測り難きは人心
「父はここ数日間昏睡を繰り返していた。カールやお前が父と話せたのは奇跡だ」
裕福な市民や貴族も疫病に苦しみ医者も薬も全く足りない中で貧民救済に忙殺されていたアリウスは、父の死に目にも会えなかった。
「兄上……無断で任地から戻って申し訳ありません」
「もうよせ。父の事ならクラウスも私も覚悟はしていた。それで? お前がここに戻ったのは父の見舞いの為ではないのだろう」
僕は父とした会話を正直に話した。そして自分が何故ルーダン城から勝手に帰って来たのかも。
「『浄水』のスキルが、この疫病を止める特効薬になると……?」
さすがに前世の記憶の事は話せなかったが、それ以外の事はすべて、次男のアリウスに打ち明けた。
「陛下の凱旋門の建築が問題を起こした可能性があるだと!? お前はその事を誰に話した!?」
「調査を手伝ってくれた信用のおける三人の仲間と、アリウス兄上だけです。下水の調査もすべて人目を忍んでやりました」
「……お前は思ったよりも賢明だな、クローゼ」
「そんな事が噂にでもなれば大変かと思って」
「その通りだ……お前はクラウスがなぜ不在なのか知っているか」
アリウスは話してくれた。長い間宿敵であったオスワルド帝国に軍事行動の、はっきり言えば侵攻の兆しが見えるというのだ。
フロイデン王国は吹き荒れる疫病に苦しみ兵力を減らされ、士気も低下している。帝国はこれを好機と捉えたらしい。
「ひどい話だが自業自得の部分もある。八魔王の乱についてどこまで学んだ」
「はい……初等学校では一通り学んだつもりです」
オスワルド帝国の北方に広がる大森林地帯と、そのまた北にある海とその向こうの寒冷な島々。そこは人類から追いやられた亜人や猛獣が細々と暮らす不毛の地だった。
八魔王というのは人類側がつけた呼び名である。そんな不毛の地にも小規模な集合体とその統治者が居て、それぞれの領域を支配していた。しかしある頃からその統治者達、八魔王が力を増し、積極的に領土を広げ人類の領域にも浸食し始めた。
人類は最初彼らの浸食を、辺境の蛮族が暴れているだけだと侮っていた。しかし彼らの一部は、魔物と呼ばれる未知の生命体を従えていた。
魔物は力が強いだけではなく非常に凶暴で、意味もなく人を殺し村や集落を蹂躙し、破壊し尽くすという。
「世界は一世紀に渡り八魔王の乱と魔物の浸食に苦しんで来た。既に奴らに攻め滅ぼされて消滅した国がいくつもある。そしてオスワルド帝国は広大で屈強だが、広い範囲で八魔王の領域と国土を接していて、その被害は甚大だった……一方我がフロイデン王国は幸いにして、八魔王と国境を接していない」
フロイデン王国はオスワルド帝国からの八魔王討伐への協力、援軍の要請、全てを断って来た。難癖をつけたり、高い代償を求めたり……
「我が国の態度も良くなかった。オスワルドの弱みにつけこみ、足元を見て、係争中の領土を奪い、内政干渉までして来たからな。しかし今フロイデンが疫病の害に遭った事で彼我の立場は逆転した。オスワルドの皇帝は、八魔王を倒すには人類統一帝国が必要だと民衆に説いているという……それ自体が破壊と暴力、圧政によってしか成し遂げられない、人類を苦しめるだけの愚かな理想だというのに」
目の前が暗くなる心地がした。
騎士団を率いるクラウスは国境に居て、帝国軍と対峙しているという。疫病に苦しむ王都を後にして戦う王国軍の心の拠り所は、フロイデン国王への忠誠だ。
だけどそんな国王陛下を称える凱旋門の建設が今、疫病が蔓延する原因になっていただなど、知られてしまったらどうなるのか。
「兄上……人類が手を取り合って疫病や八魔王と戦う方法はないんですか?」
「それが簡単に出来るのなら苦労はないんだ、人にはそれぞれの思いがあるからな。オスワルドの臣民とて八魔王を倒すためフロイデン国王の軍門に下ろうとは思うまい」
†
ミストルティン家は当主を失った。跡継ぎであるクラウスは戦役の為に遠く王都を離れているので、葬儀は次男のアリウスが取り仕切る。式は疫病の蔓延に鑑みて、ごく親しい者のみの簡素なものになった。
父の棺桶は、居るだけの兄弟姉妹で担いだ。
葬儀の間、僕はずっと泣いていた。変な話、僕が泣いていたのは自分に前世の記憶があるからのような気がする。
だけど僕には、立ち止まっている時間はない。
†
「この古い地下水路が破壊された事が、王都の下水の機能不全に繋がりこの状況を生んだというのか」
葬儀の後。アリウスは凱旋門の建設現場の視察に付き合ってくれた上で、首を振る。
「この名誉ある工事を監督したのは最終的にはレヴィル公爵家だ、彼らは別の通りも掘削させていた、あれは迂回水路を建設していたのだろう……仮にそれがまともに機能しない欠陥品なのだとしても、その事をどうやって証明する?」
「その迂回水路はどこにありますか、僕が行って水質を調べます」
「……だめだクローゼ。お前の言う事は恐らく正しいが、レヴィル家は全力で抵抗しお前とミストルティン家を攻撃するだろう」
「そんな……」
「そして人々はお前の言う水質という概念を理解しないかもしれない。人間は水がなければ三日と生きられん、仮に皆がお前の言葉に耳を傾けたとしても、それがどんな混乱を巻き起こすか」
アリウスの言う事はもっともだ。水の流れを元通りに出来なければ意味がないのだ。それが出来なければ、僕のする事はただ不安と不信を振りまくだけになってしまう。
「領主さま……あたしがやるのはどうかな?」
人見知りのレーニャは、屋敷に連れて来られてからずっと借りて来た猫のように大人しく小さくなって、ポポロンかシルレインの後ろに隠れていたが。
「あたしがそのウカイスイロに忍び込んで、お水とって来るよ、それを領主さまが調べて。もし捕まってもぜったい領主さまのこと言わないから」
彼女はおずおずと進み出て小さく手を上げた。僕はすぐにその手を取る。
「そんな事をしてもらう為について来てもらったんじゃないよ! だめだよレーニャ!」
だけどレーニャは大きな瞳をしっかりと開き、僕を見つめ返して来た。
「あたしはそんな事をするためについて来たの! あたし忍び込むのも逃げるのも得意だもん、ポポロンみたいに人目にもつかないよ、」
「で、でも」
「領主さまは町の人たちを助ける為にここまで来たんでしょ、怖い顔をして行商人さんから馬を取り上げて、それでも! お願い領主さま、早くこの町の人たちを助けてあげて、ルーダン城のみんなを助けてくれたように、その為にはどんな事でもして!」




