審議
議場は騒がしい。うるさい。私はこういうのは苦手だ。
静かなところで一人考え事をするほうが私は好きなのだ。だが、仕事なのだから仕方ない。
何人かの与党議員の申し分ない程度の私への賛辞と条約の優位性を説明した後、次は野党・労働党の番になる。
なんとなく何か来るだろうと予想はしていたが、案の定予想通りだった。
労働党がありったけの批判と感情論へと訴え、最後には私への人格攻撃で締められる。
「この条約は労働者の雇用を脅かします!!ウォール議長の大陸の統一などという帝国主義のせいで、迷惑を被るのは我々庶民なのです!!
政府のやるべきことは社会保障を充実させ、子育て支援と退職年金の拡充であり、人への投資です。だが、今の政治は自分たちの既得権益を守ることばかりを考えていて、何も!!なんにも!!政府は庶民のことを考えていません!
政府の腐敗はトップダウンで行われています。言うまでもなく組織の腐敗の諸悪の根源はウォール・グリーン議長なのです。
彼の教養のなく利己的で他人を切り捨てるその思想がこの国家を破壊し国民生活を無茶苦茶にしています。我々は近代になってもいまだに"人権"を理解できていない、愚かな保守党の連中に"啓蒙"しなければならないのです!!
彼は狂ったナショナリズムを煽る、戦争屋の独裁者です!!」
議会は激しいヤジとあるいは野党議員たちの演説への賛辞で騒然としていた。
肝心の演説の声が聞こえないほどである。
音声と音声が反響するものだから結局誰が何を言っているのかよく分からなくて、彼らの声が報われることはなかった。
反論したいことは山ほどあった。
だけれども、私は議長である。
何よりもここで野次を飛ばしたところで野党の思うつぼで、私は野次を飛ばしている連中と同レベルになりたくない。
だからグッと気持ちをこらえて、私は目をつむった。
冷静に彼らの言葉に耳を傾けると、理解はできる。現に労働党へ票を入れた国民はたくさんいる。
だからこうして彼らは議場にいるのだ。
彼らの言うことはある種庶民…特に明日が分からない彼らの本音なのかもしれない。
保守党の主な支持層は貴族や資本家や軍やあるいは豊かな労働者なのだから、私は貧しい人々のために働いているつもりでも、支持層は真逆でとても複雑な気持ちになる。
私は豊かな社会を作ることこそが分配の原資を作って、貧しい人々が報われると信じて今までやってきたつもりだが、それを貧しい人々に分かってくれる日が来るのだろうか。
私なりに説明をしてきたつもりだが、左派の彼らからすれば戦争屋の私が戦争の口実を捻りだしているようにしか見えないのだろう。
野党の演説…私への批判と中傷を終えると、次は私の番が回ってきた。
演説の内容は考えてきたつもりだ。私の思っていることをそのまま言おう。
どうせ今までだってそうやってきたじゃないか、自分のやり方が正しいって、いつも悩んでも最終的にそれを私は信じてきた。
ゆっくり議長席から立ち上がり演壇へと向かう。
野党議員の演説を終えてからうるさかった雑音は指数関数的に低下して、私が演壇に立つ頃には静まり返っていた。皆何も言わず無表情にこちらを見ていた。
私がこれから何を言いどうするのかこの場にいる誰もがそれを気にしていた。
私は深呼吸をつくと関税同盟の演説を始めた。
「私の公約の一つである大陸の統一…それの第一歩として経済の統合たる今回の"関税同盟"はユマイルに強力な経済的恩恵と豊かさをもたらすでしょう。
特に我がユマイルが強い国際競争力を持つ大型機械部品では多くが関税を撤廃・大幅な減税が行われ、ネルシイという巨大マーケットへの輸出増加で、GDPを押し上げることが期待されています。
逆に農業は政府による一時的な買い取りと補助金の交付により、軟着陸を促し、我が国の農業の生産性を高めるべく様々な努力を行う予定です。
先ほどの労働党の方々の演説でありましたが、経済の成長がなければ再分配などありえません、原資がないのですから。我がユマイル民族戦線は国債を発行できるのだから、それをやってしまうことはできるかもしれません。
結局国民が望んでいるのは、偉大な勝利でも持続可能な成長でもなく、モルヒネ的な快楽なのではないかと思ってしまうこともあります。
しかしながら、別に国債だから返済しなくていいわけではない。利子があり、数年後には元本を返す義務が政府に発生します。例えば今一億YC借りたとして、十年後に一億YCを返せるとは思えない。もし返せるとしたならば、それは一億YC分経済が伸び税収が伸びていることが必須なのです。
結局豊かな社会や経済の成長からは逃れられません。ユマイル単体でそれを実現できるとは思えない。大陸統一という巨大マーケットの誕生こそが経済を伸ばし国民所得を増やし、税収増による社会保障を充実させる唯一の解法なのです!!」
私は野次に負けないよう精一杯の声と必死さをもって言葉に出した。
思わず汗をかくほどであって、まるで初等学校にいた頃にしたかけっこの後のように思えた。
保守党の人たちは大きな拍手を送ってくれて、野党議員は野次の音量を強めた。
渦巻のように反響して議場には上昇気流が起こっているかのようだった。
私は余韻のようにその場に立ち尽くす。
これだけの雑音と熱気を含んでいるのに、どこか現実離れしているような感じがして、私は夢の原風景にいる気分になる。
私は議長になってから何度かこの場に立ち、演説しているがやはりまだ慣れていないのかもしれない。
私が議長席に戻ると、次に待っているのが質疑応答だ。
…質問というよりも学級会の吊し上げを想像したほうが分かりやすいかもしれない。
野党はあらを探し、激しく指摘し議長から失言を誘い出す。失言が出れば、そこの傍聴席で神妙な顔をする記者たちが嬉々として報道するわけだ。
与党議員の場合、自分の支持層の権益を害するような部分を指摘する場合が多い。
まず初めは保守党からだ。
ザーミッシュ・レイル議員、男で36歳。農業の盛んな地域からの選出で、『ユマイル保守党農政勉強会』のメンバーだ。
私がわざわざ陳情しに行った一人でもある。が、私が若いからだろうか、随分と私の話を興味なさげに聞いていた。
最も造反しそうな与党議員の一人である。
「今回の関税同盟によってユマイルの農業が脅かされ、ネルシイの安く粗悪な農作物が入ってくるのは自明である。
議長は補助金や買い取りを行うといっていたが、そもそも論我が国の農業を脅かす関税同盟を参加するべきではなかったのでないか。
農業は国の基本であり、ユマイルの農業は神に与えたもう聖なるものである。それを工業品の目先の利益のために関税同盟を作るとは何事か。
議長は農業を守ると言っていたのであるなら、補助金をどのような規模で想定しているのか。また、生産性の向上というが農家の雇用が破壊されるような心配はないのか」
随分とぼろっかすに言われた、彼は本当に与党議員なのだろうか。
おそらく彼自身も地元の支持者の顔が浮かんで怖くてたまらないのだろう。
感情を表に出さぬよう、また演壇に向かう。
「先ほど言ったように政府は我がユマイル民族戦線の農作物が過剰に被害を受けぬように、最大限防衛策を取っていきます。
それは決して政府が農業を見捨てたわけではないという証拠であります。具体的には関税発行直後に三十六億YC規模の補助金を投下します。これはユマイル民族戦線の農作物市場規模の三割に匹敵するものであり、対症療法としては十分であると確信しています。
また、生産性の向上に関しても"ユマイル未来農業基金"の設立などによる補助金を別途行います。農地拡大や肥料・品種改良などの研究開発により、労働時間を削減させ時間当たりの農家の収入は改善するでしょう。
さらに関税が下がるのはネルシイ側も同じ、ネルシイにユマイルの農作物を輸出できるチャンスでもあります。
この関税同盟がユマイルの農業に悪影響を与えるというのは偏った論調です」
半分嘘で半分本当だ。誰も未来のことはわからない。
私は大陸の統一という夢のために進んでいるから、関税同盟の発行へと進んでいる。
が、農家の人々からすれば変化を強いるものであり害悪ととらえる人たちも多いだろう。
だが、私の今言ったことが農業の権益者たちを丸め込むための嘘であるかと言われるとそうでもない。
実際、この関税同盟をチャンスに改革や輸出へと挑戦したり、あるいは個人農家から資本主義の力を 借りて農業の企業化・集団化を推し進め生産性を向上させる農家がいるかもしれない。
そうなれば一部人たちにとっては悪影響かもしれないが、ユマイル社会全体で見ればいい影響もあるのかもしれない。
議長席に戻ったのも束の間また次の質問が来る。
当然だろう、この議場において私に関税同盟の質問をぶつけたくない議員なんて存在しないだろうに。
なぜなら、ここにいる人間はみんな自分がこの国で一番だと思っているのだから。
また保守党の議員だ。
「今回の関税同盟で我がユマイル民族戦線の大手三社がほぼ独占している鉄道部品のユマイル・ネルシイ間での関税の軽減が決まります。
しかしながらネルシイ商業諸国連合は産学官連携のもと、国策民間企業"ネルシイ・モビリティ・カンパニー"を作り鉄道部品の国産化を推し進めています。今後ネルシイ商業諸国連合でも鉄道の普及率が向上すると思われ、その需要を背景として大幅に競争力を拡大する恐れがあります。
議長は現在の我がユマイルの優位性をどう守り、またどのようにネルシイ商業諸国連合へと輸出を拡大していくつもりなのか、お聞かせ願いたい」
「関税同盟によって鉄道部品の大幅な関税緩和が出来たことはユマイル民族戦線にとって大きな功績であり、経済的恩恵をもたらすことでしょう。
現在ユマイル民族戦線が鉄道部品で大きなシェアを獲得しているのはユマイルが早い段階で鉄道の普及に力を入れたからであり、ユマイルの鉄道需要の頭打ちが懸念されていることは事実です。
そんな中で我がユマイルよりも人口が多く領土も大きいネルシイが鉄道の普及に乗り出せば、鉄道部品の逆転が懸念されます。
しかしながら、我がユマイルの大手三社の技術的優位性が存在し、安全性・品質・コスト面からも凌駕しています。
鉄道部品各社は今回の関税同盟を好機と捉え、ネルシイ側に商談を持ち掛けるでしょう。ネルシイ側が急速に膨張する自国の鉄道部品需要を、すべて国産で賄えるとは思えません。
また、関税同盟には相互国の特許権の尊重も定められているため、今後とも我が国の収益の根源たる重要な技術を官民挙げて保護してまいります」
一つ一つの質問を官僚が考えた答弁文を元に答えていく。
傍聴席の記者たちと書記による議事録によって、私の国家指導者としての答弁は後世に残されるだろう。
様々な立場から聞かれる質問はこの国に一億近い人口のいる何よりの証拠であり、私だけでは国家が成り立たないことを示している。
私は正しいことをやっているつもりだ。
だが、この国の誰かから見れば私のやり方は間違っていて国益を害しているのだろうか。