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帰還不能点

「で、保守党の議員方に陳情をしてきたと…」


 私の議員宿舎の部屋に当たり前のように居座る、ハンナが呟いた。

 私もハンナも仕事を終え一日の余韻に浸っている、夜のこと。

 昨日の会食でクロス党首から陳情したほうがいいというご助言をいただけたので、今日はまるまる一日保守党の先生方を訪ねては説得に回った。

 議長が来たと怖気づいく議員もいれば、若いからとばかりに無下に扱ってくる重鎮もいて、あるいは紳士的な態度をとる良い議員もいた。


 彼らに共通しているのは、最低でも建前では党やあるいは議長を敬い忠誠を誓っている点だ。

 クロス党首や議長である私の決定に表立って反対を口にする議員は一人もいなかった。

 無礼な態度をとっても、決して賛成というていは崩さない。


「そうだ。まあ皆様そろって"賛成"だとさ。"党の躍進のため団結が必要"だと」

 それを聞くとハンナは笑う。

「みんなそう言うわよ。政権末期でもあるまい、表立ってトップに異を唱える議員がいるとは思えない」

「…まあ陳情した甲斐があることを祈ろう。造反者がでないことのお祈りタイムだ」

「そういえばウォール議長も演説なさるんですって?関税同盟の条約の時」

 ハンナはわざとらしく微笑んで聞いてきた。

 私は彼女にその話をしていないはずだが。


「どうしてそれを?」

「野党…は毎度のことだけど、今回与党議員からも"ウォールを出せ"って言われていたみたいじゃない。この前の党の会合でクロス党首が"ウォール議長を議会で演説させるから造反するな"って釘さしていたそうよ」

「…駄々洩れじゃないか」

「漏らす輩は必ずいるもの。持ちつ持たれつってわけね」

 ハンナが嬉しそうにつぶやく。


「私はちゃんとハンナと持ちつ持たれつできているだろうか」

「幼馴染特権よ」

 ハンナが他意のない笑みをするものだから、私の胸はきゅっと締め付けられて、複雑なあるいはどうにもならない感情が湧き上がってくる。

「ハンナも、私についてきたくないのならいつでもやめていい。すべてを投げ捨てても構わない」

「え?」


 ハンナから笑顔が消えて、驚いてあるいは不安そうな顔をしてこちらを見てきた。

 それがハンナらしくない年相応の不安な乙女のような顔をしていて、そんな顔をさせてしまった罪悪感から私はそっぽを向く。

「ハンナはもう"自由"を手に入れている。君には社会的地位も富もあって、もう大人になった。諜報長官をやめたって人間らしく生きられる。だから、私の大陸の統一という狂った夢に付き合わされたくないのなら、君は今すぐやめるべきだ。私は君の幸せを阻害したくない」

 私がぼそぼそというと、ふと手に何か暖かく柔らかい感覚が当たって驚いてハンナのほうを見た。


 ハンナが私の手を握っていた。真っすぐな瞳をぶつけて。

「私は、ウォールと一緒にいたいこれからも、これまでも」

 静かに動く唇から私は目を離せなかった。

 25にもなったのに、思春期を迎えたばかりの少年のようにバクバクと心臓が鳴りやまなくて、大人が何をやっているんだと情けない気持ちになる。

 黙る私を尻目にハンナが言葉を紡いだ。

「私、ウォールといられるのが幸せなの」

 理性が吹っ飛びそうになる。

 愛しくいじらしくて、まさしく今のハンナは女性でいて、私の心を揺さぶられるには十分だった。

 今までのハンナとの思い出が呼び覚まされる。

 男としては何もかも壊してしまって、なんのしがらみからも解放されて、ただただハンナをそこにあるベッドへ押し倒してしまいたかった。


 だが、私が思わず伸ばした手は決してハンナの身体へと触れずにそこにあった。

 今ここでハンナを抱いてしまったら、きっと二度と大陸の統一なんてできなくなる。

 すべてを放棄してハンナとともに二人でひっそりと生活したい、愛し合いたい、そういった欲求が出てきてしまうだろう。


 もう大陸の統一なんて言い出せなくなる。

 私は崇高な理想と尤もらしい人権思想とそして自分が夢描く国家像のため、議長にいるのだから。

 ここで"一人の男"になってしまえば、汚れなきユマイルの指導者にも、あるいは自己の野望のために国家を私物化したペテン師にもなれる自信がなくなってしまう。


 けれども、それでは駄目なんだ。

 私たちは幸せになれるかもしれないが、豊かな社会を作らなければ、きっと私たちの貧困や悲しみの連鎖は決して終わらない。

 私たちは"生存者"なんだ。たまたま上手くいっただけ。

 きっと上手くいかなかった人も沢山いる。これからの未来でも沢山、貧しい人々の屍が積みあがるだろうに、それらを無視して私たちだけが幸せになっていいはずがない。


 私は伸ばした手を下した。

「ありがとう。これからも諜報長官として大陸の統一のために働いてくれると…うれしい。ハンナだけが頼りだ」

 私の言葉にハンナは寂しそうに笑って答えてくれた。


 私は選択肢を間違えたのだろうか、ただ寂しい後悔と冷たい風が心の中で吹いて、私は一抹の徒労感に襲われた。


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