議会演説
ハンナの余韻に浸っていたいところだが、このひどい混乱だ。
おそらく業務は山のようにある。ここで呑気に休憩しているわけにはいかない。
会議室を出ると、早速官僚らしき人間が私の前を走って通り過ぎた。
まず何をするべきか、廊下に出て考える。
すぐに答えは出た、私は官僚ではなく政治家だ。トップとして政治家の仕事をするべきなのだ。
与党・クロス党首と調整をしよう。おそらくそっちも大混乱だろうが。
私はクロス党首に会うため歩き出すと、行政区を移動するあたりで、全力で走るおじさん…おじいさんを見かける。
最初あまりに似つかわしい姿だったから誰かと思えばクロス党首ではないか。…ご健康で何よりだ。
「クロス党首!ウォール・グリーンです!!」
「おお!!」
クロス党首は野太い声を出して、私に駆け寄ってきた。
息を切らしている。相当急いでいたんだろう。肩で息をしているが、間髪入れずに話しかける。
「君と話がしたかった」
「…おそらくそうだろうと思って来ました。議会はどうなっていますか?」
「大混乱。むろん行政機関のほうが対応で地獄だろうじゃな…」
「万が一、ユマイルにフェーム帝国が侵攻してきても躊躇なく宣戦布告できるよう与党議員に釘を刺しておいてください」
クロス党首が目を丸くする。
「そんなことが起きるのか…?」
「万が一です。ただ、今の戦争で分かったでしょう。もう戦争は始まってしまったんです、百年ぶりに。何が起こるか私たちには検討もつきません」
…噓だ。いいや、半分本当だ。一瞬ハンナの顔が浮かんでしまった。
「分かった。あと、議会がまた騒いでいるウォール・グリーンを出せと」
「…そうだろうと思っていました。初期対応を収束させ、明日の議会に日程調整しますので、議員たちを安心させてください」
「今出せとのことじゃ…」
「今?!」
私は思わず叫ぶ。
「答弁の調整が間に合いませんよ。与党からも出てるんですか?」
「与党議員からも出ている。このままだとウォール議長召還の議案が可決されるぞ」
「えぇ…」
すごい困るんだが。何してんの我が党。
「事態が事態だけに議会は半ばパニック状態だ。なんせ、百年ぶり、あの第一次フェーニング大陸大戦以来の戦争なのだからな。行政機関の対応を聞きたがっている」
「行政機関の対応が聞きたいなら、質問を送ってください」
「議員から庶務部議対課に送った質問文が返ってこないと苦情がきている」
議対課とは議会対策課の略で、議員からの行政機関に対する問い合わせやヒアリング等に対応する部署だ。
「送れるわけないでしょう、この大混乱で。議対課は他の応援に行って出払ってますよ」
「そうじゃろうなあ…」
クロス党首がうなっていた。
「分かった。答弁はなくていいから、とりあえず演説だけでもしてくれんか。これでは議員たちが鎮まるとは思えない」
「…」
確かにクロス党首の言うべきこともまっとうだ。立法機関であるユマイル議会を軽視するわけにはいかない。
「分かりました」
私の言葉にクロス党首が安心して頷いた。
「ありがたい。今すぐ議場に来てくれ」
ちょうど走ってきた官僚を呼び止める。
「ウォール・グリーン議長だ。君、所属は?」
「諜報部所属です」
「ハンナ・オンバーン諜報長官に『ウォール議長は議会で演説中』だと伝えてくれ」
「了解しました」
走り去る官僚の背中を見て、クロス党首に対して頷いた。
「行きましょうか」
議場につき、身だしなみを整え議場に入ると、そこは異様な雰囲気だった。
明らかにおかしい。今まで野次だの怒鳴り声だのに溢れてきたこの議場だが、ここにあるのはひそひそ声だ。
怯え恐れ不安感、まるで初等学校で殺人事件が起きた生徒たちのような雰囲気だ。
いい大人…しかも議場にいるのは国の代表たる議員たちのものとは思えない。
普段の堂々とした傲慢な態度はどこへ行ったのか。
私が足を踏み入れると、数百人の全議員が一斉にこちらを見た。恐怖と好奇の視線に晒される。
「グリーン議長を連れてきた!!行政機関が大混乱なため質問には受け付けられない!!演説だけだ!!」
クロス党首が議員たちに向かって叫ぶ。
シーンと静まり返って、少したってフェードインしてきたのは不満らしいひそひそ声だ。
耳障りな雑音としてこの議員を覆う。
「俺たちの質問に答えろ!!ふざけんな!!」
労働党らしき議員の一人が私にそう野次を飛ばした。
不安が怒りに変換したようで、凄まじい怒鳴り声だった。
一人が炎に飛び込めば、後ろから続く人のハードルは大幅に下がる。
堰を切ったように野党・労働党から罵声が浴びせられた。
私は黙って演壇に立つとその場で沈黙をする。
段々と野次は大きくなり、反発する保守党の声に刺激を受け指数関数的にうるさくなった。
やがて頭打ちになると急速にしぼんで静かになる。
静かになったあたりで私が話し始める。
"皆さんが静かになるまで三分かかりました"などと煽ろうか考えたが、そんなことをすればまた罵倒大会が開催されるだろうし、今はそんな暇はない。
「皆さん、落ち着いて聞いてください。今日、ネルシイ商業諸国連合がフェーム帝国に宣戦布告・越境侵攻を行いました。正式な戦争はあの第一次フェーニング大陸大戦は以来の出来事です。
議員…そして国民の皆様は不安と恐怖を抱えていることでしょう。しかしながら、どうか落ち着いて行動してほしいのです。パニックにならず今まで通りの生活を送っていただくよう国民にお願いします。
そして、ここにいる記者の皆様、我が国は国防に巨額の投資を行ってきました。我々は力強い祖国を持っています。ですから、社会の不安を煽るような報道は控えていただくことをウォール政権は希望します。
この度の戦争を受けエマリー軍代理を中心とする我がユマイル陸軍は、ユマイル・フェーム、そしてユマイル・ネルシイ間の部隊を動員し、厳戒態勢を取っています。例え今、どちらかの国が我が国へ戦争を仕掛けたとしても万全であり、さらには押し返すことでしょう。
恐れるに足りません!!我々は準備をしてまいりました。我々が最後に必要なのは毅然とした態度です。
さらにはフィール外交部長による対話の窓口、ハンナ諜報長官を中心とした防諜。我が国は偉大なユマイル陸軍を外交・諜報両方の立場からささえています。
平和と大陸の発展を願う誇り高きわがユマイル民族戦線にスキはなし!!ユマイル民族戦線万歳!!」
こういうのは勢いだ。何も決まってないし。実際、パニック状態になるのが一番困る。
「万歳!!万歳!!万歳!!」
保守党の議員らが私の万歳三唱に付き合ってくれた。労働党からはブーイングのプレゼントだ。
拍手と罵声の中、私は演壇を降り議場から去っていく。代わりにクロス党首が演壇に立ち演説を始める。
普段の議会進行を務める議長代理が私の議長席に座った。