もとからあるもの
嘘だ。
リルはすぐに父の思惑に気づいた。
ラールは嘘をついている。彼がエルドに潜入したスパイだなんて、そんなことはあり得ない。リルは生まれてからずっと、父と一緒にいた。ラールは心の底から、善良な人なのだ。
ふいにリルは、幼いころのことを思い出した。
それは、母が病気で亡くなってしまった日の夜のこと。ラールはリルにこう言った。
――お前は私の宝物だよ。大切な娘だ。だから、命に代えてでもずっと、お前を守ってあげる……。
そうだ今、ラールは自分の大切な娘を守ろうとしている。
俺はスパイだ、と自ら嘘の自白をすることで、もうベルルの邪魔をするな、とリルに伝えているのだ。
このままベルルの邪魔をし続けたら、こちらの身まで危うくなる。
ラールの必死の目が、リルにこう訴えている。
もういい、さっさとここから立ち去れ。そして逃げるんだ!
「けひひ……白状しおったな。自白させる手間が省けたわい」
ベルルの醜い含み笑いを聞きながら、リルは愕然としてもう、その場から動けなくなった。
今、もう父を助ける手立てはない。
「そんな、お父さん……」
気が遠くなるような絶望に襲われる。気を抜けば、ふっと気を失ってしまいそうだった。
「リルさん!」
フィルが、後ろから駆けてきてリルを支えた。フィルも、ラールの考えていることに気が付いているようだった。小声で、リルに耳打ちする。
「落ち着いて。お父さんの考えていることがわかるでしょう。とにかくここから離れましょう。人が集まってきました……」
フィルはそのままリルを脇に抱え上げた。そして、倒れたサカタの足を掴むと、ずるずる引きずって、ベルルから離れた。
リルは離れていく父の姿に向かって、力なく手を伸ばした。
「離してフィル……お父さんを置いていかないで」
「できません。あなただって気づいているはずです。ラールさんは私たちを助けてくれたんですよ。だから、早く……」
いつの間にか、ラールたちを取り巻くように、人だかりができていた。フィルは、その人だかりを縫うようにして、騒ぎの中心から離れていく。
集まってきた街の人間たちが、拘束されているラールに向かって、口々に罵倒を投げた。
「この恥知らずめ! シイナ様のお考えを利用して、このエルドに忍び込みやがったのか!」
「男の癖に料理人をやっているなんて、おかしいと思ったんだ」
「シイナ様の顔に泥を塗りやがった、卑怯者め!」
あまりにも心無い言葉。誰もが、ラールが悪人であることを疑っていない。中には、レストランによく来てくれた常連客もいた。
これほど悲しいことがあるだろうか。リルは胸を締め付けられるようだった。ラールほど、客のことを考える料理人はいなかった。どんなときでも、大切なお客様から目を離さないで済むようにと、こじんまりとした店を選んだ。希少な野草を使った料理をリクエストされて、そんなの断ってしまえばいいのに、真剣に頭を悩ませていた。
「違う、お父さんはそんな人じゃない……」
リルの小さな呟きは誰の耳にも届かなかっただろう。
フィルはリルたちをつれて、どんどん人だかりから離れていき、もう、罵倒の声は聞こえなくなっていた。
☆
――気が付いたとき俺は、真っ暗闇の中にいた。
ここには誰もいない。それどころか、何もない。ひょっとしたら時間すら存在しないんじゃないかと思う。
おまけに愛用のジャージもどこかにいって、俺は裸だった。
「おいおい、どーいうサービスシーンだっつーの」
ぼやく俺。独り言は闇に消えていく。
俺は一つ、ため息をこぼして、頭をかいた。
「いい加減でてこいよ。言いたいことがあんだろ?」
暗闇の向こうから、獣の威嚇にも似た、怒りの滲んだ声が届いた。
――てめえ、油断してんじゃねぇよ。あんなじじいにやられやがって。何が男様だ? 笑わせてくれる。
俺は肩を竦めた。
「男様はスキルの名前だろうが。俺が名乗ってるわけじゃねぇよ」
くくく、と声の主は暗闇の向こうで嘲笑をこぼす。
――スキルの名前なんかじゃねぇ。男様は、存在そのものだ。そう、お前自身だよ。
「わかった、わかった。それで、こんなところに呼び出して俺に何の用だよ」
暗闇の向こうで、声の主は今度ははっきりと、口角を吊り上げて笑ったようだった。
――なに、お前はまだ、このスキルを使いこなせていないようだからな。もしもスキルに熟練していたら、あんなじじいにやられなかった。だからちょっとばかし、強引な手を使わせてもらうぜ。
「な、なんだよ。何をするつもりだ」
――お前の中の男様を、開かせてもらうぜ。
突然。
暗闇の向こうから、巨大な手が伸びてきた。それは、俺を一握りにしてしまいそうなほど、巨大な手だった。
それも人間の手じゃない。恐ろしいほど獰猛な爪を生やした、獣の手だ。
俺は恐怖に襲われて、咄嗟に走り出した。毛むくじゃらの手から、必死に逃げる。
「やめろ!」
笑い声が俺を追いかけた。
――怖がるな。こいつは、元からお前が持ってるものなんだからよ。
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