ミュー・フラワー
関税同盟は初日の議長演説・答弁。
そして三日間にも及ぶ与野党討論を経て、与党・保守党の賛成多数で関税同盟の条約批准案は可決。
幸いにも保守党からの造反者は一人もおらず、クロス党首は「やはり、四の五の言わずに君に演説させてしまったのが良かったか」などと満足げだった。
私自身も農業関係者から支持を得ている『ユマイル保守党農政勉強会』のあたりの造反者発生が怖く、夜も眠れないストレスフルな日々を過ごしていたので、これでようやく枕を高くして眠ることができたというわけだ。
関税同盟可決の翌日。
廊下を歩いていると見慣れない人物を見つけた。
と言っても友達でも何でもない。
むしろ、ただの一方的な知人というべきかもしれないが。
ミュー・フラワー陸軍中将。参謀本部作戦課長、ユマイル一有名な軍人と言ってもいい。
極右的な思想と圧倒的な成績での陸軍大学卒業と出世、そしてただでさえ十八の"少女"とも言える年齢なのに実年齢よりも幼く見える童顔風貌。
将校用の軍服よりも学生服の方が似合っている。
だが、"劣っている人間"の執念の狂気に満ち溢れた努力は何よりも恐ろしい。
優れている人間…とくにそれを自覚してしまっている人間には慢心が生まれるからだ。
失うプライドのない人間は時に規格外のことを成し遂げる。
目の前に彼女こそがその典型例だろう。
ミュー中将がここにいるのは珍しい。
半政半軍のエマリー軍代理ならともかく、軍人がこの区間に入るのはあまりない。
一応将校クラスなら入ることは許されてはいるが、そもそも用事がないから来ないといった感じだろうか。
「お困りですか。ミュー中将」
私が声をかけると、素早い動きで一歩引くと何事かと私をにらみつける。
いいや違う、私がミュー中将に気が付いて止まった時点で警戒されていたし、今彼女が動いたのは私が話しかけたからというよりも近づいてい来るという情報を基にしたのだろう。
敏感で、俊敏だ。ミュー中将は筆記試験が得意だと聞いていたが、これなら護身術も相当な成績を叩き出したんじゃないか。
小さいから猫に見えるが、可愛げがあるというよりも優秀で感心というか、あるいは脅威だな。
「どちら様ですか」
私が行政区画入場証明書を取り出そうとしたその時、
「ウォール議長?」
聞きなれた声がして思わず振り向いた。そこにいたのはエマリー軍代理だった。
「エマリー軍代理。ちょうどよかった」
手招きしてエマリー軍代理を呼んだ。
ミュー中将を見ると困惑気味で若干おびえたような顔をしている。
威圧している時は全く感じられなかったが、やっぱり動揺すると年頃の少女に見えるな。
というよりもこの状態で動揺を隠せという方が無理だろう。パニックにならなかっただけ評価したい。
上下関係を最も重視する組織である軍隊。ユマイル陸軍の事務方トップはエマリー軍代理だ。
だが、"軍最高指揮官代理"という役職からも分かる通り、シビリアンコントロールの観点からも、軍の最高指揮官は議長になっている。
つまり私は一応ユマイル陸軍の中で一番偉いことになっている。
「お初にお目にかかります、ウォール議長!!自分はミュー・フラワー陸軍中将であります!!」
ミュー中将は透き通ったいい声と、美しい敬礼を決めた。
脇の角度ヨシ、足の角度ヨシ、姿勢ヨシ。鮮やかだ。
綺麗な敬礼は一直線に見える。
だけれども
「一応、私が少し前に参謀本部を視察した時に会っているはずなんですけどね」
馬鹿め、墓穴を掘ったな。
「申し訳ありません。その時は参謀本部に赴任してきたばかりで余裕がなく、私の力不足です」
…謝罪も上出来。一部のユマイルの政治家も見習ってほしい限りだ。
「ウォール議長。うちの部下が申し訳ないです」
エマリー軍代理が謝ってくる。
「いえ。ミュー中将が迷っておられる様子だったので道案内をしようかなと思って」
「申し訳ありません…」
「いや、それは謝られることじゃないです。私から声かけたので」
エマリー軍代理がミュー中将の方を向いて
「軍最高指揮官とお会いできる極めて光栄な機会だ」
と一言いうものだから、ミュー中将はまた敬礼だ。
「そういえばミュー中将はどうしてこの行政区に」
沈黙を嫌がるように私は尋ねた。
「自分はエマリー軍代理への御用があり伺いました」
ミュー中将は気分を振り払うように答える。
「なるほど」
私は頷いて、エマリー軍代理のほうを見る。
エマリー軍代理は目を合わせてもらえず、そっぽを向いたままだ。
「参謀本部のこと?」
エマリー軍代理は不機嫌そうにつぶやいた。
「はい。この度進んでいる弾薬の貯蓄量の改善についてです」
この前の行政調整会議で決定されたことか。
「それでどうして私のところに?」
「ええ。どこの備蓄を増やすかですが、兵站課と作戦課の配置案で折り合いがつかないところがあって」
「折り合いがつかないなら、兵站課の意見を優先してください。参謀本部のルム兵站課長が備蓄の責任者です」
「ですが、私たち作戦課の案のほうが優れていると確信しています。兵站課の配置案は防衛戦ばかりに偏っています」
「その様子を見る限り、兵站課に詰め寄って揉めたのでしょう」
図星だったらしくミュー中将は視線を逸らした。
「はい」
エマリー軍代理がため息をついた。
「しかし、最高指揮官のウォール議長の公約は"大陸統一"ですよね。防衛戦ばかりでは大陸の統一はできません。私の案を聞いてくださいませんか」
ミュー中将は私に視線を送ってきた。
あれだけ揉めたのに、使えるものはなんでも使おうとする意地は嫌いじゃない。
エマリー軍代理も私のほうを見てくる。
これ、私の返答次第ってこと…。
「まあ、聞くだけ聞いたらどうだ。エマリー軍代理が多忙でなければだけれども」
「…分かりました」
「私の軍代理室が空いているのでそちらで聞きます。資料は持っていますね?」
「持っています」
エマリー軍代理頷くと歩き出した、私もエマリー軍代理に並んでついていく。
少し遅れてミュー中将が後ろから歩いてきた。
「で、ウォール議長は何をしに来られんですか?」
「ミュー中将をディナーにお誘いをしようかなと」
「今夜は参謀本部の会議がありますから難しいと思いますよ」
「…それは残念だ」
また、静かになった。沈黙に支配されるのは嫌だな。
「単に議長室もこっちなだけです」
「そうでしたね」
私は後ろにいるミュー中将に声をかけた。
「君は貴族の娘だったね。フラワー家の。どうしてわざわざ軍隊に?」
軍とは厳しくそして絶対的な階級制があり、泥臭く汚い仕事だ。
貴族と真反対の存在で多くの場合やりたがらない。
子供を養えぬような相当な没落貴族の家の出か、あるいは信念をもって自ら入隊するかのどちらかだ。
「自分は軍…とくに国民軍に未来を感じたからです。もはや貴族の時代は終わりました。今の貴族はなんとか権益を守って細々と暮らすかあるいは没落していくかの二択です」
私は思わず頷かずにはいられなかった。
「そうやって行動できるのは素晴らしいことだ。フラワー家は確か…綿花の栽培で栄えた貴族だったか」
「ええ、領民たちを働かせて。特に中世ではフェーム帝国の皇帝陛下に献上するほどだったんですよ。ただ、産業革命と工業化で綿花の需要が急拡大して資本家たちが大規模な綿花の栽培に乗り出し、結局、価格競争に敗北して淘汰されてしまいました。今は過去の資産で食いつぶしている状態です」
中世のフェーム帝国はそれはそれは大帝国だった。
中世ではネルシイ商業諸国連合もユマイル民族戦線も存在せず、フェーニング大陸はフェーム帝国によって統一・統治されていたのだから。
フェーム帝国の"フェーム"はフェーニングに由来してつけられたもので、まさしくフェーム帝国=フェーニング大陸と言っても過言ではなかった。
近世のネルシイ商業諸国連合とユマイル民族戦線の独立、第一次フェーニング大陸大戦を経て、今にいたる。
当時と比べて見るに堪えない現在のフェーム帝国とユマイル、ネルシイの貴族の没落は、まさしく権力や支配構造が絶対的ではないことを示している。
「それは大変だろうに。だが、地元の名声を利用して議員を目指す方法もあったんじゃないか?」
衰退する貴族がいるように、中世・近世でぱっとしなかった下流貴族が再び浮上してくる場合がみられる。
それは名声を利用して議員に当選し、資本家と手を組む場合だ。
地元の名家だが斜陽の貴族と成金だが急成長し国家の利権に食い込みたい資本家。
利害は一致している。
「議員になる道も考えました。しかし、自分は祖国の国防に直接貢献したいと考えていたのです。資本家も貴族も、彼らの安泰は国防という安全によって成り立っています。だから自ら志願し兵士となる道を選びました」
自ら志願したわけか。
軍人になるには資格も学歴も富もいらない。健康な身体と強靭な根性があれば誰でもなれる。
…無論そこから出世しなければ一生一兵卒だが。
そのため、軍はある意味食い扶持のない貧者のセーフティーネットになってしまっている側面がある。
実際私もハンナも軍がなければ一生虐待されていて、地獄の家庭から脱出できていなかっただろう。
外に出ても働き口なんてなくて飢え死にするだけだから。
しかし、軍はとても厳しい場所であったし、結局ずっと居たいとは思えなかった。
絶対服従の上下関係やシビリアンコントロールという名の政治的中立性の強要、さらには閉鎖的か環境がどうにも受け入れがたかった。
そのため、ハンナも諜報部に出向したのち移籍して、私も名声を経た後は政治家への道を志した。
「そうか。国防に貢献できるのは軍人だけでなく、政治家や資本家もそうだ。外交力や何よりも国力がなければ非生産的な強力な軍隊を支えることはできない。…と言っても、こんな話をミュー中将はずっと聞かされてきたんだろうな」
「そうですね」
ミュー中将がフラワー家のご令嬢なのだから、親族は嫁がせるなりあるいは議員になってほしいはずだ。そのために"国防に貢献できるのは軍人だけはない"は説得の常套句となっていたことだろう。
それを跳ね除けて軍人を志したのだから、今更私が言っても仕方がない。
「若いうち…いや年を取ってもそうだが、正解なんて誰も分からない。自分がそれを正しいと思うなら、それを選ぶしかない。ただ、いつか休みたい時がきっとやってくる。その時に周りを見渡せばいい。だから、今は好きなようにやるといい」
「でも、軍の指揮系統は必ず守りなさい」
私の言葉を言い終わった直後に、エマリー軍代理からくぎを刺された。…甘やかすなとばかりに。
…また沈黙に襲われる。何か話すかあ…。
「今が近代って不思議ですよね。本来、今は現代というべきでしょうに」
私があれこれ思考しているとエマリー軍代理が話題を出してくれた。
「歴史学者曰く栄光ある古代にはたどり着いていないんだと、だから今は近代になるそうだ。私から見ると彼らは古代を過大評価しているように見えるけどな。人類はもう古代と比べ物にならないほど進歩している」
「でも、今より明日のほうが豊かになるって希望にあふれているではありませんか。いい言葉ですよ」
なるほど。そういうとらえ方もできるか。
「私も同意だ。今がつらくても貧しくても希望を持って頑張れる人がいる。それは今日より明日がもっといい日になると信じているからだ」
「ミュー中将はどう思う?」
私が彼女に問いかけると、彼女は真っすぐと答える。
「そのためには偉大な勝利を勝ち取り続けなければなりませんね」
目が生き生きとしている。…若いな、これが十代か。
人間、一敗もしないことなどありえない。偉大な英雄たちもどこかで負けることが必ずあった。
だけれども、それは自分で経験しない限り理解できないだろう。
老人面して"人生"について語るのは止めよう。意識しておかないと、やってしまいそうで怖い。
「では、議長室はこっちなので」
私が二人に声をかける。
「お疲れ様です。ウォール議長」
「ありがとうございました」
ミュー中将は深々と敬礼してくれた。
「…いや、こちらこそありがとう。話せて嬉しかったよ、ミュー中将。また機会があれば是非」