旅の理由
荷車は馬にひかれて進んでいく。速度は人間が軽くジョギングしている程度だ。乗り心地はお世辞にもいいとは言えない。
ガンザたちは相変わらず、俺とフィルにじろじろと不躾な視線を送っては、にやにや不快な笑みを浮かべていた。
フィルはすっかり委縮してしまって、俯いていた。
まいったな、と俺はため息をついた。
刀でいきなり襲われないだけ、マシな状況ではあるが……こんな調子でエルドまで一緒なんて、気がめいってしまう。
どうもこの世界では男の立場は低いらしい。
馬車は進み続けてやがて日が高く登った。
「サカタさん、お腹空いてませんか?」
フィルがこそこそと言った。
「ん? ああそういやもうそろそろ昼か。腹減ったな」
「私、お弁当作ってきたんです」
「まじか!」
フィルは荷物から小さなバスケットを取り出した。包みを解くと、パンが数切れとチーズやハムなどの食事が収まっている。
「おお! 美味そうだな」
「ふふ、パンは私が焼いたんですよ。ちょっと自信作です」
すると、俺とフィルのやりとりを聞いていたガンザが、突然大声で笑い出した。
「あっはっはっ! お前、男の癖にパンなんか焼くのか」
「そ、そうですけど」
「なんて女々しい奴だ。お前さては、本当は女だな? ちょっとパンツを脱いで見せてみろ」
「な、なんてことを……!」
「冗談さ。あはははは!」
フィルは顔を真っ赤にして、黙りこくってしまった。俺は、そんなフィルを眺めながら、怒るよりも先に、ふと思った。
「フィル、どうして何も言い返さないんだ」
「えっ、それは……。だって私は弱いし、こんな体の大きな女の人には敵わないですから」
フィルは涙目になって、きっと俺を睨んだ。
「サカタさんこそ、どうして私を庇ってくれないんですか」
「俺がフィルを庇うのは簡単だ。でもそれじゃあ、根本的な解決になってない」
フィルはすっかり感情的になっている。喧嘩腰で食って掛かってきた。
「解決? 解決っていったいなんの解決です」
俺は静かに息をつき、諭すように、ゆっくりと告げた。
「フィル、お前は今、何をしてるんだ」
「馬車に乗っているんですよ。それぐらいわかります」
「違う。お前は今日、冒険に出たんだよ。ずっと夢だった旅を今日、始めたんだ」
「…………」
「それなのに、臆病なままじゃいられないだろう」
俺は、フィルはこのままじゃ駄目だ、と思った。偉そうなものいいだが、こんなところで女に好き勝手言われているようではいけない。
恐らく、これからの俺たちは、時には命をかけるような勇気だって必要になるだろう。
そんなとき、臆病な気持ちをもっていたら、きっとどこにも進めない。
フィルはまだ納得いかないように、俺を怒った顔で睨んでいる。
「偉そうに。そもそもサカタさんは、どうして私と一緒に旅に出たんです。サカタさんの旅の目的はなんですか?」
フィルの問いに、俺は明確な答えを持っていた。
俺は昨晩、俺がこの世界にやってきた意味というものを、自分なりに考え続けた。そして、これからなにを成し遂げなければいけないのかを。
今、俺がフィルとともに旅に出たのは、その思考の結果なのだが。
俺は、フィルの問いに何も答えなかった。
ただじっと、彼の瞳を見つめた。
ガンザたちがまた俺たちを笑う。
「おいおい、夫婦喧嘩はよそでやってくれ」
馬車の外から、いつの間にかぽつぽつと雨音が届いてきていた。
☆
酷い土砂降りだった。俺たちは屋根付きの荷台の中にいるのに、何故かすっかり湿っていた。
体が濡れているせいか随分、冷える。
「親爺! 毛布かなにかねぇのか!」
イラついた様子のガンザが立ち上がって、馬をひくじいさんを怒鳴る。じいさんはふがふがと何か言って、首を横にふった。
ガンザは諦めてまたどっかと腰を下ろす。
「ちっ、ついてねぇぜ!」
俺は隣に座るフィルの様子を窺った。フィルは痩せているから、人一倍寒そうだ。体がすっかり震えている。
「フィル、俺の上着を貸してやる」
「いいです着ません。そんなことしたらまたあの人たちに笑われますから」
フィルは俺の方を見ようともしないで言った。すっかりへそを曲げてしまっている。
そのうち、馬車は止まった。
「おい親爺! どうした!」
ガンザが怒って荷台から顔を出した。仲間たちがそれに続く。
「ちくしょう、橋が落ちてやがる!」
ガンザの怒鳴り声に俺も外の様子を窺った。馬車は、崖を目の前にして止まってしまっていた。その先には、つり橋がかかっている。だが、この土砂降りの影響か、つり橋の片側が切れてしまって、橋は斜めにぶら下がっているだけだった。
これでは橋として全く機能していない。
「橋が復旧するまで待ちましょう」
じいさんのその提案を、ガンザは怒り狂って拒否した。
「俺たちは急いでいるんだぜ! この崖を回り込めば峡谷に下りれるはずだ。そこから川沿いに上がっていけばエルドに続く街道に出られる。さっさと馬車を出せ!」
ガンザの指示に、じいさんはびっくりしていやいやと手を振った。
「その道は危険だよ。雨も降っているし、川が氾濫したら全員流されちまう」
「いいから行け!」
ガンザは唾をまき散らしながら怒鳴って、しまいには背中の刀に手をかけた。じいさんは仰天して、あわてて手綱を引くと、馬をまた走らせた。
車内には緊迫した雰囲気が漂う。
フィルが、きゅっと俺の袖を掴んだ。すっかり怯えた顔が、俺の顔を覗き込んでいる。今にも泣きだしそうだった。
「さ、サカタさん。どうしよう」
「さあ、どうしようか」
「どうしようかって……馬車を降りた方がいいんじゃないでしょうか」
「そう思うなら、そうしたらいい。俺はこのまま馬車に乗って、峡谷に向かうぜ」
「そ、そんな」
フィルは青ざめた顔で黙った。
俺は、そんなフィルの顔をじっと見つめた。
そして出し抜けに言う。
「フィル。俺はエンナってやつをぶっ倒そうと思ってる。それが俺の旅の目的だ」
フィルは俺の言葉に、恐ろしい言葉を聞いたかのように、はっと息をのんだ。
俺はフィルの返事を待たず、続ける。
「安全な旅をするためにここにいるんじゃない。それは、フィルも同じだろう?」
やがて、馬車は緩やかな斜面から、崖を下っていき、峡谷に行きついた。
ガンザの仲間が、荷台から首を出して叫ぶ。
「――崩落だ!」
峡谷では、巨大な岩石がいくつも重なって、俺たちの行く手を塞いでいた。
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