帝都の夜
その日、私は貴族のようであった。
ユマイルの議員宿舎もきれいで文句なしだが、こちらは中世の風情があるものだ。部屋は広々としていて、廊下だけではなく部屋にまで絵が飾られている。
ここにいた貴族はどうなったのだろうか。多くは皇帝とともに逃亡したと報告されているが、何人かはユマイル軍にとらえられ処刑されている。
道徳的なものはともかくとして、国益的には妥当な判断だろう。各地の統治を担っている諸侯を味方につけるのは大切だが、皇帝を守り税を貪り食う彼らは邪魔なだけだ。フェームの貴族は帝都に住んでいて、地方の施政権を持っているわけではないから、利用価値もない。
むしろ生き残り、諸侯にユマイル民族戦線への反乱を煽られると危険である。
仮に亡命した先でも、もはや皇帝の後ろ盾がない以上、帝都フェームでの贅沢な生活は二度とできない。権力者は大きな権力と富を得られる代わりに大きな責任もある、それはいついかなる国・時代であっても同じだ。
今日は久しぶりに残業なしの健康的な時間に睡眠を始めた私だったが、やはりどれだけ高級であっても慣れない寝床は寝づらく、深夜に目が覚めてしまった。
するとどこか歩きたい気分になって、城を歩くことにした。我ながらとても子供じみた発想である。
部屋を出ると、警備に当たる兵士が二人いる。
「お出かけですか?」
二人は私を見るなり敬礼をした。
「こんな時間まで警備とはお疲れ様。眠れなくてね。少し城の中を散歩しようかと」
「警備兵が巡回しておりますが、この区画は宿泊されているのはフィール外交部長とウォール議長しかいません。廊下には美術品があり、あちらにはバルコニーがありますので気分転換によろしいかと」
「この区画と言うと貴族室があるところだろう?驚いたな、貴族室は沢山あるし大体馬鹿みたいに広いのに、たった二人しかいないのか」
「そのくらいこの城は広いのだと思われます」
なるほど、こんな贅沢な使い方をしても余るというわけだ。
私は廊下を歩きだすと、兵士二人は私を見送るかのように敬礼をした。
確かに広かった。部屋は沢山あるのに、部屋と部屋の間隔が異常に広い。廊下はあまりに横幅があって、一人で歩くと不気味ですらある。
狭い建物も苦痛だが、広すぎると得体の知れない恐ろしさを感じるのだなあ。
廊下の薄暗いランプに照らされ、一人の人影が見えた。女性であるが、明らかに軍服ではない。侵入者か…?私はゆっくりと慎重に近づく。
「だ…誰ですか…?」
声で分かった。
「なんだ、フィール外交部長か」
近づくと、フィール外交部長はほっと肩をなで下ろして笑った。
「ウォール議長ですか。驚かさないでください…。私、びっくりしました…」
フィール外交部長はふりふりの白のワンピースをパジャマとして使っていた。
「じろじろ見ないでください…」
フィール外交部長は赤面してそっぽを向いた。
「すまない…。だが、警備兵でもその姿を見せたのだろう。城内に兵士がいる以上、他人に見せられない恰好をとるべきではないと思うが」
フィール外交部長はそっぽを向いたまま小声で
「いえ、ウォール議長にはあんまり…恥ずかしいです」
とつぶやいた。私に見せると恥ずかしいのか。嫌われているのだろうか。
「そういうことなら凝視しないようにする」
私の答えにフィール外交部長は頷いた。
「ところで、どうしてここに?」
「慣れないベッドは寝づらくてですね…」
「ああ、なるほど。私もだ」
私が自嘲気味に笑うと、フィール外交部長もつられて笑った。
幅広い廊下の横には美術品が飾られている。
「美術品にご興味あるんですか…?」
フィール外交部長が話しかけてきた。
「いいや。美術品鑑賞は上流階級の嗜みだと言われたりするが、私には全く分からない。所詮は庶民だ」
すると、フィール外交部長は歩いてきて私の隣に立った。
「これは百年ほど前の作品です。ちょうど近世の末期のあたりでしょうか」
「詳しいのか?」
「上流貴族ですから」
フィール外交部長は私に微笑んだ。
この絵は一人の女性が描かれていて、古代人の衣装であるシニティオンを着ている。そして左手には、『神に等しきわが王』と書かれた本を持っている。
「『神に等しきわが王』…」
「ええ。近世を代表する本で国は王によって統治され、教会であっても干渉してならないと書かれた重大な転換点です」
「権益を集中させたいフェーム帝国の皇帝としてはこの上なくありがたかっただろうな」
「結局、集中させたのは利権だけで権力を集中させることはできませんでしたね」
「ああ。彼らが欲しかったのはうまい汁だけだ。諸侯を解体して中央集権政府を作るなんてできなかったんだ。結局近代のユマイルとネルシイという国民国家発展の頃には、政治体制が周回遅れになってしまった」
私は呟いた。永遠なんて存在しないのだろう。
「それにしても当時最先端である『神に等しきわが王』を持ち、古代人のシニティオンの民族衣装を着ているとは、不思議なものだな」
「この作品を描いた画家レッデリー・レートのフェーム帝国の後進性を批判したそうです。『神に等しきわが王』なんか持ち出しても、結局諸侯に言われて農作業をするだけの領民から見ればどこ吹く風だと」
「国民一人一人が国家へ当事者意識を持つには封建制や王政を通り過ぎ、ナショナリズムに目覚めなければならい」
「そうですね」
フィール外交部長は頷いた。
「いつかネルシイ商業諸国連合もユマイル民族戦線も、停滞し時代遅れになり腐ってなくなるだろう。フェーム帝国のことを馬鹿にできない」
「ええ」
「まあまず、我がユマイルはネルシイに滅ぼされないよう頑張らないといけないわけだが」
私は眠さと重圧から引き攣った笑みを浮かべる。
「平和を愛し、民を思い続ければ、きっとうまくいきますよ」
「そんな理想論な…」
私があきれた声を出す。
「でもそれが政治です」
ハンナが私の頭の中で「そんな甘い考えは通用しないわ」とつぶやいた気がする。
「ああ。無謀な理想をいつか叶えられると信じでやるのが政治だ」
私は反論したい気持ちをぐっと殺してそう答えた。




