11
王都の門をくぐると、煉瓦造りの家々がひしめき合っている。
馬車で大通りを通りながら、特に感慨もなく窓から街を見渡すしていると、ふと人が集まっているのが目に入った。
「市でもしているのかしら?」
そのとき、空から奇妙な音が響いてきた。低い唸るような音が次第に大きくなり、人々は不安そうに顔を見合わせた。
「なんだ、この音は!?」
「空に何かいるぞ!」
視線が一斉に空を向くと、遠くの空に黒い点が見えた。それは近づくにつれて形を成し、金属でできた異様な機械の姿がはっきりと見えてくる。
「悪魔だ!」
「悪魔が空から来たぞ!」
「神がお怒りになっているんだ」
民衆は叫びながら逃げ惑い、広場は混乱の渦に包まれた。子どもを抱えて逃げ出す母親、祈りを捧げながら膝をつく老人。普段はこの街を守る勇気ある騎士団たちでさえ、あまりの異様さに戸惑い、動けなくなっていた。
金属の機械は、上についた回転式の何かを時折止めそうになりながら、明らかに不安定な飛行を続けていた。軋むような音を立てながら、次第に高度を失い、ゆっくりと王城の裏手にある広場の端に墜落した。
ちょうど市を開いていたため、テントの上に落下したようだ。
激しい衝撃音とともに、機体の一部が砕け、瓦礫と火花が飛び散る。広場全体が揺れるような衝撃に、民衆の叫び声がさらに大きくなった。
「本当に悪魔が来たんだ!」
「神よ、どうかお守りください!」
混乱の中で、フェリシティは馬車を降りた。後ろから「おい」と焦った声がするが、気にしない。
そのまま空から落下した物体にまっすぐ近づくと、じっとそれを見つめた。後から追いついたアレクシスが剣を抜き、警戒している。
「フェリシティ、これは一体何なんだ!?」
彼の声に、フェリシティは微笑みを浮かべながら答えた。
「あらまあ、兄様。大丈夫よ。あれは悪魔じゃないのよ。外の世界で使われている『ヘリコプター』という機械なの」
「機械?あんなものが空を飛ぶだと?」
アレクシスは信じられないという顔をしながらも、目の前の現実に戸惑っていた。
墜落したヘリコプターから、外の世界の兵士と思われる人物が這い出てきた。黒い服に身を包み、顔には血の跡がある。その姿に再び民衆が悲鳴を上げる。
「やっぱり悪魔だ!」
「誰か、誰か助けてくれ!」
フェリシティはそんな民衆を背に、毅然とした足取りで兵士に近づいていった。彼女の背中を追うように、アレクシスも警戒しながら剣を構えたまま続く。
「Are you okay?(大丈夫ですか?)」
フェリシティが兵士に隣国語で問いかけると、彼は驚いた顔をしながら弱々しく頷いた。
「ここは……どこだ……?」
その声は微かで、彼はポケットから地図が入ったケースを取り出すと、フェリシティに手渡した。
「ああ…かえってきた。あー、この、君に…えー、ああ、Take this…… you need to know…(これを……君たちに知ってもらう必要がある……)」
フェリシティは静かにケースを受け取り、中を確認した。そこには地図とともに、外の世界で使われている機械や技術に関する詳細な資料が入っていた。
そこで力尽きたのか、彼はくたりと前に倒れた。
フェリシティは彼を病院に運ぶよう兄に告げた。
嫌がる顔をしながらも、男を背負って馬車に運んでいる。
フェリシティはケースを抱えたまま立ち上がり、混乱する民衆に向き直った。
「皆さん、どうか落ち着いてください。あれは悪魔ではありません」
彼女の穏やかな声が混乱の中に響き、民衆は一瞬静まり返った。誰もが驚きと不安の中で、彼女の言葉を待っている。
「これは外の世界から来たものです。この国の外には、私たちが知らない世界が広がっています。そこでは、科学という知識を使って人々の暮らしを支えているのです」
「外の世界……?」
「でも、それは神の教えに反するものでは……?」
民衆の間から囁きが聞こえる中、フェリシティは続けた。
「そうかもしれません。でも、外の世界の人々は、自分たちの力で未来を築いてきたのです。それは奇跡ではありません。知恵と努力の積み重ねです」
「さて、みなさん」
フェリシティはぽんと手を打った。
「ここから離れましょうか。これは悪魔ではありませんが、爆発する危険がありますの」
もれなく皆、それを先に言えと思った民衆の慌てぶりは凄まじかったという。
灰色の石畳が敷き詰められた王都の中心にそびえる王城。その高い城壁は灰色の雲を背景に冷たくそびえ立っていた。
馬車が城門をくぐると、庭園にはかすかに枯れ葉が積もり、花壇は色を失っていた。かつて鮮やかに彩られていた庭が、今ではどこか荒れた印象を与える。
とりあえず謎の男を病院まで送り届けた後に向かったので、もう日は傾きかけている。
フェリシティは馬車の窓からその景色を眺め、微かに笑みを浮かべた。
「王都の華やかさも、こうして見ると案外儚いものねぇ。兄様、どう思う?」
アレクシスは馬車の向かいに座り、剣を手にしながら冷静な口調で答えた。
「俺にはただ荒んでいるように見える。暴動が続けば、この城も同じように壊れるだろう」
「まあ、それなら急いで直してあげないとねぇ」
フェリシティの柔らかな口調とは裏腹に、その目は冷静な光を宿していた。
フェリシティとアレクシスが案内されたのは、広々とした大広間だった。
白い大理石の床には無数のひびが入り、かつて豪華だった赤い絨毯はくすんでいる。壁を飾るタペストリーもどこか色あせ、疲れ果てた城の姿がそこにあった。
高い天井からは、大きなシャンデリアが冷たい光を落としている。だが、その輝きには温かみがなく、広間全体を冷ややかな空気が包んでいた。
教皇ラファエルが正面の玉座の隣に立っていた。その顔には柔和な微笑みが浮かんでいるが、瞳には冷たい鋭さが宿っている。彼のすぐ横には、王太子セオドアが立っていた。セオドアの顔は硬く、どこか焦りの色が浮かんでいる。
フェリシティが大広間に足を踏み入れると、教皇が一歩前に進み、優雅に頭を下げた。
「ようこそ、フェリシティ様。遠いところをお疲れ様でした」
その声は穏やかだが、その裏には計算された重さがある。フェリシティはゆっくりと微笑みながら、軽く頭を下げた。
「あらまあ、教皇様。わたしにここまで戻って来いだなんて、ずいぶんと急なお話でしたのねぇ」
教皇はその言葉に眉一つ動かさず、淡々と続けた。
「聖都は今、大変な混乱に見舞われています。治癒の聖女セシリア様の奇跡が十分に民衆の期待を満たせず、不満が暴動となって広がっています。そこで、あなたの知恵が必要なのです」
フェリシティは大理石の床をゆっくりと歩き、教皇に近づくと微笑みを崩さずに言った。
「あらまあ、セシリア様の奇跡が足りないなんて……それは大変ねぇ。けれど、教皇様はお優しいのね。こうして追放したわたしに頼るだなんて」
その言葉には柔らかさの中に鋭い皮肉が混じっていた。教皇は薄く笑い、冷静に答える。
「過去のことは今は重要ではありません。今この瞬間、民衆を落ち着かせることが優先されるのです」
「そうねぇ。けれど、教皇様のご期待に応えるかどうかは、少し考えさせてもらわないとねぇ」
フェリシティはくるりと教皇から目を逸らし、王太子セオドアの方を見た。その瞬間、セオドアが一歩前に進み、強い口調で言った。
「フェリシティ、頼む。君がいなければ、この国は救えない。君の知恵が必要なんだ」
その声には必死さが滲んでいた。フェリシティは少しだけ目を細め、セオドアを見つめ返す。
「あらまあ、殿下。そう言ってくださるのは嬉しいけれど、婚約を解消された方からそんな風にお願いされるのも、なんだか不思議な気分ねぇ」
「それは……間違っていたんだ!僕は……」
セオドアは苦しげな表情を浮かべながら言葉を続けようとしたが、フェリシティが軽く手を上げて制した。
「いいのよ、殿下。お気になさらないで。ただ……今は民衆を救う方法を考える方が先じゃないかしらねぇ?」
その瞬間、アレクシスが一歩前に出て、冷たい声で教皇に向けて言った。
「知恵を頼ると言うなら、その知恵をどう使うか明確に言え。フェリシティをただの都合のいい道具として扱うつもりなら、俺が黙っていない」
教皇はアレクシスの言葉にわずかに目を細めたが、口元の微笑みを崩さず答える。
「それはもちろん、彼女の知恵を最大限に尊重し、導いていただくつもりです」
静寂が大広間に広がる中、フェリシティは微笑みを浮かべながら一歩後ろに下がった。
「まあ、いろいろとお話は尽きないけれど、まずは少し様子を見させていただくわねぇ。どんな状況なのか、直接目で見ないとわからないもの」
その言葉には、柔らかさの中に強い意志が込められていた。教皇もセオドアも、それ以上は何も言えず、フェリシティの言葉に頷くしかなかった。
フェリシティは大広間を静かに後にしながら、内心でこの王都の混乱をどう収めるか考え始めていた。そして、教皇や王太子の真意を探ることもまた、自分の役目だと感じていた。
王城の外へ出ると、王都の街並みが目に飛び込んできた。かつて活気に溢れていた通りには、今や人々の悲鳴と怒声が響き渡り、所々で火が燃え上がっている。
瓦礫が散らばる路地には、飢えた顔をした子どもたちが身を寄せ合い、大通りでは集まった群衆が「聖女はどこだ!」と叫びながら暴徒化していた。
フェリシティは馬車を降り、少し足を止めてその光景を見つめる。どこか冷静な表情を浮かべながら、アレクシスに小声で言った。
「まあ、随分と賑やかになってるのねぇ。殿下と教皇様が治めているはずの国が、これじゃあ困ったものだわ」
「言っている場合か?これだけの暴動、簡単には収まらないぞ」
アレクシスはフェリシティを護るように傍らに立ち、群衆を警戒する。
「そうねぇ。でも、こんな風になっている原因……どこかで見つけられると思うのよねぇ」
フェリシティはそう言いながら、群衆に混じって座り込む老婆に目を留める。その目には薄い光が宿り、かすれた声で呟いていた。
「聖女が、聖女がいないから……私たちは救われない……治癒の奇跡が、ないから……」
フェリシティは膝をつき、老婆の肩にそっと手を置く。
「あらまあ、大丈夫かしらねぇ?治癒の奇跡がなくても、ほら、この薬草が効くかもしれないわ」
老婆はフェリシティを見上げ、怯えたように目を見開く。
「お、お前は……聖女の……」
「あらまあ、私はもう聖女じゃないのよ。ただ、少し知恵を使っているだけの普通の人間なの」
老婆はその言葉に驚きつつも、手渡された薬草を握りしめ、少しだけ表情を和らげた。
王城に戻る道すがら、フェリシティは群衆が叫ぶ声や、暴動を抑えようとする兵士たちの姿を見つめていた。そして、静かにアレクシスに語りかける。
「ねぇ、兄様。この暴動、誰の得になると思う?」
「誰の得にもならないだろう。民衆が傷つき、王国は弱体化する。それで終わりだ」
フェリシティはふっと笑い、首を横に振った。
「そうかしらねぇ。混乱の裏では誰かが得をしているものよ。例えば……教皇様とかねぇ」
アレクシスは険しい顔をして彼女を見た。
「教皇がこれを仕組んだというのか?」
「仕組んだかどうかはわからないけれど……民衆を混乱させて聖女の力を再確認させるには、暴動はいい口実になるわ。聖女がいなければ国は崩れる、ってねぇ」
「つまり、お前を戻したのも、そのためだと?」
フェリシティはにこりと微笑み、肩をすくめた。
「まぁ、そうかもしれないわねぇ。でも、それなら利用される前にこっちが利用すればいいだけのことよ」




