党と政権
大きな個室にはピアノと机が置かれていた。
演奏者による、ピアノの演奏は穏やかで気に障らない。
皿にポツンと白身魚のフレンチ、横にはフォークとナイフが置かれている。
軍の食堂や大衆定食だのを食べてきた庶民の私にとっては、随分と物足りなさを感じる。
目の前には白いひげと、針金のように固そうな髪を持つ初老の男。
彼こそが、オードリー・クロス ユマイル保守党党首、62才のベテラン議員である。彼の後押しが無ければ、このウォール・グリーン議長の誕生は決してあり得なかっただろう。
そして行政調整会議を終えた日の夜、私はこうしてクロス党首と会食をしているのである。
指導者は夜も昼も仕事だ。
まあ、私が議員宿舎に帰ったところで、何もすることがないのため仕事があるのはありがたいが。
「政権運営は順調かね?」
クロス党首の質問に私はうなづいた。
「もちろんです。これも与党・保守党の協力の賜物です」
「謙遜するな。一年前の第七次ユマイル・フェーム国境紛争の時、我が保守党も追加の師団派遣に懐疑的だったからな。その時追加の師団派遣案を押し通し、勝利を飾ったのは君の成果だ、誇っていい」
「ありがとうございます」
厳しい逆風とあるいは期待の目の下で、発足した我が政権の下で最初に起きた出来事が、第七次ユマイル・フェーム国境紛争だった。
ここでの勝利が脆弱な基盤だった我が政権の支持を強固にし、ナショナリズムを一層高揚させ、政権としての地位を確立することに成功した。
「第六次ユマイル・フェーム国境紛争での敗戦を引きずる我々議員の老人たちは事態の加熱を恐れて、軍の追加派遣を渋った。きっとワシらには負け癖がついてしまったのだろう」
クロス党首は寂しそうに呟いた。
「君は第六次ユマイル・フェーム国境紛争の時、軍にいたんだったな?」
「ええ、当時は20才…五年前です。ユマイル陸軍高等学校前期課程を卒業して、中尉として第六次ユマイル・フェーム国境紛争の際に従軍しています」
「君がのっている新聞を見たよ。戦死した中隊長に代わって隊を指揮してフェーム帝国軍の侵攻を食い止めた『英雄』だと」
「『英雄』だなんてそんな。…あの時は必死でした、数少ない兵数と劣悪な兵站、反攻など夢のまた夢でした。戦略的に見れば、領土を失った第六次ユマイル・フェーム国境紛争は敗北だと言わざる負えません」
「ああ、だが君たちが抵抗してフェーム帝国軍を食い止めなければ、もっと多くの領土を失っただろう。それにしても君は二度のユマイル・フェーム国境紛争に深く関わっているわけか」
「ええ。第六次ユマイル・フェーム国境紛争の後、有名になり保守党に入党しています。第七次ユマイル・フェーム国境紛争の時はおかげさまで、政権の支持を強固にできた。皮肉にも二回とも助けられています」
私は苦笑いをした。
「それは素晴らしい。だが油断は禁物じゃ」
クロス党首の言葉に私はうなづいた。
「もちろん、国境付近に三師団派遣することをエマリー軍代理に指示しました」
「おお。しかし、内地に駐屯する兵が減れば不安ではないか?」
さすがクロス党首、サクサク話が進む。
「そうですね。だからこそ、我々は師団数の増加をやりたいわけであって」
私はここぞとばかりに営業をかける。
クロス党首は苦い顔をした後、考え込んだ。
「今の軍事力では大陸統一どころかではありません」
私は少し前のめりになって促した。本心だ。
衰退しているフェーム帝国でさえ、師団数だけ見ればユマイルのほうが少し上回る程度。
フェーム帝国を併合するには全く足りない。
「まあ我が保守党のほとんどの議員も軍拡にはおおむね賛成だ。今の不安定な安全保障環境を考えれば合理的だからな。日和見主義の労働党は知らんが。問題は増やす師団数の数だ。グリーンくんは何師団増やしたいと思っているんだ?」
グリーンくんと久しぶりに呼ばれた気がする、普段はウォールと呼ばれることが多いため意外感がある。ラストネームで呼ぶのはユマイルの年配の人の特徴だ。
覚悟を決めて言った。
「十師団です」
微妙な顔で押しとどまっていたクロス党首の表情が崩れた。
「十師団、そんなにか。それとも、軍は狂っているのか?」
クロス党首は困惑しながら語る。
「軍の要求ではありません、いやエマリー軍代理も師団数増加を言っていますが、彼女の要求は五師団です」
「ならばなぜ?」
「エマリー軍代理は大陸統一を視野に入れていないのでしょう。フェーム帝国を制圧するにはあまりに兵力が足りません」
「君はフェーム帝国を制圧するつもりなのか?」
クロス党首は恐ろしい顔をして私に尋ねた。
低い声と鋭い目つきで私を見つめ…いや睨んでくる。
これが長年政界を生き残り与党の党首に居座る"老兵"の本性だと確信した。
「勿論です。制圧の仕方、タイミング等は何も決まっていませんが、大陸統一はわが政権の"公約"ですから」
「労働党どころか与党・保守党の一部でさえ君の言う"公約"、大陸統一には懐疑的だ。ワシの知り合いの議員が言っていたよ『国民の支持を得たいがためのパフォーマンス』だってな」
「その方は常識をお持ちだということですよ」
私の言葉は皮肉ではなかった。
実際、大陸三国の中で最弱国家のユマイル民族戦線が大陸の統一など"狂っている"としか言いようがないだろう。
だけれど、私はその狂った夢を見続けている。
その夢を実現するためには犠牲と覚悟と権力が必要だ。
「20万人規模の増員など民需を圧迫するのではないかね。民需が減り国力が停滞すれば、結果的に軍に割けるリソースも減ってしまうのではないか」
「クロス党首のご指摘はごもっともです。が、大陸を統一しマーケットの統合が行われれば、我が国…いやわが大陸の経済は大幅に向上します」
「軍政による支配で自由な経済発展ができるとは思えんが」
「軍政による支配などしません。大陸統一は急進的なものでなく、ある程度の自治を認めた"ユマイル主導の連邦制"でおこないます」
「なるほど」
「無論、統一の主導権は争われるでしょうから戦争は起きると思います。ただ、かつての…フェーム帝国のような暴力と差別による圧政は行いません」
「具体的な策は?」
「ユマイル民族戦線、フェーム帝国、ネルシイ商業諸国連合の三国で国際会議が開かれます。その時、わがユマイルは関税同盟、つまり相互の関税の軽減を提案する予定です。それが"フェーニング連邦"の原型になることでしょう」
クロス党首は目を閉じて考え込む。
外からの情報は一切遮断され、喋りかけるどころか、小さな物音一本立てるのすら許されない気がした。
ピアノの音だけが規則的になり続ける。
「面白い。ワシが見込んだだけのことはある。十師団の増加の件は我が保守党に任せなさい。必ず実現させる。国際会議の良い土産話を期待しているよ」




