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「この国では、神がこの地を選び、私たちを加護してくださっていると語り継がれてきましたわね。ですが、真実は違いますの」
彼女は一瞬だけ目を伏せ、次に視線を真っ直ぐに上げた。
「聖国の象徴である『御神体』――それは、神が授けた奇跡の力を宿したものだと言われております。でも、先ほど申し上げました通り、それはただの空の箱ですわ」
民衆から驚きの声が上がり、フェリシティは静かに続けた。
「御神体は、外の国々から追われてこの地に逃れてきた人々が、心の支えとして持ち込んだものでした。ですが、肝心の中身は失われていたのですわ。神の存在を示すものなど、この国には初めからなかったのです」
彼女の言葉に広場は大きく揺れた。誰もが驚き、ある者は困惑し、またある者は怒りの表情を浮かべた。
「皆さま……」
フェリシティはその動揺を見つめながら、さらに語り始めた。
「神の加護がなくとも、外の世界では人々が自らの知恵を使い、新しい技術を生み出し続けています。外の国々では、奇跡に頼らずとも人々の生活を豊かにする力を持つ機械や道具が作られているのです」
民衆は目を見開き、彼女の言葉に聞き入った。
「例えば、空を飛ぶ機械――それは空を越えて人々を運ぶのですわ。そして、文字を読めない者にも道具の使い方を伝える仕組みが作られています。外の国々は、わたしたちを取り残して大きな発展を遂げているのですわ」
フェリシティは手を胸に当てた。
できるだけ民衆すべての顔を見れるよう、まっすぐに前を向く。
「隣国もその技術を取り入れ始め、やがてこの険しい山々を越える手段を得るでしょう。いえ、既にその準備が進んでいるようですわ」
広場はざわつき、民衆の間に恐怖が広がり始めた。
「でも、怖がる必要はありませんわ。むしろ、わたしたちが目を背けてきた現実に立ち向かうチャンスが訪れたのです。知恵と努力、そして互いを信じる心があれば、わたしたちは必ず外の世界とも対等に渡り合えますわ」
フェリシティの言葉は力強く、民衆の心に響いた。恐怖は次第に和らぎ、彼女の言葉に希望を見出す者たちが現れ始めた。
「皆さま、どうか耳を傾けてくださいませ。私たちはこれから、ただ祈るだけではなく、知恵と行動を持って新しい未来を築いていくべきなのですわ」
彼女は一歩前に進み、両手を広げた。
「まずは、文字を学びましょう。自らの力で知識を得ることができれば、どんな問題にも立ち向かえます。そして、技術を取り入れ、互いに助け合いながら生きる道を探しましょう。信仰だけではなく、知恵と努力が必要なのですわ」
「……聖女様!」
群衆の中から声が上がった。誰かが拍手を始め、それが次第に大きな波となる。
「神に頼るだけの時代は終わったんだ!」
「自分たちで未来を作ろう!」
民衆の歓声が広場を埋め尽くし、フェリシティは静かに微笑みながら深く一礼した。
「皆さま、どうかお忘れにならないでくださいませ。神が不在であろうと、わたしたちの中には知恵と愛があります。それがあれば、必ず道は開けるのですわ」
フェリシティの声は静かに、しかし確実に広場に響き渡った。民衆はその言葉を胸に刻みながら、新しい未来への第一歩を踏み出そうとしていた。
演説を終え控えの間に下がると、教皇ラファエルが一歩前に進み、静かな声で言う。
「フェリシティ様……あなたはそれを、この場で語るつもりだったのですか?」
フェリシティは微笑みを浮かべたまま、彼に視線を向けた。
「ええ、教皇様。民衆に本当のことをお伝えしなければ、真の平和は訪れませんもの」
セオドアは目を見開き、震える声で言う。
「フェリシティ、先ほどの……本当なのか?」
フェリシティは静かに頷き、セオドアを見つめた。
「ええ、殿下。本当のことです。そして、これを知った上で国をどうするかを考えるのが、これからの私たちの役目ではなくて?」
一方で、アレクシスは義妹の宣言に焦りを隠せなかった。彼女が一人で全てを背負い込もうとしていることがわかったからだ。彼は静かに彼女の隣に立ち、低い声で囁いた。
「お前……本当に大丈夫なのか?全部を敵に回す覚悟でやってるのか?」
フェリシティは振り返り、にっこりと笑った。
「兄様がいてくれるなら、少しは安心できるかしらねぇ」
アレクシスは言葉を失い、彼女を見つめる。だが、その胸の中では、義妹をどうにか守り抜こうという決意が固まっていた。
「フェリシティ!」
彼は彼女の名を呼びながら駆け寄り、足元で揺れるマントも気にせず、彼女の前に立ちはだかった。
「君が戻ってきてくれて本当に良かった……やはり君が必要なんだ。この国には、僕には……君の知恵が、君の力が必要なんだ!」
フェリシティは無表情のまま彼を見上げ、冷静に彼の言葉を聞いていた。
「どうか、君にもう一度頼らせてほしい。僕と一緒に国を支えてくれ!」
セオドアはその場で膝を折り、真摯な表情で彼女を見上げた。彼の声には切実な響きがあり、民衆や貴族たちも息を飲んで見守っていた。
その様子を見たフェリシティは、ふっと鼻で笑うような仕草を見せた。そして、柔らかな声で、けれども刺さるような言葉を紡ぎ始めた。
「殿下、あらまあ……まさかここでそんな風に縋られるとは思ってもみませんでしたの」
「……フェリシティ、僕は本気だ」
「ええ、それは十分伝わりましたわ。でも、本気ならなおさら情けないですわねぇ」
セオドアは驚きに目を見開く。
「な、情けないだって?」
「そうですわ。王太子がたかだか元聖女のわたしごときに膝をついて縋るだなんて……これが国の未来を背負う方のお姿かしら?」
フェリシティは冷笑を浮かべ、少しだけ身を乗り出して彼に囁くように言った。
「殿下、まずはその膝を地面から上げるべきですわ。それとも、わたしに許しを乞うつもりですか?」
その言葉に、セオドアの顔が赤く染まった。彼は立ち上がろうとしたが、屈辱と動揺が入り混じり、言葉を失っていた。
「君には……この国を救う力があるんだ。僕にはないものが、君にはある。それを……一緒に使えば……」
「殿下」
フェリシティは遮るように彼を見つめた。そして、演説のとき以上に鋭い声で言い放つ。
「一緒に?殿下、それは違いますわ。この国を守るのはわたしではなく、あなたの役目ですもの」
セオドアは息を呑んだが、彼女は続ける。
「わたしを頼る前に、あなた自身が民を支え、民を守る覚悟をお持ちになるべきではなくて?」
彼女は冷たい笑みを浮かべ、軽くため息をつく。
「それに、どうしてわたしが再び殿下と手を組むと思われたのかしら。まさか……わたしがここに戻ってきたから?民の前で演説をしたから?」
「そ、それは……」
「いいえ、殿下。勘違いなさらないでください。わたしが戻ったのは、この国の民のためですわ。あなたのためではありません」
フェリシティは真っ直ぐにセオドアを見据え、きっぱりと言い放った。
「わたしは、あなたのそばに戻るつもりは一切ありませんの。というか、顔も見たくありませんわ。そもそもタイプではないですし。あのまま結婚となれば頑張ったかもしれませんが、あなたのような方って生理的に無理なのですよね」
「せ、生理的…」
「どうか、ご自分でこの国を支えてくださいませ。この国の民のために応援くらいはしておきますので」
彼女は踵を返そうとしたが、ふと思い出したように振り向いた。
「それと、もう一つだけ。殿下が本当にこの国を守りたいのなら……まずはご自分をしっかりお守りになってください。頼る相手を間違えないでくださいね」
その場に立ち尽くすセオドアを尻目に、フェリシティはアレクシスの方へと歩み寄った。彼女の毅然とした態度と、突き刺さるような皮肉を間近で見ていたアレクシスは、思わず口を開けたまま立ち尽くしていた。
「おい……お前、あそこまで言う必要があったのか?」
フェリシティは微笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた。
「あらまあ、兄様。わたし、殿下のためを思って言っただけよ?」
「……いや、あれを聞いたら殿下は一生立ち直れないかもしれないぞ」
「そんなことはありませんわ。殿下にはそのくらいの厳しさが必要ですもの。甘やかしていては、国を守る王にはなれませんからねぇ」
アレクシスは眉をひそめ、彼女をじっと見つめた。
「お前……本当にすごいな」
「すごい、というのは褒め言葉かしら?それとも呆れてるの?」
フェリシティの問いかけに、アレクシスは一瞬言葉を詰まらせた。そして、頭を振って苦笑する。
「両方だ。だが……お前らしい」
フェリシティとアレクシスが歩き去った後、セオドアは頬を押さえたまま立ち尽くしていた。彼女の言葉が彼の胸に深く刺さり、動くことができなかった。
廊下を歩きながら、ふと立ち止まると、
フェリシティは空を見上げた。
遠くに見える夜空には、薄く光が差し込み始めている。フェリシティとアレクシスはその空を見上げながら静かに歩いた。
「さて、兄様。この国はこれからどうなるのかしらねぇ」
「それを決めるのはお前じゃない。……王太子だ」
フェリシティは微笑み、静かに頷いた。
「ええ。わたしがすべきことは終わったわ。でも、兄様がそばにいてくれるなら……まだやれることもあるかもしれないわねぇ」
アレクシスは横目で彼女を見ながら、ふとため息をついた。




