閑話
聖国第一教会は厳かな静寂に包まれていた。ステンドグラスを透過した陽光が彩りを添える中、ミリナは重厚な扉を押し開け、一歩中に入った。フェリシティが王都に来てから一日遅れて、彼女もまた王都に到着していた。
「まあまあ……豪華になったものねぇ」
ミリナは静かに呟き、聖堂を見回す。その視線は冷たい石造りの天井へと向けられ、どこか懐かしさと憂いを漂わせている。
「ミリナ様、教皇がお待ちです」
案内の司祭が駆け寄る。彼女は微笑んで頷き、静かに足を進めた。
教皇ラファエルの執務室は薄暗く、どこか冷えた空気が漂っていた。机に座っていた彼は、ミリナの姿を確認するとゆっくりと立ち上がる。
「ミリナ……」
彼の声は低く、感情を押し殺したようだった。
ミリナは微笑みを崩さず、部屋の中に入ると、ドアをそっと閉める。
「お久しぶりですわねぇ。ラファエル様。昔と変わらないのね、この部屋の雰囲気。とっても陰気臭いわ」
「お前がここまで来るとは思わなかった。修道院で静かに祈りを捧げているのかとばかり思っていたが」
「まあ、そうしていたつもりだったのだけれどねぇ。フェリシティが王都に呼び戻されたと聞いて、私も放っておけなくて」
ミリナは椅子に座るよう促されたが、それには応じず、ラファエルの目を見つめたまま立っていた。
「あなたも随分と変わったわねぇ」
ミリナが静かに口を開くと、ラファエルの眉が微かに動く。
「変わった?俺がか?」
「ええ。昔はもっと……優しい人だったのに。祈りにすがる人々を心から癒そうとしていたあなたを、私は今でも覚えているわ」
ラファエルは苦い笑みを浮かべ、首を振った。
「優しさでは国を守れない。そんなものは幻想だ」
「そうかしら?優しさがあったからこそ、あなたは多くの人に信じられてきたのではなくて?」
ミリナはそう言いながら、一歩前に進んだ。その声は柔らかいが、どこか悲しげだった。
「……妹さんも、そう思っていたと思うわ」
その言葉に、ラファエルの目が一瞬鋭くなる。
「やめろ」
「やめないわ。あなたが妹さんを失った時のことを、私は忘れていないもの。あの時、あなたがどれほど自分を責めたか……それを思うと、私も辛いの」
ラファエルは机に片手をつき、目を閉じた。その姿は一瞬だけ、かつての優しさを垣間見せるようだった。
「……俺は、妹を救えなかった。何もできなかった。祈りも、神も、何の役にも立たなかった」
「それは違うわ」
ミリナは静かに首を振る。
「あなたが妹さんを愛していたことだけは、あの子も分かっていたはずよ。それが救いになったかどうかは分からないけれど……」
「俺の愛など何の意味もなかった。力があれば、妹を助けられた。それだけだ」
ラファエルの声は低く、苦しみを押し殺したようだった。
ミリナは一瞬目を伏せた後、彼をじっと見つめ、優しく言った。
「救ってあげられなくて……ごめんなさい」
「人が人を救うなど烏滸がましい」
ラファエルは顔を上げ、鋭い視線でミリナを見つめる。その目には苛立ちが浮かんでいた。
「お前は相変わらずだな。自分が人を救えるとでも思っているのか?」
「救えるかどうかは分からないわ。でも、救おうとすることに意味はあるのじゃなくて?」
ラファエルは冷笑し、短く息を吐いた。
「人が人を救うなど、烏滸がましい。人ができるのは、力を使って現実を変えることだけだ。祈りも愛も、虚しい幻想だ。聖女は傲慢だ」
ミリナはその言葉に柔らかな笑みを浮かべた。
「そうかしら?私はただ、誰かの力になりたいと思っているだけよ」
ラファエルは目を細め、呆れたように言った。
「お前はやはり聖女だな。自分では気づいていないようだが、救いようのないほど聖女だ」
ミリナは一瞬だけ視線をそらし、ふっと小さな笑い声を漏らした。
「でもね、ラファエル。人を救おうとすることが間違いなら、それでも私は聖女でありたいわ」
そう言って、彼女は踵を返し、扉へと向かった。その背中を見送るラファエルの目には、わずかな寂しさと後悔が浮かんでいた。
扉が閉まる音が響き、部屋に再び静寂が訪れた。




