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夜の修道院は静寂に包まれていた。蝋燭の揺れる灯りを手に持ったミリナが、フェリシティを地下へと続く階段へと案内している。石造りの壁は冷たく湿気を帯びており、足音が反響して暗闇の中に消えていく。


「修道院にこんな地下があるなんて、初めて知りましたわ」


フェリシティは微笑みながらミリナの後ろを歩いていた。その声には軽やかさが混じっているが、薄暗い空間の中でどこか警戒心を感じさせる表情だった。


「ここはね、ただの地下倉庫だと思われているわ。実際、昔は本当にそうだったの。だけど、いつの頃からか、この場所に焚書された本が運び込まれるようになったのよ」

「焚書された本……ですか?」


フェリシティの声に少し緊張が滲む。


「そうよ。この国の教義にそぐわないと判断された知識たち。特に、今の教皇ラファエルが権力を握るようになってからは、さらに多くの本が焼かれたわ」

「まあ……相変わらず、教皇様は見識の広さを恐れますのねぇ」


フェリシティは淡々と言いながらも、微妙に皮肉めいた笑みを浮かべた。





階段を下りきると、重厚な鉄の扉が現れた。ミリナが鍵を開けると、きしむ音を立てて扉がゆっくりと開く。その先に広がるのは、埃っぽい空気と共に、棚にぎっしりと詰まった本たちが静かに眠る空間だった。


蝋燭の光に照らされ、革表紙や羊皮紙がほのかに輝く。その一角には無造作に積まれた古びた本の山もあり、その場に足を踏み入れたフェリシティは目を見開いた。


「……これはまた、ずいぶんと貴重なものばかりが集められていますわねぇ」


彼女は興味深そうに棚の一冊を手に取り、慎重にページをめくる。


「これ……『聖国建国記録』ではありませんの?」


ミリナは隣で微笑みながら答えた。


「ええ。王都でも一度焼かれたはずの本ね。あなたなら知っていると思ったわ」


フェリシティは軽く肩をすくめて言った。


「だてに知恵の聖女と呼ばれていませんわ。王宮にあった書物はすべて丸暗記していますの。それが禁書であろうとね」

「すべて……覚えているの?」

「もちろんですわ。聖女としての仕事ですもの。でも、覚えているからこそ、こういう場所が必要だと強く思いますわねぇ」


フェリシティは本を閉じ、そっと棚に戻した。


教皇と亡くなった妹の話

ミリナはフェリシティの様子を見守りながら、ふっと遠い目をした。


「あなたも知っているでしょうけど……今の教皇ラファエルは、昔はあんな人じゃなかったのよ」

「それは存じ上げませんでしたわねぇ。教皇様に過去があったなんて」


フェリシティは冗談めかして言ったが、ミリナの表情が真剣なものに変わるのを見て、口を閉じた。


ミリナは手に取った本を撫でながら語り始めた。


「ラファエルには妹がいたの。名前はセリーナ……優しくて、聖女のような子だったわ」

「セリーナ様……初めて聞きましたわ」

「彼女はとても美しかった。でも、それ以上に病弱で、いつも床に伏せていたのよ。ラファエルは彼女のために何でもした。知識を集め、薬を作り、どんなに怪しい方法でも試した……」


ミリナはゆっくりと目を閉じた。


「でも、彼女は亡くなったわ。まだとても若くして。ラファエルが一番信じていた薬草師の言葉も、神への祈りも、何もかもが彼女を救えなかった」


フェリシティは棚に触れていた手を止め、ミリナを見つめた。


「それで……教皇様は変わったのですの?」

「ええ。セリーナの死が彼を変えたわ。あの子を救えなかった自分を許せなかったんでしょうね。だから、ラファエルは次第に『知識』や『祈り』ではなく、『金』に頼るようになった」

「……つまり、お金でこの国を守るべきだと?」


ミリナは頷いた。


「そう。彼はいつも言っていたわ。『神も祈りも知識も無力だ。救えるのは力と金だけだ』と」


フェリシティはその言葉に苦笑を浮かべた。


「まあ、教皇様らしいお考えですわねぇ。でも……ミリナ様は、きっと教皇様を本当にお好きだったのですね


ミリナのふふと小さな笑い声が響く。

フェリシティはミリナを振り返り、静かに口を開いた。


「でも、それでもわたしは知識を諦めることはありませんの。だてに知恵の聖女と呼ばれてきたわけではありませんからね」

「あなたなら、そう言うと思っていたわ」


ミリナは微笑みながら、フェリシティの肩にそっと手を置いた。


「知識というのは、時に人を傷つける。でも、それ以上に多くの人を救う力を持つ。だから、私はずっとそれを信じてきた。そして、あなたもその力を信じている」


フェリシティは小さく頷き、再び棚の本に目を向けた。


「ええ、もちろんですわ。この場所も、この知識も、必ず役に立つ時が来ますわねぇ」


フェリシティが棚を歩きながら指を滑らせると、一冊だけ異質な本が目に留まった。


表紙にはこの国の文字ではなく、見慣れない異国の文字が刻まれていた。微妙に装丁も違い、どこか洗練された印象がある。


「これは……隣国の本ではありませんの?」


フェリシティが本を手に取ると、ミリナが振り返って頷いた。


「ええ、そうよ。隣国の文字で書かれた本ね。焚書の中に紛れていたの。あなた、読めるの?」


フェリシティは興味深そうにページをめくると、そこにはこの国では見たこともないような美しい挿絵と、独特の記号のような文字が描かれていた。


「こんな本がどうしてここに?隣国からの輸入なんて、この国ではないはずですわ」

「そうね。この国は四方を険しい山々に囲まれているから、隣国との行き来はほとんどないもの。でも……辺境にはたまに、迷い込んできた人が訪れるのよ」


ミリナは蝋燭を本の傍に置き、少し懐かしそうな表情を浮かべた。


「険しい山を越えて、この国にたどり着く人たちがいるの。大抵は隣国で追われた人や、逃げ場を求めた人たちね。旅の途中で力尽きた者も多いけれど、運良く村にたどり着く者もいる」

「そんな人たちが、この国に隠れ住んでいると?」


フェリシティの声には興味が滲んでいた。


「ええ。もちろん、そんな人たちは正式に迎え入れられるわけじゃない。この国の『神の秩序』に反するとして、密かに追い返されることもあるわ。でも、時々、その人たちが持ってきた物がこうして残されるの」


フェリシティは手にした本をじっと見つめた。


「なるほど……だからこんな本がここに。隣国の文化や技術を知る貴重な手がかりですわねぇ」

「そうよ。この国では隣国の知識が『異端』として忌み嫌われているけれど、私から見れば、そこにはこの国を変えるためのヒントが隠されていると思うの」

「この国が閉ざされたままでは、いずれ滅びるでしょうねぇ……」

「そうね。開国は教皇にとって脅威になるけれど、民にとっては希望になると信じているわ」


フェリシティは本を丁寧に棚に戻し、ミリナを見つめた。


「ミリナ様、ありがとうございます。この本も、ここにある知識も、きっと役立ててみせますわねぇ」

「期待しているわ、フェリシティ。あなたなら、きっとできる」


二人の間に交わされた言葉は、地下図書室の蝋燭の灯火に溶け込むように消えていった。


部屋を出る前に、フェリシティはもう一度棚を振り返り、静かに呟いた。


「……迷い込んできた人たちは、もしかしたらこの国の未来を救う鍵だったのかもしれませんわねぇ」


「そうかもしれない。でも、今のこの国ではその可能性を閉ざしてしまう。だからこそ、あなたが必要なのよ」


ミリナの言葉を背に、フェリシティは微笑みを浮かべ、階段を上り始めた。

蝋燭の灯りが二人の間で静かに揺れていた。


その時、ふいに轟音が響き渡った。




急いで外に出ると、遠くから聞こえてきた異様な音に、村人たちは恐怖に包まれた。空から鳴り響くその音に、誰もが怯え、空を見上げる。


「な、なんだあの音は!」


村人たちがざわめく中、先頭にはアレクシスがいた。フェリシティはアレクシスと目配せすると、修道院の前庭に出た。ここの前はすべて畑なので、山まで綺麗に見渡せる。


フェリシティは轟音を聞きながら、小さく首を傾げる。


「あらまあ、これって……プロペラの音じゃないかしら」


アレクシスは眉をひそめた。


「プロペラ?なんだ、それ。魔物か?」

「まあ、私たち聖国の人間にとっては魔物みたいなものかもしれないわねぇ。でも、禁書に書いてあったわ。外の世界には、空を飛ぶ機械があるって」

「空を飛ぶ……?そんなものが本当にあるのか?」

「ええ、あるのよ。外の世界では当たり前みたいねぇ」


その時、遠くの空に黒い影が見えた。それは巨大なヘリコプターだった。フェリシティはその姿をじっと見つめながら、微笑を浮かべる。


「あらまあ、やっぱり。外の世界が、とうとうこの国に近づいてきたみたいねぇ」

「近づいてくるって、お前、どうするつもりだ?」

「どうしましょうねぇ……でも、せっかくなら、歓迎してあげないとねぇ」


フェリシティの穏やかな声とは裏腹に、その瞳には鋭い光が宿っていた。アレクシスはその表情を見て、何も言えなくなる。


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