帝国の落日
それは狂気だった。地震や大火事にも匹敵する、狂った空気感。
だがそれらとの決定的な違いは、これが"喜ばしいこと"である点だ。
フェーム帝国は滅んだ。
中世から四百年ほど続いた由緒正しい大帝国は、彼らが見下してきたユマイル民族によって崩壊した。
フェーニング大陸を武力で制圧し、馬で雄大な草原を掛け、反逆者どもの首を次々と剣ではねてきた、偉大な歴代皇帝はこれを予想できなかっただろう。二週間程の短い期間でだ。
ユマイル国境に近いフェーム帝国の諸侯たちは、百年もの間国境紛争という小競り合いに付き合い続けてきた。無論一方的に搾取するだけの皇帝はそんなもの見て見ぬふりだから、援軍は送らない。
八度にも及ぶ国境紛争はたった三諸侯の私兵によって行われてきた。
第八次ユマイル・フェーム国境紛争ののち三諸侯たちを"食い破り"、フェーム帝国の内部に進軍したユマイル軍は彼らの弱さに驚いた。
第六次ユマイル・フェーム国境紛争からのベテラン兵は、「ユマイル・フェーム国境の三諸侯は勇敢で劣った武装でありながらしぶとく戦った。内側の諸侯たちは武器どころか戦う意志さえなかった」と報告を出した。
かつて勇敢であればあるほど皇帝の近くに領地を持てたが、数百年の世襲を経て腐敗した結果、真逆になったしまった。
皇帝の動きはあまりにも鈍かった。
越境攻撃を開始した時点で皇帝は諸侯に大号令をかけず、皇帝直轄のフェーム騎士団は動きもしない。
首都から十キロメートルを切ったあたりでようやく動員の準備が整ったのか、八万人規模のフェーム騎士団が攻撃を開始した。
貴族のお遊戯衣装と見間違える重い鎧をかぶり、馬に乗り雄叫びを上げて、団子のように固まって突っ込んできた。
彼らは銃や大砲を見たことがないのだろうかと、エマリー軍代理は嘆いていた。
彼らは名誉ある死など得られず、得られたのは砲弾による肉片だ。新兵の訓練にはちょうどよかったかもしれない。
補給兵合わせユマイル十八師団、四十五万人のうち、戦死者はたった千人弱。しかもそのほとんどが、国境付近の領主との戦闘なのだから驚きだ。
第十九代フェーム帝国皇帝は首都を追われ、逃げ込んだ先の領主で農民の暴動によって殺された。
私は首都に居座る"偉大な皇帝陛下"と話がしたかったが、それは叶わなかった。
フェーム帝国の象徴である皇帝、フェーム騎士団、首都、すべてなくなった。フェーム帝国の崩壊がユマイル軍によって発表され、新政府樹立のためユマイル民族戦線の幹部と旧フェーム帝国の諸侯たちが首都に集結しつつあった。
今、私の馬車が向かっている場所もフェーム帝国の首都だ。
仰々しい警備に囲まれた私たちの馬車はフェーム帝国の領民から見ると、フェーム教会が言う"異邦人"に見えるかもしれない。
祖国が崩壊しつつあるのに、フェーム帝国の領民は無関心で、まるで機械のごとく自分の仕事を続けていた。彼らは今日の寝床と食事さえあれば、社会のことなどどうでもいいと言わんばかりに。
場所から見えるものは、骨董品ばかりだった。
一つかあるいは二世代も前、我がユマイルの山奥で見かけるようなものばかりだ。フェーム帝国の領土は中世から時が止まっていた。
見渡す限り農地農地農地…そして風車と領主のための贅沢な城だ。
工場が一つもない。鉄道もない。変化を拒み、ここには悠久の時が流れていた。
長い道のりだった。鉄道のありがたみが良く分かった。
ネルシイからユマイルに帰るときには途中鉄道があったが、今はすべて馬車だ。速度が全く違う。
民族大移動がごとく私たちユマイル幹部の馬車に並走し、軍人たちが馬に乗っていた。
参謀本部は首都陥落を最優先の作戦を決行したため、途中で我々が襲われるのではないかと非常に危惧していたのである。
三日間の長旅を経て、ついに私たちはフェーム帝国の首都・「帝都フェーム」に到着した。そこは街全体を包む巨大なレンガの壁が覆っていて、城壁として機能していた。
まさしく城壁都市であり、汚れ崩れている茶色のレンガは芸術的で圧巻であった。
かつて中世の者たちはみな、きっとこのフェーム帝国の皇帝が住む首都・「帝都フェーム」に憧れていたのだろう。技術は時代遅れになるが、芸術は時代遅れにならない。
小さく今にも壊れそうな跳ね橋を通ると、中の町も城壁に見るに劣らない素晴らしい出来だった。
茶色いレンガと赤い屋根、ところどころに雑草が生えていて歴史を感じる。
坂になっているようで、段差のように家々が連なっている。
自然と視線を上げると、最後に視線が行き着いたのは巨大な城だった。
ここがフェーム帝国の皇帝の住処。もはや建物というより敷地だな。そのくらい大きい。
我がユマイル軍の管理下に置かれ、城はユマイル軍の兵士が警備をしていた。街の中には人っ子一人いなかったが、きっと戒厳令が敷かれているのだろう。
馬車は城の中にはに止まると、ドアが開けられた。
「ウォール議長!お疲れ様でした!!」
兵士二人に敬礼をされたため、私は馬車を降りたのち返礼を行った。
後続の馬車から、フィール外交部長、エマリー軍代理が降りてくる。
「長旅ご苦労様です」
私が二人に声をかける。彼女らは頷いてくれた。
「さすが、フェーム帝国だけありますね…美しい城…」
フィール外交部長はうっとりとした顔をして呟いた。貴族の娘だからだろうか。
「もはや都市の城壁は防衛設備として機能していませんけどね。現在の大砲から見れば紙同然ですし、城壁の外から放物線を描いて内部の都市を砲撃することもできます。フェーム騎士団は帝都フェームの外に出てきて迎え撃ったそうですが、確かに立てこもれば悲惨なことになっていたでしょう」
エマリー軍代理は軍人だった。…人によって評価が分れる都市なのだろう。
ユマイル兵が近づいてくる。
「失礼します!!すでに旧フェーム帝国の諸侯たちは会議室に集められています。どうなさいますか?」
「分かった。すぐに行く。フィール外交部長、例のものは持ってきましたか?」
「ええ、大丈夫です。外交部職員が持っています」
「よし、なら行こう」
石造りの古風の廊下を通る。美術の教科書に載っているであろう美術品たちが廊下に置かれていて、床も石できている。
入ると、そこはあまりに巨大な会議室だった。
天井は異常なほど高く、上には壁画が描かれている。部屋には三十人にも及ぶ諸侯たちが座っていて、私が入ってくると緊張した面持ちで立ち上がった。
…そうか、彼らにとって私たちユマイル軍は皇帝に代わる新たな権威になってしまったわけか。
ユマイル兵の案内に従い、私たちは一番奥の指定席まで移動させられた。
外交部職員が二人、フィール外交部長、そして軍からはルム兵站課長と佐官クラスが二人、エマリー軍代理、そして私ウォール・グリーンである。
諸侯と見渡すと驚くほど、おじいさんばかりだ。中世の神父が好む白く逞しいひげであるが、近代化が進んだ今ではもはや旧世代の産物ともとらえられる。
「皇帝の首都からの敗走をもって、フェーム帝国は崩壊しました。その後「帝都フェーム」はユマイル軍、各領地は各領主が統治を行っていました。フェーム帝国崩壊後の後継政府として、"フェーム諸侯連合"の樹立を宣言します。また建国後、"ユマイル・フェーム安全保障条約"、"帝都フェームの文化的保護に関する条約"を締結します」
私はフィール外交部長に目配せをすると、外交部職員たちは分厚い書類を取り出した。
「これがユマイルが策定した憲法草案と二つの条約です。これらはフェーニング公用語と…フェーム帝国古語の二つのバージョンを用意したのでご安心を。憲法発行後速やかに建国宣言を行い、憲法に基づき第一回諸侯会議を開催し、諸侯長を選出します。条約二つはその時に諸侯長と締結を行います」
フェーム帝国古語は中世に使われた古語で、もはや誰も使っていないのだが、フェーム帝国はいまだにそちらの文書を作ることにこだわっている。
そのため、わざわざ外交部には二つのバージョンを作成してもらった。
「わしらは領主のままなんじゃろうな?」
突然一人の領主が発言した。
「ええ。皇帝がいなくなるだけで今までの領主が領地を支配するシステムはなんら変わりません。むしろ、皇帝が諸侯に対して決めていた税制は諸侯会議によって決定されるようになります。諸侯は自分たちで中央政府の税率と使い道を決められるようになります。詳しくはこの憲法草案をご覧ください。あと、国防安定化や帝都フェームの文化的保護のためユマイルから軍事顧問を…」
「もういいです。いやあ、これはありがたいお話ですな。別にうちらは領主であり続けられれば、ほかはどうでもいいので」
その諸侯が吐き捨てるように言った。諸侯たちはがやがやと話し出して、騒がしくなる。
彼らから見ると、もはや皇帝は自分たちに税をかけ贅沢をする害悪でしかなかったのだろう。
そんな皇帝がいなくなり、自分たちで税率を決められるとなれば万々歳。自分たちの領地が維持できれば何も興味ない。
当然ユマイル民族戦線としてもありがたい話で、諸侯がバラバラになってくれれば国家としての脅威はなくなるだろう。今まで曲がりなりにもフェーム帝国が脅威であったのは、皇帝という君臨する権力者がいたからだ。
もし皇帝が有能であり信頼されていれば、真っ先に諸侯たちに動員をかけユマイル民族戦線とフェーム帝国の戦争は泥沼化していたかもしれない。
だがネルシイ商業諸国連合に侵攻されても皇帝はオロオロするだけで、焦った諸侯たちが抜け駆け和平交渉を始めたあたりから、もはや皇帝に権威などなくなってしまっていた。
これで新たに誕生する"フェーム諸侯連合"は国家というよりも、諸侯たちの緩やかな同盟に近いかもしれない。フェーム諸侯連合のトップである諸侯長も所詮、諸侯会議のまとめ役に過ぎない。
諸侯たちは全く興味を示さないが、"ユマイル・フェーム安全保障条約"にはフェーム諸侯連合が侵攻を受けた際、ユマイル軍がフェームへ出兵できることになっていて、フェーム諸侯連合は物資の提供が義務づけられている。
また"帝都フェームの文化的保護に関する条約"は皇帝の直轄地である「帝都フェーム」の統治権をユマイル軍が引き継ぐということだ。国民国家からすればこれほど屈辱的なものはないだろう、我がユマイル民族戦線でそんな条約締結しようものなら暴徒化した国民に殺されるだろう。
しかし、どの諸侯も気に留めない。
なんなら、ユマイル軍に守ってもらえてラッキーとしか考えないのだろう。自分の所有物である領地と領民と資産が守れれば、ほかに興味はない。
なぜなら、もう満たされているからだ。農民が農産物を作ってくれるし、徴発した料理人が最高の料理を作ってくれる。女が欲しければ一番きれいな領民の娘と結婚すればいい。住居は領主が代々受け継ぐ巨大な城がある。
人間は自分のおかれている環境に満足してしまったとき、もう外へと目を向けようとしないのだ。
こんな重大事態なのに、聞かれるのは本当に"わしらは領主のままなんじゃろうな?"だけだった。外交部が作り、私の頭に叩き込んだ想定問答集は一度も役に立たなかったのである。
事務的な手続きをフィール外交部長ら軍・外交部官僚に任せると、エマリー軍代理と私はユマイル軍の警備兵を連れ会議室を出た。
「フェームの諸侯、本当に無関心でしたね」
エマリー軍代理がつぶやいた。
「ああ」
「これもユマイル軍の近代化の賜物でしょう」
エマリー軍代理が嬉しそうに呟く。軍とは勝利を勝ち取るものである。日頃の訓練や戦術、装備がこれほど綺麗にフェーム帝国崩壊へと結びつくと、こうも言いたくなる。
「ああ」
「…何かご不安なことでもあるのでしょうか」
エマリー軍代理が私に聞いてきた。
「こんな簡単に勝てたのは相手がフェーム帝国だからだ。…もう一国ある。ネルシイ商業諸国連合はこんな簡単に勝てない。ネルシイは必ず抗議してくる。フェーム帝国の利権がユマイルに独占されたとなれば看過できないはずだ」
「はい」
「だが、ネルシイの動きが鈍かったのが幸いではあるし、もしネルシイがフェーム帝国に本気で攻め込んでいれば、フェーム帝国には親ネルシイ政権が誕生していた。奪われる前に奪えて良かった」
私がそう呟く。
「ネルシイ商業諸国連合の軽武装方針が転換する前に、けりをつけなければならない。ユマイル軍はこれからが本番だ」
「お任せください」
私は頷いた。
「そういえばドルム・ドクルはどうした?関税同盟の時フェーム帝国大使を務めていたはずだが」
ドルム・ドクルはフィール外交部長とネルシイシティで交渉した時に、フェーム帝国の大使を務めていた人間だ。…あの感じの悪い彼である。
「軍は把握しておりません。皇帝と一緒に敗走したんじゃないでしょうか」
「皇帝は敗走した先で農民に殺されたと、諜報部のレポートに記されていたが」
「ええ。ですから、ドルム・ドクルも殺されたのかと。皇帝の権威がないのなら、側近なんて無価値です」
「しかし、諜報部はよくこんな情報を持ってくるものだ」
皇帝といえばフェーム帝国の象徴だ。それの生死など最高機密情報と言ってもいいのではないだろうか。
「参謀本部では、諜報部に魔法使いが所属していてそれで世界中を盗聴しているんだ、ともっぱらの噂ですよ」
「魔法があるなら、諜報活動ではなく戦略兵器として活用したいものだな」
私は後ろにいるユマイル兵に話しかける。
「私は帝都フェームに宿泊すると決まっているがどこに行けばいい」
「はっ!!この城に貴族室がございますので、そちらをお使い下さい」
「この城か…。敵本拠地で寝るなんて、複雑な気分だな」
「申し訳ございません。ただ、議長を兵舎に寝泊まりさせるわけにもいかず…」
兵士は申し訳なさそうに答えた。
エマリー軍代理が話に割って入る。
「議長室は軍が厳重に警備いたしますのでご安心ください。私腹を絶やしに絶やしたフェーム帝国の貴族だけあり、家具も装飾品も一流ですよ」
「なるほど…フィール外交部長らもそちらか」
「ええ。ただ、私は兵舎です。ルム兵站課長と帝都フェームの統治に関する相談もありますので」
「なるほど…」
いくら敵を殲滅したからと言って、ここは元敵地の真ん中なのだ。何があるか分からない以上、軍は厳戒体制を維持するということである。
「帝都フェームの統治は軍事顧問という形でやるのだろう」
「ええ、そうです。帝都フェームには選挙で選ばれた名目上のトップ"知事"がおかれますが、同時にユマイル軍事顧問と常駐師団がいて政治に干渉する、間接統治という形になります」
「軍事顧問の候補は?」
「参謀本部としては現地司令官のルム兵站課長をそのまま軍事顧問にする計画です」
「それでいい。優秀な人材がいなくなるが、これほどの適任者はいないだろう。フェーム帝国の利権を維持するためにも重要だ」
私は多すぎる課題に頭を抱えざるおえなかった。
「お疲れでしょうし、少し休まれては」
エマリー軍代理に諭された。
「ああ、そうするよ…。長旅と会議で疲れた。君、部屋まで案内してもらえるか?」
後ろの兵士に私はそう言った。




