話し合い
そのとき、この家のドアがノックされた。振り返ると、ドアにもたれかかっていたシイナは、面倒くさそうにそこからどいた。
ドアの向こうからか細い子供の声が届く。
「先生、今いい?」
「大丈夫だよ、おいで」
エリがそう声をかけると、遠慮がちにドアが開かれた。外から顔を出したのは、まだ十歳にも満たなそうな、小さな女の子だった。中にいる俺と目が合うと、びっくりした様子で顔を引っ込める。
「大丈夫、この人たちはお客さんだよ。私のそばにおいで。また、お腹が気持ち悪いの?」
エリに尋ねられて、その子は小さく頷いた。恐る恐る部屋の中に入ってきて、とことこ小走りでエリの傍に近寄った。
エリはその子の小さな手を取る。
「じゃあ、また元気になる魔法をかけてあげよう」
途端、その子の手を握るエリの手が光り始めた。それは目を鋭く突き刺すような眩い光とは違う、暖かなろうそくの火のような明かりだった。
ものの数秒もしないうちに、その子は笑顔になるのだった。
「ありがとう先生!」
そうして元気よく駆け出し、家の外に飛び出していった。
「やはり貴様も魔法使いだったか」
シイナの、どこか糾弾するような物言いに、エリは肩を竦めて見せた。
「そう。これでもバンダで領主様に仕えていたエリートだったのさ。だがつまらないミスで失墜してね。今はこの町で医者の真似事のようなことをしている。あの子にやってみせたのはただ、血行を良くするマッサージのようなものだ。あれぐらいでも、ちょっとした体調不良には十分な効果があるものさ」
「今の子は?」
俺がそう尋ねたのはある違和感を覚えたからだった。今は、すっかり夜も更けている。夜中と言うほ遅くはない。それでも、子供が一人で出歩くような時間ではない。だというのに今の子は、親の姿もなく一人で、エリの家にやってきていた。
エリは何てことのないように言った。
「あの子はこの町で保護している孤児だ。数年前まで、私が町長だったときに、エルドのギルドから引き取った。そんな子がこの町にはたくさんいるよ」
「冒険者孤児、というやつか」
シイナの呟きに、今度はエリが、嫌味のように返した。
「さすが城主様。御存じでしたか」
「ふん。ギルドに孤児はつきものだ。冒険に出た切り帰ってこない馬鹿はざらにいる」
冒険者孤児。初めて聞く言葉だった。だがすぐに、それがどういうことを意味しているのか理解できた。ギルドで冒険者登録をし、クエストを受注する。それはどれだけ難易度の低いクエストであっても、命を落とす可能性が常にあるのだから。
誰もが金のために働かなければいけない。冒険者の中には、好き好んで子供を置き去りにしたかったような人はいないはずだ。その悔しさを思って、俺はやるせない気持ちになる。
「だから、あの子たちのためにもこのままクミを好き放題させるつもりはない」
「でも、具体的にどうするつもりなんだ」
俺の問いに、エリはにやりと笑った。
「話し合うんだよ。それ以外に方法はないだろう?」
不毛、という言葉が俺の頭に浮かんだ。クミと話し合ったところで、到底まともな話し合いになるとは思えない。
俺がいくつも反対意見を思い浮かべているうち、エリはもうそれきり、クミについて何も話さなくなってしまった。
しまいには追い出すようにこう言うのだ。
「宿を紹介してあげるから、今夜はそちらに泊ればいい」
俺はエリのその態度に、妙なものを感じる。だが、それがどういう種類の妙なものなのか、さっぱりわからないのだった。
☆
フィルはそのまま、エリの家に寝かせていていい、とのことだった。
俺とシイナはエリの家を出た後、町の宿に向かった。エリの名前を出せば、少し優遇してくれるという。
本当はもう少し歓迎してあげたいんだけど、とエリは申し訳なさそうに付け加えた。
クミが毎晩、祭りを要求するせいで、この町は困窮しているのだという。エンナと遠縁だというクミの噂はバンダの方面によく広がっているらしく、町を訪れる客人の数もすっかり減ったとのことだ。
俺はもやもやしたものを感じながら、夜道を歩いた。
ふと、独り言を呟く。
「やっぱりこのまま、ほっとくわけにはいかねぇな」
エリは、クミと話し合いを続けると言っていた。しかし、こちらの意見が受け入れられたことは一度もないらしい。しまいにはエリは、雑用役という不名誉な役職を押し付けられてしまったという。
クミは明らかに、話し合いが通用する相手ではない。
俺は、この町の人たちが陥っている状況を知った今、この町をただ素通りすることはできないと思っていた。
しかし……。
俺は今、大問題を抱えている。
男ポイントが0になってしまったせいで、スキル【男様が】使えないのだ!
こんな状態でクミに戦いを挑んだところで、返り討ちに合うこと必至だろう。
だが……。
俺は恐る恐る、振り返った。
俺の背後を歩いていたシイナと目が合う。
「どうした」
「あのさシイナさん、お願いがあるんだけど……」
「やだね」
シイナは無慈悲にもきっぱりとそう断った。
「まだ何も言ってないだろう!」
「言わなくてもわかる。クミを倒せって言いたいんだろ? 確かに今のお前はまともに戦えないからな。だが、私は無益な戦いはしない主義だ。自分でなんとかしろ」
シイナの冷たい物言いに、思わず俺はかちんとくる。
「おいおい、エリの話を聞いて何も思わなかったのかよ」
「思わんね。私は悪党だからな」
「ケチ! 俺のお母さんより八歳しか年下じゃない癖に!」
「それはどういう意味だこらあああああああ!」
ふと、俺は忘れ物をしていることに気づいた。
「いっけね、フィルの靴を脱がしてやるの忘れてた」
フィルは靴を履いたまま眠ると、どういうわけか夜中にうなされて暴れだすのだ。一緒に旅をしていて、フィルのこの悪癖に気づいた。
このままではエリに変な迷惑をかけかねない。
「ちょっとエリの家に戻ってくる。シイナは先に宿に行ってろよ」
「ほざけ。私も一緒に戻る。私と別の宿に泊まろうとしてもそうはいかないからな」
「いやそんなつもりないし……どうしてそんなに一緒の宿に泊まりたがってるんだよ怖いな……」
二人そろって、踵を返し来た道を戻る。
少し歩いた先で、妙なものを見つけた。
「ん? あれはエリか?」
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