元に巨大な組織票持っていて、エスカレーターで当選するんだろう」
「貴族の娘ですから」
嫌味に嫌味を返された。
「私は軍人なので選挙に勝つ必要性はありません」
私とフィール外交部長とウージ財務部長は政治家であり議員なので、軍人・官僚であるエマリー軍代理の言葉は無視しておいた。これだから公務員は。
「形だけとはいえ、大陸統一を実現したわけだが、全く実感がわかないな」
「当然ですよ。大陸統一をやりますって決めただけで、中身をどうするかはフェーニング連邦準備委員会で話し合うわけですから」
「ネルシイと戦争にならなくてよかった。戦争になったら大陸統一どころか終わりなき戦争に突入しただろうし」
「本当ですよ…。ユマイル・ネルシイ双方が軍事演習している途中からの交渉開始だったわけで、彼らも私たちがとち狂ったのかと考えたようです」
「極めて難しい交渉だっただろう。君には助けられた、ありがとう」
私は立ち上がってフィール外交部長に深々と頭を下げた。
「えっ…ちょっと!!頭をお上げください」
フィール外交部長があたふたしているようだ。
「困ったからと言って私を見るのはやめてください。別に仕事の成果と恋煩いは全く関係ないんですから」
「別に恋煩いは関係ないでしょう…!!」
「あらそうですか。これは失礼いたしました」
エマリー軍代理が笑う。
ああ、なんか前もこんな口論していたな。ウージ財務部長はどんな嫌そうな顔をしているか。そして、このあたりでハンナがまた嫌味の一つを言って…。
ハンナ…?ああ、彼女は死んでいたな。いないんだ。どれだけ馬鹿馬鹿しいことを言っても、ハンナの批評を聞くことはできない。もうあのため口を聞けないんだ。
私は勝手に陰湿な気分になり、自分の気持ちを隠すように座った。
「そういえば、誰が『フェーニング連邦準備委員会優先委員長』をやるんでしょうか?ウォール議長がやられるんですか?」
私は首を振った。
「やらない。さらに言えば政界もやめる」
私の言葉は最初あまり効果をもたらさなかったが、徐々にこの場にいる三人に意味が伝わったようで、目を丸くしてこちらを見る。ウージ財務部長でさえ凝視していた。
「え?どういうことですか?いきなりすぎでしょう?私、何も聞いていないんですが?どうして私に相談してくれなかったんですか?あと、大陸統一どうするんですか…?」
「フィール外交部長、一度に聞くのはやめてあげてください。あと、私情混ざっていますよ」
「混ざっていません…!!」
エマリー軍代理とフィール外交部長の交流は置いといて、説明を始める。
「私はユマイル民族戦線のナショナリズムを推し進めた政治家だ。保守派の愛国者であり、ネルシイやフェーム帝国の脅威を声高々に叫び、国民から支持を集めてきた。だが時代は変わりつつある。ナショナリズムからグローバリズムという隣人愛に目覚めた。産声を上げた『フェーニング連邦』はあまりにも脆弱だ。私がそこに立てば、大陸統合に亀裂が入り崩壊するだろう」
「なら優先委員長に別の人を置くのはいかがですか…?政界から引退しなくても」
「駄目だ。そもそも論、完全な『フェーニング連邦』が誕生すればユマイル民族戦線という国は無くなる。強力なナショナリストがいたら国を解体できなくなるぞ」
「うーん…」
フィール外交部長は唸った後、考えてこう聞いてきた。
「ウォール議長はご自分でこれからの大陸統一を進めたいと思わないんですか?あなたの夢でしたよね?」
フィール外交部長の問いかけに私は黙って考え込んだ。
「私は『フェーニング連邦』という大陸統一の枠組みを作った。そのため大陸統一という公約を果たし、また責任を果たした」
私の言葉はとても脆く不安定に感じられた。
「本当によろしいんですか…?」
フィール外交部長は念押しをしてきた。もう戻れないだろう。
「ああ。もうナショナリズムの時代は終わった。次の世代へバトンを渡そう」
「…」
フィール外交部長は黙った。
「で、後継者はどうなさるかお考えですか?」
私は黙って、フィール外交部長に視線を返す。
「はい…?」
「君を『フェーニング連邦準備委員会優先委員長』に推薦する。あとユマイル議長にはウージ財務部長を推薦しておくが、こればかりは私に議長の任命権がないので、議会が最終的に決めるだろう」
フィール外交部長が驚いたようにこちらを見る。
「え?私ですか?私が大陸統一国家の建国をやると?」
「最も優れた適任者だと私は思っている」
「いえ。そういうわけではないんですか…。いきなりだったもので」
「時間がなかったからな。いきなりになってしまった」
フィール外交部長は黙った。うつむいて考えた後、意を決したようにこちらを向く。
「すぐに決められないのも当然だ。時間を開けてまた…」
「空けなくていいです。私がやります」
フィール外交部長は私を見据えて真っ直ぐ見た。
「私も政治家です。これほど名誉ある仕事をやれるチャンスを手放すはずないです」
フィール外交部長が力強く言ってくれたので、私は肩の力を落とした。
「ああ。いいや、そう言ってくれると思っていた。フィール外交部長、弱気に見えてなんだかんだ我が強いから」
「はい?」
「いいや、何でもない。何も言っていない。気にしないでくれ。…ありがとう、フィール外交部長。君しか頼めなかった」
「具体的にどう発足させるんですか?」
「外交部の職員がフェーニング連邦準備委員会に出向してもらう。…外交部の人間がこの組織に一番適切だろう、殆ど構成国との調整になるからな」
エマリー軍代理が手を挙げた。
「軍からも出向者を出したいです。よろしいですね?」
「ああ。頼む。変に外交部だけだと面倒なことになる」
「それなら諜報部からも出したほうがいいかと。彼らの恨みを買うのが一番危険な気がします」
エマリー軍代理が助言してくれた。
私はハンナ諜報長官の顔を思い浮かべたが振り払った。もうハンナは関係ない。
「同感だ。諜報部からも出向者をあたってみる」
「…結局最後まで後任の諜報長官を選びませんでしたね」
フィール外交部長の耳の痛い話は黙殺する。これはあまりにも答えづらい。
「ちょっと待ってくれ。なんでわしが後任の議長になっているんだ」
ウージ財務部長が埒が明かないと気が付いたのか、会話に割り込んできた。
「財務部長を務めたわけで適任者だと思うという話です」
「いや…わしの意思とか…」
「優先委員長については私が人事権を持っていますが、議長については議会が持っているので、私があくまで推薦するだけです。そう難しく考えないでください」
「はあ…」
ウージ財務部長が納得できぬよう呟いた。
「そういうわけなので、私の引継ぎとフェーニング連邦準備委員会の発足が最後の仕事だ。これで行政調整会議を終わる」