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豪華な馬車は、王都を後にして険しい山道へと入っていた。馬車の中では、フェリシティとアレクシスが隣り合って座っている。狭い空間にもかかわらず、二人の間にはどこか軽やかな緊張感が漂っていた。
フェリシティは揺れる馬車の中で微笑みながら言う。
「あらまあ、兄様がこんな長旅に同行してくださるなんて、正直驚いたわ。王都育ちの兄様が修道院まで護衛するなんて大層なことだわ」
アレクシスは窓の外を眺めたまま、軽く肩をすくめる。
「まあ、お前が一人で旅をするなんて不安でしかないからな」
フェリシティはにっこり笑って答える。
「お優しいのねぇ。でも、もしかして殿下のご命令を断れなかっただけじゃないの?」
アレクシスはわざとらしく溜め息をつき、彼女に向き直る。
「『知恵の聖女様』が馬車酔いなどしてしまっては、修道院にたどり着けなくなるだろうしな」
「あらやだ、それは心配してくれていたのねぇ。でも、兄様が揺れるたびにため息ついている、そちらの空気を浄化するほうが大変そうよ」
「お前がその口を閉じたら、ため息くらいは減るんだがな」
旅路が険しい山道に差し掛かる頃、フェリシティがそっと額に手を当てる。どうやら馬車酔いに苦しんでいるようだ。
「あらまあ、馬車がこんなに揺れるなんて、少し予想外だったわねぇ。気分が……あんまりよろしくないかも」
アレクシスは彼女の様子を見て、少し眉をひそめる。
「馬車の中で大人しくしてればいいのに、さっきから窓の外ばっかり見てるからだろ」
「兄様、それって気遣いのつもり?それとも責めてるのかしら」
「半分ずつだ」
フェリシティは弱々しく笑みを浮かべたが、顔色は相変わらず青白い。そんな彼女を見たアレクシスは、仕方なさそうに腰を上げる。
「ほら、こっちだ」
「……何?」
「膝枕だ。俺の脚を使え」
フェリシティは目を丸くし、少しの間じっと彼を見つめたが、次の瞬間にはくすりと笑った。
「あらやだ、女性人気ナンバーワンの将来有力株の兄様の膝を借りるなんて、少し勿体ない気がするわねぇ」
「文句があるなら、そのまま酔ってればいいだろ」
「いえ、ありがたくお借りするわ。兄様の膝なんて、なかなかの高級品でしょうからねぇ。この先、私にご令嬢たちに自慢する機会があるかしら」
フェリシティはそう言いながら、ゆっくりとアレクシスの膝に頭を乗せる。その瞬間、アレクシスが微かに息を呑む音が聞こえたが、彼女は気づかないふりをした。
その日の夜、馬車を降りた二人は小さな宿場で休むことになった。
フェリシティは夕食を終え、アレクシスと共に暖炉の火を見つめながら椅子に座っていた。彼女は静かに湯気の立つお茶を飲みながら、ぽつりと呟く。
「こういう静かな場所も悪くないわねぇ。追放されてみるのも、案外悪いことばかりじゃないのかもしれないわ」
「お前、本気でそう思ってるのか?」
「そうねぇ……少しは思ってるかもね。でも、どうせ兄様がついてきてくれてるからそう思えるんでしょうねぇ」
アレクシスはその言葉に少し驚いたような表情を見せたが、すぐにいつもの皮肉混じりの声で返す。
「それなら感謝の言葉くらい言えよ」
「あらまあ、感謝が足りないかしら。じゃあ改めて……兄様のおかげで旅が一層面白くなってるわ。ありがとうございます」
フェリシティの言葉にアレクシスは思わず顔を赤らめ、視線を外す。
「それは……お前が皮肉をまじえないで素直に言える日が来るのを楽しみにしてるよ」
「あらやだ、それっていまのわたしが黙ってたら退屈するんじゃないの?」
「……それは否定しない」
二人はふふと笑って、宿に入った。
なんだか人の良さそうな店主に夫婦と誤解されたが、もちろん部屋は別にしてもらった。




