おあいこ
俺は何が起こったのかよく、わからなかった。唇には柔らかな感触。怪我の痛みを堪えているのか、荒い鼻息が俺の鼻先にかかった。
目の前には、真剣な表情で目を閉じるシイナ。
間違いなく俺は今、キスをしている。なんで?
恥ずかしいとか嬉しいとか、そんなことを考える余裕もなかった。ただ俺は、この行動の理由がわからなくて呆然としていた。
――やがて俺は、全身の力が抜けていくのを感じた。おや? と思ったときにはもう手遅れだった。俺の体はもう全く身動きもとれなくなって、瓦礫の上にどさりと倒れた。
「こ、これは」
虫のように呻く俺を、シイナは悠然と立ち上がって、見下ろした。
その瞳に射貫かれて、俺はやっと、自分がとんでもない間違いを犯したことに気づく。
「まさか本当に、馬鹿正直に男ポイントを奪われるなんてな。普段は手のひらから【ドレイン】を発動させるんだが、そんな体力は残っていなくてね。唇から失礼させてもらったよ」
皮肉たっぷりにシイナはにやりと笑った。その邪悪な笑みは、シイナが完全に回復したことを告げていた。
対して俺は、男ポイントを奪われて、まな板の上の鯉である。
形勢逆転、という言葉が俺の頭のなかに浮かんだ。考えてみれば当たり前である。男ポイントを俺から奪って回復したシイナが、俺を襲わない、という保証は一切、なかったのだから。
「さて……」
シイナはしゃがみ込むと、無様に倒れる俺の顔を覗き込んだ。俺は目だけを動かしてシイナを見ることしかできない。
「どうしてやろうか? 散々、痛めつけてくれたな」
シイナの目に険しい色が浮かぶ。彼女のまとう空気がどんどん、殺意を帯びていく。
俺はしかし……
こんな状態でも、全く後悔はなかった。
そっと目を閉じる。
「殺したかったらそうしてくれ。俺はそれだけのことをした」
本心だった。俺がシイナにしたことは到底、許されることじゃない。俺は彼女を蹂躙した。誇り高い彼女を、服従させた。ただ、自分の欲求を発散させるためだけに、そうしたのだ!
シイナはふん、と鼻で笑った。
「先刻とはすっかり人が変わったな。お前のスキルはやはり、二重人格がベースになっているのか……?」
「さあね、実は自分でもよくわかってない。俺はこのスキルを使いこなせてないんだ。だから、また暴走しないとも限らない。俺が身動き取れないうちに、さくっとやっちまってくれ」
「そうか、それでは遠慮なく」
シイナは立ち上がった。俺はゆっくり鼻から息を吸って、肺を新鮮な空気で満たした。これが人生で最後の呼吸だ。じっくり味わおうと思った。
きっとシイナは一撃で俺を即死させるだろう。俺の様に、相手をわざと痛めつけるような趣味はないはずだ。
俺はシイナの一撃を待った。
どかん! 頭に衝撃がくる。痛い。頭を拳でぶん殴られたみたいだ。すごく痛い。きっとたんこぶができるだろう。それぐらい痛い。
しかしそれ以上の攻撃は、どれだけ待っても来なかった。
不思議に思って、俺は目を開けた。
「ん……? どうした、これだけか?」
すると、そこにはもうシイナの姿はなかった。
やっぱり俺は、何が起こったのかわからなくなる。混乱状態だ。
やがて、たっぷり時間が経ってから、気づく。
シイナは俺を殺さなかったのだと。
どうしてシイナがその判断をしたのか、俺にはわからない。
だが……。
「――へっ。ひょっとして、これでおあいこ……ってことか?」
俺の独り言は、瓦礫の山に落ちて誰にも届かなかった。
☆
――首都。
男四天王の一人、クロフォードは、絢爛豪華な自室で、水晶を眺めていた。クロフォードはまだ二十歳を過ぎたばかりの美青年だ。街を歩けばどんな女性も、彼に目を奪われるだろう。
「ふふ……」
怪しい手つきで水晶を撫でる。
この水晶は、魔力によってエルドにあるシイナの城と繋がっている。こちらが見たいと思ったときに、向こうの様子が自由に覗ける。ただし、見られるのは向こうの水晶が置いてある範囲に留まる。
だからかシイナは、クロフォードと繋がった水晶を、一室に閉じ込めて必要なとき以外、その部屋に訪れなかった。
どうも彼女は、クロフォードの魂胆に気づいている。
つまり、シイナの苦労している様子をちくいち確認したい、というクロフォードの歪んだ嗜虐趣味を。
クロフォードは一人でくつくつと笑った。
「プライドの高いお嬢様だ。……随分、私よりも年上だがね」
水晶をいつ覗いても、誰もいない、閑散とした室内が映るだけだった。
昨日までは……。
今、水晶の中には荒廃した光景が広がっていた。城は半壊し、瓦礫が山となって積みあがっている。再建するのは不可能なほど、城は壊されている。兵士の姿も、ベルルの姿もない。
そして肝心の、シイナの姿もどこにもない。
夜空にぽっかりと大穴の様に浮かぶ月だけが、周囲を照らしていた。
この光景はつまり、シイナが倒された、ということを示している。
――クロフォードはこらえきれなくなって、大声で笑った。
「まさかエルドの城が陥落するとは! シイナ様は本当に、私を楽しませてくれる」
クロフォードはシイナが首都を追い出された日のことを、克明に覚えている。あのときのシイナの表情は、傑作だった。プライドの高い彼女が、姉によって都落ちを強制させられる。屈辱と悲痛に入り混じったあのシイナの顔!
願うことならこの水晶が、この陥落した城を前に、呆然と立ち尽くすシイナの姿をとらえてくれないか、とクロフォードは真剣に願った。
しかし……。
「一体誰が、何の目的でこんなことを……?」
クロフォードは、シイナを痛めつけたやつがいるかもしれない、という可能性を思った。
そしてまた、独り言を呟く。
「ああ、シイナ様を屈服させるのは私の願いだったのに……私からその楽しみを奪った罪は、万死に値する」
クロフォードが水晶を撫でるのをやめると、水晶は一瞬で、粉々に砕け散った。
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