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第八次ユマイル・フェーム国境紛争

 その日は大雨だった。覚悟はできていたはずだ。六日もの時間を与えられたのだから。ハンナと私が仕組んだことである。

 だが、実際に起きることが分かっていても、起きた時の衝撃は知らぬ人と並ぶほどだった。いいや、種類が違うのかもしれない。

 ネルシイ商業諸国連合のフェーム帝国侵攻を受け、生まれた混乱はいったん落ち着きつつあったが、それを凌駕する出来事が今この瞬間に起きているのだ。

 昨日の夕方、国境付近のフェーム帝国の部隊が発砲。我がユマイルの部隊も応戦したところ事態はエスカレートした。

 現地部隊はフェーム帝国との対話を試みたが叶わず、フェーム帝国は貧弱な火砲の射程距離を補うため越境攻撃に踏み切った。

 直ちにユマイルの伝令使は参謀本部へと鉄道で急行し、その事実は今日の朝伝わり、首都ユマイザルを大混乱に陥れた。


 重々しい空気の中、再び行政調整会議は再び開かれる。

「今回の議題はフェーム帝国の我がユマイル民族戦線への攻撃だ。エマリー軍代理、概要の説明を」

「はい。ユマイル・フェーム間の国境を警備していた第二十四師団は夕方、フェーム帝国らしき部隊の発砲を受けました。ユマイル・フェーム連絡協定に基づき対話を試みましたが、発砲は止まず八名の死者を出します。

やむを得ず応射したため事態は悪化しました。ユマイル側による火砲支援が行われたあたりで、フェーム帝国は三師団に動員をかけ越境攻撃を開始し、ユマイル側は自国領土で迎撃するため五師団に動員がかかりました」

 エマリー軍代理が説明を終えた。

「ありがとう、エマリー軍代理。フィール外交部長はフェーム帝国側の意思確認はできたか?」

「フェーム帝国側は『今回の発砲はユマイル民族戦線側から行われたものであり、謝罪と賠償』を求めています」

「エマリー軍代理、フェーム帝国側からの発砲で間違いないんだよな?」

「ええ、伝令使の話を聞く限りはですが。ただ、おそらく現場は混乱していたでしょうし、双方が上層部に敵国からの発砲だと報告するのは珍しくないと思います」

 …これでは水掛け論だ。そしてこうなればもう引き下がれない。

 フェーム帝国側もユマイル民族戦線側もここで謝罪なんてすれば民は許さないだろう。あるのは武力の行使によって、勝者が歴史を作るプロセスのみだ。


「フィール外交部長、フェーム帝国へ『責任はフェーム帝国側にあり謝罪と賠償を要求する』と伝えてください」

 フィール外交部長は少し口角を上げて

「…そんなことをすればもうお互い後に引けなくなりますよ。彼らはもっと強硬になります」

「じゃあ、フィール外交部長はフェーム帝国側の要求を飲んで謝罪と賠償をするべきだというのか。そんなことをすればウォール政権は潰れるぞ。保守党も次の選挙で惨敗だろうな」

「そうではありません…!!ですけれども、平和は尊いものです。これ以上国境紛争が悪化しないよう対話を続けることが大事だと思います」

「戦いに勝利しなければ、まともな話し合いはできない。外交部長として働いてきたあなたならそれを一番知っているはずだ、フェーム帝国によるユマイル民族へのヘイトを」

 フィール外交部長は悔しそうな顔をしてうつむいた。それが答えだった。

 彼らは中世の栄光を勘違いし、自国の衰退から目をそらし、周辺諸国を見下してきた。

 第七次国境紛争で妥協されたのは、フェーム帝国が惨敗したからだ。そしてそれさえも、フェーム帝国は受け入れられず変われず、醜いコンプレックスとして残り続けてきた。

 彼らとまともな話し合いはできない。これは偏見ではなく、フェーム帝国と交渉したことのある外交官ならば誰もが知っている事実だった。


「エマリー軍代理。国境付近の五師団に、越境攻撃の許可を出してください。"フェーム帝国は火砲を持っており、蛮行を続ける彼らを静止するためにやむなし"と」

「はい。…伝令使がつくのは十二時間ほどかかるので、実際に反攻するのは今日の夜になるでしょうけど」

 エマリー軍代理は静かにうなづく。フィール外交部長は不安そうな顔をして、ハンナ諜報長官は笑いもせず真顔だった。

 無論、これは口実に過ぎない。そもそも論、フェーム帝国が越境攻撃を仕掛けてきたのは彼らの火砲の射程距離が短いからであって本末転倒なのだ。

「参謀本部には作戦を立案してもらう。フェーム帝国の息の根を止め、フェーニング大陸の統一を主導するのは我がユマイル民族戦線であると国内外に示す必要がある。おそらくユマイル陸軍、第一次フェーニング大陸大戦以来の大動員になるだろう。そのためにも前座になる、今回の第八次ユマイル・フェーム国境紛争でフェーム帝国を完膚なきまで叩き潰す必要がある。

ユマイル陸軍の威信にかけて行うように。相手がフェーム帝国だからと言って絶対に油断するな。油断こそが人類最大の敗因だ」

「はい!!」

 エマリー軍代理はいつもとは違う軍人らしい返事をする。心なしか目が輝いているように見える。

 ああ、そうか彼女は根っこからの軍人なんだな。左派から戦争屋だの国家殺人鬼集団だの言われているが、結局戦ってそして偉大な勝利を勝ち取りたがる。

 彼女は軍代理にふさわしい人間だろう。


 大陸の大変革をもたらす名誉ある戦争、あるいは大陸の惨劇となる狂った戦争か。どちらにしろ軍人としては興奮せずにはいられない。

「…フェーム帝国と戦争といっても具体的にどのように戦うおつもりですか?このままだと単なる八回目の国境紛争になりますよ」

 フィール外交部長は心配そうな顔をそのままに聞いてくる。

「いいや、叩き潰せば必然的に戦争は始まる」

「そうでしょうか…」

「ああ。プライドの高い貧者は戦争を止めることはできない。ネルシイにもユマイルにも負けたという事実を皇帝は受け入れられないだろう」

「…」

 フィール外交部長は何も言わなかった。

「フィール外交部長は優しい方だ。きっと平和になった時にその才能を開花させるだろう。だが、今は戦争の時だ。国家の存亡だけを考えろ、いいな?情けは君を処刑台へと送ることになるぞ」

 フィール外交部長は不器用な笑いを私へと向けて

「わかりました」

 と静かにつぶやく。

 

 静かな沈黙が覆った後、エマリー軍代理が口を開いた。

「それにしても、今回は早い段階で諜報部が情報を明け渡してくれて助かりました。参謀本部調査局では限界がありましたから」

 ハンナ諜報長官のほうを見ると、彼女は微笑んだ。

「ええ。事態が事態ですから。参謀本部と諜報部がいがみ合っている場合ではないでしょう」

「それにしても諜報部は侵攻を仕掛ける師団数どころか、支援火砲の詳細、さらには時刻レベルでの予期まで言い当てるのですから大したものです。是非うちの調査局にもそのノウハウ、ご教授いただきたいものですね」

 エマリー軍代理がハンナ諜報長官のほうを見る。

 ハンナは

「それとこれとは別ですよ」

 と答えていた。


 で、ウージ財務部長か。

「ウージ財務部長」

「はい?」

 不機嫌そうに彼は答えた。

「これからは国庫が火を噴きます。保守党の重鎮やユマイルの財界に働きかけて、戦時国債をバンバン発行できるようにしてください。二週間後までに臨時予算案を作成して、自由な裁量の軍事予備費を七十億YCほど調達します」

「…財政規律は?」

「総力戦体制にそんなものはありません」

 ウージ財務部長はため息をつく。

「だろうと思っていたわい。そんなことしたくないんだが」

 私はウージ財務部長に顔を近づける。

「気持ちはわかりますが、これは仕事です。フェーム帝国に負ければウォール政権は崩壊で、あなたは一生表舞台に立てなくなりますよ。あなたが一番得をするのはここで戦時国債発行を実現し、戦勝国の財政を支えた"ユマイルの英雄たち"になることです。ここまで政界を生き抜いてきたあなたなら分かることでしょう」

 ウージ財務部長は一生表舞台に立てなくなるという言葉を聞いた途端私を見た。…随分と利己的な人だな。だが政治家のあるべき姿だし、分かりやすい上にある意味合理的。

 私たちのような自分の理想のために戦っている政治家が本来おかしいんだ。

 大半の政治家は国民のためと謳ったそれらしいマニュフェストを作り、当選後は自分の権力と給料と支持者たちの利権を守り抜く、それが仕事だ。


 ウージ財務部長はそっぽを向いて黙る。私も緊張してきた。答え次第では彼をクビにしなければならない。

 …だが、今危機的状況で財務部長を任せられるような人材がぱっと思いつかない。

「か、勘違いするなよ!!戦争に負けて国土が荒れてしまっては税収が減ってしまうからな!!それに表舞台に立てなくなるのは困る」

「ウージ財務部長…」

 思わず言いそうになった「成長したな」を胸の奥に押し込んだ。よく考えたらこの人、私より年上だったわ。

「成長したのね」

 ハンナが言いやがった、しかも凛とした声で。なんてことをしてくれたんだ。エマリー軍代理でさえ言うの我慢していたというのに。

 当のエマリー軍代理は笑い声を堪えるのに必死なご様子だ。

 ウージ財務部長は「なんだとう…」と小さい声で答えるだけで助かった。私はそっと胸をなでおろす。

「とにかくありがとうございます、ウージ財務部長」

 私が頭を下げると、ウージ財務部長はふんと鼻を鳴らした。どうやらやっていただけるらしい。


「そして、ハンナ諜報長官は諜報活動を続けることが仕事だ。フェーム帝国を重点においてくれ。何かあればすぐに報告するように」

「分かったわ」

 ハンナ諜報長官は頷いた。

「フィール外交部長は待機だ。外交は勝利の後に必要となる。むしろ庶務部長としての仕事が忙しくなると思う、広報課をフル活用して戦意を高めてくれ」

「分かりました」

 フィール外交部長は不満そうに言った。 

 貴族の娘で平和を憂いる理想主義者なところがあるフィールには少し酷な話なのかもしれない。どうか腐らず耐えてほしい。

「エマリー軍代理はフェーム帝国侵攻について作戦を立案するため考えておくこと。正式な指令として出すのは、午後の…六時ほどにもう一度会議をやる。その時に参謀本部のルム兵站課長を連れてきてほしい。時間は大丈夫か?」

「はい。大丈夫です」

 今、朝の九時だから九時間後か。

「了解だ。後は我がユマイル民族戦線の軍事力を信じて、第八次ユマイル・フェーム国境紛争の行く末を祈るしかないか。どうしても五師団では足りないのならば、追加師団を送ることは参謀本部の独断で許可する。軍事のことは軍人に任せる」

「はい!!」

「よし、各人業務に…フィール庶務部長、私の演説書と答弁書はできている?」

「できてます。すでに議会に渡したので、議会事務局の方に聞いてください」

「助かるよ、ありがとう」

 前回のネルシイ商業諸国連合のフェーム帝国への信仰の時は大混乱だったので、今回も議会に出ろと言われそうで怖くてフィール庶務部長に作ってもらったわけだ。

 事実、第八次ユマイル・フェーム国境紛争の報を受けた直後にクロス党首がお願いにやってきた。

 これで即興で演説するなどというとち狂ったことをせずに済み、答弁もこなせるだろう。


「行政調整会議はこれで終了です。お疲れ様でした」

「お疲れ様でした」

 声が響くと、四人ともぞろぞろと部屋を出て行った。ハンナが私を一瞬見て寂しそうな顔をした。

 通り過ぎるときに何か声をかけようか迷ったが、結局私は声をかけられなかった。


 ぼうっとしていたが、そんなことをしている場合ではない。

 私は部屋を出ると議会へと向かう。歩いて十分ほど、また慌ただしくなった廊下を通り議場へとたどり着く。

 事務局へ行って庶務部議対課から預かっていた答弁書と演説文を受け取る。


 議場の入り口にはクロス党首が待っていた。

「忙しいところ申し訳ない」

「いえ。それに私自身も今回は国民や議会に直接呼びかけておこうかと思って」

「我が国に直接関係することじゃな」

「ええ」

 クロス党首が先に議場へ入っていく。

「ご武運を祈るよ、ウォール・グリーン議長」



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